健康

2008年6月 7日 (土)

生物多様性 !?

自業自得という言葉がある。 人間らが起こすトラブルはその人間らに降りかかってくるということだ。 ところが、もっと深刻で救い難いトラブルが世界を覆いつつある。 地球温暖化を始めとした、人類の生き様が引き起こしているトラブルのことである。 トラブルを起こすのは人類だがその害を受けるのはもはや人類のみでは無い。

この問題は色々な切り口から研究され、論議され、報道され、対処されつつある。 最近はそれがとても騒がしい。 それらがなんだかヒステリックに見えて、例えば、そのために生まれた狂おしいビジネスモデルなどをみると、騒ぐ者達の個々の生き様こそ疑わしくなる。 そう言う当のおじんもモヤモヤと疑わしいのだが。

ガラパゴス諸島 で何万頭もの罪なき山羊たちを撃ち殺す画像 (2008.06.02NHKスペシャル、ほか) に (世界遺産 って何だ!と) 憤る。 刈り取られる川原の 大金鶏菊群 を見ながら、そして、はるばる海を超えて連れて来られ(てしまっ)た 蜘蛛たち を毛嫌う報道に、(生物多様性 って何だ!) と哀れむ。

その一方で、エネルギー消費を抑えようと謳いながら低燃費の自動車がそれ行けどんどんと売り出されれば、おじんもそれに乗る・・・ばかりで、自転車は車庫に眠らせたままだ。 電力消費が少ないからと新しいエアコンを探しても、も早 ウチワ など使う気持ちもない。 処理機を使って生ゴミなど一切出さないと自慢しながら、日々飽食に溺れ、溺愛の犬 には輸入品のフードを与える。

おじんはもう歳だ。 だから自業自得なんぞ怖くない。 でも、今までこの素晴らしい地球に居させてもらって、それをこのまま若い人々に残していくのに、お前自身 (の日常) はそれいいのかと悩んでしまうのだ。

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2008年2月23日 (土)

雑穀 と トラックバック

最近、それぞれにはある思いを持ってきたのだが、普段は全く関連の無い二つのことが結びついた。 「雑穀」 と 「トラックバック」 とである。 そのきっかけになったのは、おじんが所属している組合のHPで利用中の @nifty の レンタル掲示板 に現れた 「やずや」 の広告である。 それまでは、テレビに流れるあの大滝秀治の声にだけは我が耳が慰められていたのだが、そこの商品に興味は湧かなかった。 が、今回の 「発芽十六雑穀」 にはおじんの郷愁をくすぐるものがあった。 幼い頃は、お米だけで炊いたご飯など食べさせてもらえなかったからだ。

早速広告の誘いに乗って、サンプルを送ってもらい、それを食べた感想をこのブログに書いて、これを 「やずや」 のサイトに向けてトラックバックする次第である。 以前から麦ご飯などを嗜好してきた妻は、今回のサンプルを試食して 「見た目もいいし、食感もいいけど、何より美味しいわー!」 と感心している。 おじんの方は生来、何を食べても 「美味しい!!」 という胃袋に恵まれているので、さしたる論評が出来ないが、日頃の二人だけの食卓が明るくなっただけでも有難い。 そして、その社長の送り状の中に 「せめて主食に関するものは国内農業を守りたい・・」 とあって更に感動したのだ。

もう一つの思いは 「トラックバック」 についてである。 我がブログの記事は、文字通り おじん臭くてクソ真面目な内容なものばかりだから、多くの方に読んで頂くにはどしどしこの 「トラバ」 をしなければと考えていたのだが、最近は 「トラックバックスパム」 への警戒からか、これがスムースには行かない場合が多い。 初めからこれを受け付けていないサイトも多くて、ブログ文化の荒廃を見る思いがする。 今回はそれを堂々とやれる訳で、念願のトラバを実験させてもらえることにもなる。 このように、トラバを受身の立場になって広告の道具に取り込んでしまうこと、その逆手のアイデアに感じ入っている。

以下は 「やずや」 から指定されたタグである。

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2007年10月13日 (土)

和魂洋才 (秋田犬とボーダーコリー)

表題の4文字は、日本古来の精神世界を大切にしつつ西洋の才能を受け入れ、両者を調和させ発展させて行こうという意味である。 それは、西洋に習うことのみに熱心だった明治時代の風潮のアンチテーゼでもある。 ただ、IT時代の今、そのような切り口で事を論じるには、世界の精神構造も情報・知識も混然とし過ぎている。 地球が一つであるように人類も一つなのだ!。 ・・などと日頃想おうとしていたおじんに、ニュアンスはやや異なるが、ふとこの言葉を思い起こさせたものがある。 先週から我が家の一員になった仔犬のことである。

Taro950102 Hana070715 その犬種はボーダーコリーで、私共夫婦は、5年前に亡くしてしまった秋田犬(写真左)との性質の違いに驚いている訳だ。 その違いは、唯の固体差では決してなく、当時はまさに 「和犬」 に 「和魂」 を見ていたのだなと思う程に、今度は 「洋犬」 に 「洋才」 を見る思いがするのだ。 頑固で時に静寂を好む風な和犬に対して、洋犬は四六時中人間と共に居ることを喜ぶのだろうか、そして根っからの働き者だと言うことが仔犬なのに良く分かる。 実は一昨年、同種の、長男夫婦の愛犬(写真右上)が私共一家と山道を散歩していた時に、バラケて歩く人間達を固めようとして休まず走り回る様を見て驚き感心したものだ。 この犬種には生まれながらに牧羊犬の血が流れているらしい。

想うにそれは、西洋には 「賢くて働き者」 の犬を作出する歴史があって、一方日本では 「孤高・忠実・排他」 な犬への希求があったのであろうか・・。 ともあれ、このような違いを超えて、昔の 「タロ」 も今度の 「小太郎」 も私どもの愛犬である。 「犬」、それは人類のための天与の友。 義務でも無いのに、主人の前で伏せが出来る唯一の生きもの。 罪も無いのに、主人のののしりを聞いてくれる唯一の生きもの。 すべての犬はその飼い主を無条件に愛しそれに従う。 それは、まるで確信犯のようにいつも我が家の庭を汚していく隣の黒猫とは天と地ほどの違いがある。 小太郎よ、キャツを追いはらうべし!

ただ残念なことに、盆・正月での散歩の度に私共を感嘆させた 「はなちゃん」 はこの7月に早世してしまった。 まさしくわが仔を失ってしまったに等しい長男夫婦の悲嘆はさぞかしと思うと、かける言葉も無かった。 その後の寂しさに耐えかねたのであろう、彼らはやがて再び同種の犬を求めた。 その犬舎に同行した私共も、ボーダーコリーの虜になってしまった。 長男らが確保して 「優花」 と名付けた仔は未だ幼くて持ち帰りが出来なかったのだが、我が家にはその異母兄に当たる仔を連れて来たのだ。 連日携帯で名古屋から送られる 「小太郎」 の写真にヤキモキしながら、長男夫婦はいよいよ明日、千歳空港でわが仔に再開出来る。 思いはただ一つ、「いつまでも健やかに・・・」。

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2007年8月11日 (土)

還暦の祝い

私の 還暦 はもう一昔も前のことで、当時はさしたるイベントなども無く通過したのだが、これは、今年それを迎えた ある丁亥(ひのとい) の男性のお話である。 誕生日には少し早いが、彼ら夫婦はこの夏、それを祝う温泉一泊旅行に子供らを招いた。 招いたとは、「主賓 が即ち スポンサー」 になったということなのだが、その企画演出の一切は例のごとく二人の娘がやってくれたものだ。 そして娘たちの旦那や親戚は、いつものようにわくわくとした期待を抱いて、喜んで参加させてもらった訳だ。

60thbirthday それほどに、この姉妹の企画・演出のセンスはともに見事なのである。 その夕べの宴席で、色々なプレゼントに加えて、とりわけ「主賓」を喜ばせ感動させたのは、参加者みんなによる寄せ書き (←クリック) であったようだ。 前以て内々に、それぞれが寄せていたのは 「祝詞」 と 「写真」 だけだったのだが、それらが見事にアレンジされて、大きな一つの額にきれいに並んで収められているのを見て、しかもその中に孫娘の懸命な筆跡を見れば、本人ならずとも誰もが、宴席の仲居さん達までもが、感動せざるを得ない贈り物になっていた。

その日の彼は、伊豆の 名湯 に何度も浸り、熱い湯で幾度も顔を拭いながら、来し方のわが労苦の汗を流し去ったことであろう。 そして、「さあ、これからも・・」 と、更に意義ある余生に向けて、その感慨を新たにしたことであろう。  それにしても、「頼もしきは娘・・・」、これは真実である。 あいにく私どもには、その種のセンスに欠けた息子が二人だけなのだが、だから今、それぞれにかわいい 「娘」 が来て居てくれて、とても嬉しい。

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2007年5月20日 (日)

52年ぶりの吾が娘に・・(4)

「楢山節考」

Narayama これは第1回中央公論新人賞(1956年)を受賞した深沢一郎の小説の題名であり、その後二度も映画化されたものの題名でもある。 それらの内私は、木下恵介監督の作品(1958年)を観ている。 それはもう半世紀も前の私の学生時代のことで、内容に関連は無いが、ちょうど姉が娘二人を瀋陽に置いて一人で帰国した頃の、日本での話題作である。 一般には「姥捨て」の話とされているが、そんなに単純な悲劇ものではなく、もっと深く、日本古来の宗教性を感じさせられる印象であったと記憶している。

今、これを思い出したのは、今回私が姉を中国に連れて行ったことは、ある面から言えば、それはまさしく 「姥捨て」 ではないのかという自問が続いているからである。 あの映画の老婆は、今迄の住家を離れて、行けば確実に死ぬであろう山奥に向かうことを積極的に望み、喜々として息子の背におぶさる。 その山奥で待っていたのはカラスの群れだったのだ。 が、一方先日の瀋陽空港で、涙と抱擁で迎えてくれた娘たちの家族群の心はそれとは全く違う。 比較することさえ申し訳無いほどの世界へ私共は着いたのだった。 昨日の姉からの手紙によれば、夜明け近くになると、娘がきまって 「母」 のベッドに入って来て、手を握ってくれるのだという。 「もう離さないよ」 と言いいたいのであろう。

Narayamab でも、こちら側はどうなのであろうか?。 もしそこに、「厄介払い」 の気持ちが少しでもあったのなら、それはなんとも恥ずかしいことだ。 ・・そんなことにとらわれていることさえ恥ずかしい。    実は、姉はこれから毎日、日記を書くことと 「写経」 をすることを約束してくれている。 共に彼女には始めてのことだと思う。 その第1週分がこちらに着いたので、折角のことだからとて妻に添削してもらったら、たちまち朱い文字でいっぱいになってしまった。 早くこれを送ってやろう。 いま改めて 「般若心経」 を読みながら、自分にも 「とらわれない」 心がほしいよと、切に思う。

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2007年5月16日 (水)

52年ぶりの吾が娘に・・(3)

「二度童(にどわらし)」

Shenyang0752_1 瀋陽での夕べ、老婆を歓迎してもらった宴席での答礼の挨拶で、私は 「姉はもう、日本で言うところの "にどわらし" なのです。 だから、これから皆さんに色々と迷惑を掛けていくと思います。 なのに、連日このような席を設けて頂いて御礼の言葉もありません・・・。」 と、これだけ言ってもう胸がいっぱいになってしまった。 それに対して、「グランマのことは心配しないで下さい。 それより私たちは、今回、彼女を瀋陽まで連れて来て下さった叔祖父さまご夫婦のご苦労こそを感謝したいのです。」 と、通訳女史を経ての優しい言葉が返ってきて、もう堪えることが出来ず、今までの我が胃の痛みとともに、熱いものが流れ落ちたのであった。

人は加齢に従って 「もの忘れ」 がひどくなり、更に進んで病的になれば、いわゆる 「認知症」 になる。 でも姉は、そのどちらでもない。 いたって元気なのだ。 しかし今迄は、周りの方々がはらはらするような勝手気儘な振る舞いをしてきたようである。 遠く離れて暮らしてきた私自身は、その被害を被った経験が無いので詳しいことは知らないが、今回の瀋陽訪問に当り、それに素直に賛成出来ない弟妹やお家族の説明から想像すれば、私にはそれが 「にどわらし」 の行いそのもののように思えたのだ。

言い換えれば 「天真爛漫」 ・・・、 敢えて、そう思ってやりたい気持ちであった。 それが、老いて行き着く幸せの形なのだと。 今回の中国渡航は、ひどい書痙で字が書けない私を補佐してくれる妻と、二人だけで実現させたのだが、それが出来たのも、このような思いが支えになったからである。

この姉のみならず、私の周囲にも 「わらし」 や 「認知症」 らしき人はあちこちに居る。 これらの人々に、大きく優しく接することは、確かに、言うに易しいが励行は難しい。 逆に狭い社会では、そこに 「排除の論理」 が働いてしまう。 もともと 「隣は他人」 という都会ならそれが普通なのだろうが、旧い田舎ではそれがきつく働く。 悲しいことに今度のことで、我が故郷の地にもそれを私は感じてしまったのである。 ・・・ 問題な人をこそ慈しめよかし ・・・、「赤子叱るな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」 ・・・、この言葉を、私は今日もかみしめている。

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2007年4月12日 (木)

大監督 と いじめ

今朝配信された安倍内閣メールマガジン(第25号)を見てある感慨が沸いた。 今や日本の野球界を代表すると称されている大監督が 「負けない子供を育もう」 というメッセージを寄せていたからだ。 寄せたのではなく、持ち上げられて日頃の持論を書かされたのであろう。 その内容に異を唱えるつもりは無いし、書いた人の 「偉大さ」 を否定するつもりも無い。

私の感慨とは、このようなテーマにこのような人物を担ぎ出す風潮が、今や政府の中枢にも流れているのかという感慨である。「強い男」 をもてはやすことは 「いじめをなくす」 願いとは、どう考えても整合しないからだ。 やはり、彼の論調は 「いじめをするな」 ではなくて、「いじめに勝て」 である(実を言えば私も同感だが)。 今、飛ぶ鳥も落とす勢いの人物が、ましてや闘いのリーダーが、「イジメをするな」 なんてとても言えないことなのだ。

私はそれほどでもないが、○ラキ○の妻は、5年ほど前にかの人物が某球団の監督から他球団のそれに見事に変身したことで、深い人間不信の傷を受けてしまって今も治っていない。 野球に詳しくない私でも、健康上の心配で退いた筈の同じ激務を、別のしかも敵陣に雇われて続行するという、その人間離れした「強さ」に驚いたものだ。

なるほど、闘いと 「いじめ」 とは違う。 しかし、その種の人物が真に 「いじめ」 を悲しむのなら、年を経て、その闘いの舞台から離れて、スポーツという闘いの場が、本当に人間としての清く正しい闘いの場であったよ と言える時になってからはじめて発言してほしいのだ。

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2007年3月11日 (日)

私論茶経(8)= さんぴん茶

Sanpincha 久しぶりに沖縄を訪ねた。 現役時代は仕事で何度も行っていたのだが、その時はあの沖縄そば (特にソーキそば) の美味しさばかりに気を取られていて、気付かなかったもう一つの沖縄の香味を、今回知った。 さんぴん茶 (ジャスミン茶) のことである。 他の ハーブティー に有り勝ちなきつい自己主張も無く、沖縄の料理や風土に良く合った、口当たりさっぱりで、同じお土産の 「黒糖」 とも良く合うし 「泡盛」 を割るのにもいいと言う。 これが地域の皆さんの常用茶であることを納得した。

でも サンピン なんて、どこか貧相な音感がしてしまう。 が、今ネットで調べると、ちゃんと立派な語源があることが分かる。 あの香りの良い ジャスミン は元は ペルシャ語 で、これを中国では 茉莉 と言い、その香りを付けた茶を 「茉莉花茶(モーリーホワチャー)」 とか、とくに中国北部や台湾方面では 「香片茶(シャンピイエンチャー)」 と呼んで、多くの人が愛飲している。 後者が即ち さんぴん茶 の語源である。

そして、ジャスミン茶 にも色々あって、中国緑茶 に ジャスミン の花の香りを付けてから花だけ取り去る (以上の工程を 「イン」 とか 「薫(シュン)」 と言いこれを繰り返して高級品にする) もの、花片を取り去らないもの、変色した着香用花片は取り去るが最後に上等な花片を加える (提花) もの、緑茶 のような 不発酵茶 ではなく 弱発酵茶(白茶) や 半発酵茶(青茶即ち烏龍茶。台湾では包種茶) や 全発酵茶(紅茶) などを基材とするもの、等々実に様々だ。

今、お土産に買ってきたものをよく見ると、この さんぴん茶 は花片を残した 釜炒り緑茶(=炒青緑茶/対して日本の緑茶は概ね蒸して作る=蒸青緑茶) のようで、その素材はほとんどが中国大陸や台湾などからの輸入品であると思われる(脚注)。

今回の沖縄行きは、結婚44年目を記念した観光旅行の意味合いでツアーに参加したものだが、実は別の目的があった。 途中、オプションの行程から離れて、3年前に亡くなった大学級友の留守宅を訪ねたのである。 永年沖縄県下の農業用ダム事業の学術・技術面の指導をしてきた故人は、琉球大学を退官して間もなく急逝してしまった。 仏前で奥様のお話を伺いながら頂いたジャスミンの香るお茶の味・・・、数々の顕賞額に囲まれた彼の顔がとても優しく見えた。

注) ; 台湾が中国茶の産地であるように、南国沖縄の立地もそれに好適のように思われるのだが、地味が適さないのか府県別の茶の生産量では 27位(農林統計H17.2月) であって、所謂茶の主産県ではない。 当地では、琉球王朝時代から明からの交易品として香片茶が 「さんぴん茶 ・ 清明(シーミー)茶」 の名で入ってきていて、当時の大陸には沖縄茶商による現地工場(福建省)もあったという。

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2007年1月27日 (土)

ビルマの秘酒"泡盛"

実に久しぶりに秘蔵の泡盛を飲んだ。ウィスキー が切れていたからで、しかも月末で財務省の財布の紐がきつかったからである。 それに、好きな日本酒を頂くと直ぐ眠くなるし、大好きな芋焼酎も毎晩では口が倦んでくる。 代わりに出してきたのが、あのアルコール分 60%  の与那国の花酒の一つ 「どなん」 である。 既に開封してあったものだから アルコール分 が幾らか揮発していたのであろう、かえってとても飲みやすく、香りも甘さも増していた。 そして、おやっ! これは、あの酒と同じだ! と、20数年前のビルマ(現在のミャンマー)の ○○ワイン を思い出したのだ。 先ず口の中を突く、あのやや鉱物的な風味が同じだと気が付いたのだ。

Promedinner それは、1983、84年と該国の中央部にあるプローム(現在のピヤイ:Pye) に一年間滞在して、サウスナウイン灌漑事業 の実施設計を担当した時の思い出である。 当時は該国産の マンダレービール の入手もままならず、はるばる タイ や 中国 との国境を超えて来る 密輸ビール(日本製) はとても貴重品で、だから、十数人の団員のための毎晩餐の アルコール の調達は団長の私の大きな仕事であった。 そんな中で知ったのが、水源ダムの建設予定地近くの集落で密かに造られているという ○○ワイン のことであった。 ワイン(=醸造酒) とは言うが、それは明らかに 米焼酎(=蒸留酒) であって、生憎その英語 (arac) をみんな知らなかったからで、現地雇いの料理人をして買いに走らせるにはそう言うしかなかったのだ。

今日改めてネットで調べてみて、それらの類似性を納得した。 すなわち、琉球泡盛の原料の米は、日本酒のとは異なる インディカ米 であり、主に タイ産 の 砕米 が用いられると言う。 それは、日本の他の 焼酎(spirits) と違い、東欧から東南アジアにかけて 1,200年 も前から造られていて 「アラック」 と呼称される言わば蒸留酒の原型なのだそうだ。 だから、それが ビルマ の片田舎でも簡単に手に入った訳だ。

あのころ私たちは、これの水割りを飲みながら、「これはインパール戦線からの敗走日本兵が、かくまってくれた土地の人に、故郷を想いながら造り方を教えたものに違いない」 と・・・いつも神妙に味わったものだ。 それは間違いだった訳だが、当時、あちらの カウンターパート(相手国職員)氏 は、そうとも否とも言わないで話題を変えたものだ。 それは多分、それが正規に納税した「酒」ではなかったからだろう。 あの○○の集落は、今頃、どんなたたずまいなのであろうか。 空になった 「どなん」 の瓶からただよい出るあの ブランデー にも似た香りを慈しみながら、懐かしいかの地の今を想った。

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2007年1月 7日 (日)

七草がゆ と エーデルワイス

Edelweissセリ・ナズナ・ゴ(オ)ギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ♪・・、春の七草は決まってこの並びで呼ばれる。 反復すると分かるように、語呂が良くて覚えやすく、歌えば初春の気分だ。 一方の 秋の七草 を挙げる時の並びは、今調べてみると、一定していないし、直ぐには全部を挙げられないのは私だけでは無いようだ。 そして、秋のそれらが観賞向きなのに対して春のは食用になる。 寒さはこれからだと言うのに、早くも食卓に春を運んで来てくれるとは、何とも 「味」 のある植物たちだ。 家族はあまり喜ばないが、私はこの青臭い粥を頂くのが年頭の楽しみなのだ。

昔は、野原や田んぼの土手でこれらをみな見付けることが出来た筈だが、そのころの私はこの風習を体験していない。 結婚して家を持って何時の間にか習慣になったのだが、それは七草の パック が スーパー に並ぶようになったからでもある。 それらはちゃんと解説書付で売られているのもいいし、その通りに内容が揃っているのかと まな板 の上に並べてチェックするのも楽しい。 他のは一株づつしか入っていないが ハコベラ だけはどっさりなのにも納得がいく。 故郷では、家畜の餌として探すのに一番簡単に見付かった草なのだ。 実は出来立ての粥が上げるあの独特な「香り」もこの ハコベラ の 「お陰」 なのだ。

さて、この中の ゴギョウ(御形、母子草、ホウコ草) を見るといつも思い出す風景がある。 40年前に研修先の ドイツ・スイス国境 の山で見た エーデルワイス の花である。 ただしこれは、共に同じキク科の花ではあるが、母子草 とは繋がりが薄いようで、薄雪草の仲間であり、形態はむしろ 父子草 に似ている。 それでも、ゴギョウ の葉っぱが細やかな綿毛に包まれているのを見ると、あの白い綿毛に包まれた エーデルワイス の花を思い出すのである。 右上の写真は当時あちらから妻に送った絵葉書で、先ほど彼女が大事そうに取り出してきてくれたものである。

注) ; 画像の中の エーデルワイス は写真ではなくて実物の押し花である。 こんな絵葉書は現在はもう売られていないと思う。 スイスの国花であり、映画 「サウンド・オブ・ミュージック」 で歌われていたこの可憐な花も、今や希少な保護植物になってしまったようだ。

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2006年11月10日 (金)

日本語力

11/08 の クローズアップ現代(NHK) のテーマは 「どうする 若者の日本語力」 というものであった。 自分の日本語さえ不確かな (・・と日ごろ妻に言われている) のに、他人のそれを云々する力は微塵も無い。 が、その低下の原因として、このところの IT の進展が挙げられていることに、賛否こもごもの感慨が湧いた。 確かに、昔はワープロパソコン携帯も無くて、文字を手で書くことが情報伝達の大事な手段であった。 今は、それが無くて日本語力が落ちたという訳である。 でも、その人の日本語力はその人のアイデンティティーそのものなのだ。 IT とか教育とか言うよりも、 もっと基本的な、個々の日本人の文化の問題だと思った。

手書きについての私の経験だが、専門が灌漑用ダムの計画・設計・監理であったから、業務の成果を納めたのは(設計書や図面や報告書などの)書類の形でだった。 一つの業務当たりの文書の量は膨大なもので、それが全て手書きであった。 それが現在は、図面も 文書も 殆ど全てがコンピュータ上で作成されている。 しかも、類似文書からの流用 (コピペ+手直し) という手法が繰り返されて行くから、(不完全な手直しの結果) 技術計算も日本語も一旦壊れるとその部分が誰からも発見されずに後に伝わっていくことがあり得る。 それが情報伝達の質の低下の一つの原因だと思う。

この種の 「シゴトの仕方の変化」 は色々な場面で起きてきた。 LSI電卓が現れて机上からソロバンが消え始めたのが1967年、日本語ワードプロセッサー(JW-10)が市販され (以来漢字を知らなくても文書が書けるようになっ) たのが1978年、世界的な設計図面ソフトの AutoCAD が出たのが1982年、それが高価で手が出なかった我々にフリーで高性能な製図ソフト JW-CAD が与えられたのが1997年・・・と、本当に目まぐるしく発展をしてきたものだ。 それにつれて急速に 「手仕事が」 減った。 そのお陰なのか、私は手で字が書けなくなり、逆にキーボードだけが頼りになったのである。

このように、IT の進展によって影響を受けた人間の能力と言えば、なにも国語力のみでは無く、計算や製図や測量などの面でも大きな変化があったのだと言える。 この変化を単に人間の能力の 「低下」 と言う側面のみで捉えていては寂しい。 「低下もまた宿命、タノシからずや」 である。 嘆いている間にも IT の進展は続いているのだ。 やがて、頭の中で思っていることが即正しい文章になって出力されるようになるに違いない。 そうなれば国語力なんかは趣味の範疇に入る。 ナンクロ本が売れるわけだ。

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2006年10月25日 (水)

タイのシンカンセン

今朝の東海道新幹線静岡駅での人身事故は、こともあろうにJR職員の飛び込み自殺らしい。 死者に鞭打つ気持ちは更々無いが、若しこれが大きな事故になってしまっていたらと思うと慄然とならざるを得ない。 「 開業以来、(車内の)乗客の死亡者ゼロ 」 という偉大な記録を更新しつつある日本の新幹線を、彼はどう思っていたのであろうか。 この安全運行への努力は、機械・電気・土木・運行管理・人事管理・IT 等々の諸要素を集大成しつつ現在も組織をあげて続けられていると言うのに。

新幹線を shinkansenn と書いて シンカンセン と読むと、これはもはや国際語である。これを十分知り、傾注する人は、鉄道関係者のみならず世界中に沢山居る (例1) (例2) (例3) (例4)。 東京オリンピック開会直前の 1964年10月1日 に開業して以来 今日まで延走行総距離は 数十億km に及ぶ筈で、地球と月を 数千往復 した距離に相当する筈だ。 日本が誇れるものは数々あろうが、これこそ非常に大きな誇りであると皆が思い、鉄道安全への国民的な協調を持ちたいものだ。

この事実と、欧州諸国でのいわゆる新幹線事故の多さとを比較すると感慨はなお更である。 一方、昨夜の報道によれば、台湾の新幹線の開通は既に1年遅らされて来たが、更に遅延するようだ。 遅延の不名誉などは気にしないで、安全のために十分な準備をしてほしいものだ。

Shinkannsen_1 ところで 一昔前に私は タイ国で、既に シンカンセン を見ている。 その名は、当時の日本の新幹線車両にとても良く似た食べ物に付けられたもので、私にはとても美味しいものであった。 その珍味は、チェンマイ近郊の水資源開発計画に従事していた時に王立灌漑庁の技師達が地元の焼き鳥レストランで、密かに教えてくれたものだ。 それは現地の竹藪に発生するものらしく、サイズは右上の写真のよりはるかに小さくて色は白かった。 椰子油で炒めて皿にいっぱい盛られて供されたが、私の大好きな シンハビール にとてもよく合った。

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2006年10月16日 (月)

ジャーマンサイズ(巨大じゃがいも)

私どもの南ドイツの旅で改めて納得したこと、それは西欧での色々な巨大サイズのことである。 この春に オーストラリアに旅行 した時にも感じたことだが、分かってはいても目の前にすると やはりまた感嘆してしまうのだ。 たとえば、街で見かけるご婦人の中には、「このお方、飛行機には乗せてもらえるのかしら?。 ファーストクラスでも無理みたい!」 という容姿のお方が多いのである。

この傾向を、オーストラリア の時には牛乳の消費量で説明しようとしたが、今回は、あるレストランで十分にその背景を納得することになった。 それは ローテンブルグ の じゃがいも料理店 でランチを頂いた時の事である。 旅の初日から妻は、ドイツの食べ物のサイズが大きいと言っていたが、それはそれで困ることではなかった。 ドライブインで買ったスナック代わりの サンドイッチ と ジュース が実はその日の夕食として賄えたからである。

Kartoffelstube しかし、そのレストラン で出てきたじゃがいもの大きさには驚いた。 肉を食べない妻は、片言で店の人にメニューを説明してもらって、それらしいスープと、「 エビと きのこの マヨネーズあえ on 蒸しじゃが 」 を頼んだのだが、やがて見たことがない程に大きいのが 2個 も並んで出てきたので もう少しで悲鳴を上げそうになったそうだ。 私の方もボリュームいっぱいの別メニューを平らげるのに苦労した後だったから、手伝うわけには行かず、頼んで一個を包んでもらってホテルに帰った。

その一個が、その日の部屋での夕食の二人分になったのである。 状況は違うが、39年前に私が、この国で研修をしていたある日、ある立派なレストランで、皿に残ったスープをパンできれいに拭って食べていた美しいご婦人をいつも思い出す。 でも、あのお方は丁度いいサイズだったなー。

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2006年9月14日 (木)

続 コマやかな介護保険

先日は妻に介護保険料の口座振替開始を知らせるハガキが届いたが、昨日はその金額決定通知書兼特別徴収額通知書が届いた。 どちらも区役所の福祉部福祉課からである。 前に書いたように、既に経験している私には別に驚くことではなかったが、やはりある感慨があった。 そこには、年金制度の危機だと言われる中で 「介護保険の方はしっかりやろう!」 と言う、担当部局の気合が伺われたからである。 だから当該市民への通知をコマやかにやるのだろう。 しかし、これほどコマゴマと来ては、何だか嵩にかかって攻められているような感じがするのだ。

今回別々に送られて来たところの、金額の通知書も、納付方法の案内書も、保険料の納付義務が生じた個人にとっては一度に (同じ文書の中で) 知らされるべきことだと思う。 更にそのタイミングは老齢年金の受給が始まる時期と一致しているのだから、それから介護保険料を天引きする方式 (=特別徴収) とも連動して、これらが即時処理され一通の文書で通知されるのが理想だ。 とは言え、年金制度と介護保険とで理念も歴史も違うし取り扱う役所も違うのだから無理な注文かもしれない。 が、現今の IT の技術上だけから言えば簡単なことだと思う。 それこそ中央と地方とが連携した電子行政サービスのあるべき姿なのだと思う。

コマやかな通知はこれからも続く筈だ。 例えば上記の 「特別徴収」 が始まるまでは (=年金の口座振込みが始まるまでは) 「普通徴収」(=送金) が続くし、それとは別に 「仮徴収」(=前年度の課税状況で保険料を概算する) と 「本徴収」(=確定した課税状況を元に清算する) とが半年毎に繰り返される。 それを計算して発送するのは役所のコンピュータがやるから 「簡単」 なのであろうが、受け取る方は、もはやそれらを整理して適切に 「認知」 出来る歳ではないのだが・・。

さて、上に 「年金の口座振込みが始まるまでは・・」 と書いた。 妻の場合、年金の受給は 「○○才の誕生月の翌月から」 出来るのだが、「頂く場合」 は色々と事前の手続きがあって、きちんとしたタイミングでの振込みで始まる訳ではない。 上記のようなコマやかな通知は、この二者のタイムラグの為せるわざでもある。 そう、「納付」 の案内は細やかに徹底して・・、一方 「給付」 の案内はしないでその代わりに本人からの 「請求」 をさせる・・。 これぞ社会保証の大原則なのだろう。 だから、ボケちゃあ居られない!・・。

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2006年9月10日 (日)

コマやかな介護保険

○○才の誕生日を迎えた妻に介護保険料の口座振替開始を知らせるハガキが届いた。 私も同様なものを二年ほど前に受け取っている。 それぞれにこの歳は国民年金の支給が始まる年でもあるから、わが家計の収支の流れが 「納付」主体から 「受給」主体に大きく変わる中で、このハガキにだけは異質なものを感じた。 「まだまだ納付が続くのだぞ・・。しっかりしろよ。」 と聞こえたからである。

もとより私も公的な保険制度については全くの素人なのだが、「受給」する年代になると 貰い落としの無いようにと 少しは勉強する気になる。 実は介護保険制度も 年金制度も大きく言って社会保障制度の中の一つだと認識したのも今回勉強した結果である。 思えばこんなことは当たり前なことなのだが、それらの歴史も現状も複雑で混沌としていて一市民が明解に理解するにはとても無理な世界なのだ。

介護保険は平成12年度から始まったものだから制度としてはまだ若い。 しかも今も高齢化が進行している最中なのだからそのシステムもこれに整合して行かなければならないようで、妻がもらった今年度の 「しおり」 の記載内容は、2年前に私がもらったものとは色々な違いがあってややこしい。 その内容はさておき、私が感心したのは当初からのその保険料徴収の手法の徹底した細やかさである。 保険料が所得などに応じて8段階(=1号被保険者、今年度から) になっているのは (確定申告を経験した身には) かえって区分が粗く感じられたのだが、細かいと言うのはそのことではなく、実際の納付の方法のことである。

私の場合はその変化が激しくて、本当に正しい納付先に金が行くのだろうかと、なんだか不安になったものである。 まず、「納付書と現金を持って金融機関に行く方式」 が6ヵ月あって、次いで 「口座振替」 が6ヶ月、そして今は 「年金からの天引き(特別徴収)」 に落ち着いている。 これほどに変化する納付方式に自分でちゃんと付いて行ける介護保険1号被保険者(65歳以上)ってこの世に実際に居るのだろうか?

ともあれ、ここでは、いつまでも 「納付者」 でありたく、「受給者」 にはずーっとなりたくないものだ。 先日教育テレビでも特集していたようだが、実際の介護の現場では色々と深刻な課題が積もっているのだという。

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2006年9月 6日 (水)

碧落の秋

「 深いふかい地の底を                     
  奈落とよぶように                        
  碧落とは雲の涯の                        
  遠い天の奧処をさすことばだと            
  だれがはじめにいったことだろう・・・。

作家 藤井重夫氏が1975年に書いた『終りなき鎮魂歌』という小説の最初に出てくる文章です・・・」

これは、私の次男が中国茶の喫茶店を開業した時 (2004) に、店の名前を 「Tea Bar 碧落」 とした理由をそのHP上に書いた文の頭の部分である。 初めて聞いた 「ヘキラク」 という言葉、その音感に奇異な感じを持った私は早速ネットで検索をしてみた。 が、今一つその世界が掴めない感じがしたので、その後何度も図書館に出掛けた。 調べるうちにその言葉の持つ不思議な深みに魅了されてしまった。 不肖の息子だが、この言葉を見つけ出した次男に感心して、当初の我が疑念が恥ずかしくなった。

奈落(=地獄) という語に対して 碧落 という語があるようだが、ただそれは単に天国や極楽のことを直接指すものではなく、そのような理想を求めて仰ぎ見る紺碧の天空を指しているのだと理解した。 その語を用いて、以降の漢文学や日本の古典文学にも影響を与えたのが 白楽天(白居易) の 「長恨歌」(806) であるという。 そこでは、亡き楊貴妃をなお求めて悲嘆に暮れる玄宗上皇のために修験者たちが 「上は大空のはて、下はよみの国まで探した=上窮碧落下黄泉」 ・・ と詠われている。

調べながら、往古からの文化を継承する先人たちの深い教養と粋な心に感動した。 それ程に深く考えたのではないであろうが、次男の店のHP作りを手伝いながら、そう命名した彼の気持ちが、多くのお客さんに末永く活きて行くようにと願った。 ・・ 今日は久しぶりの雨で寒い程だ。 もう秋なのだ・・。 晴れたら私も天空を仰いで 「碧落」を探してみよう。

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2006年8月17日 (木)

お盆に思う

Heiwakouenn 私は次男であるからお盆の墓参りは(近くの)郷里に出掛ける。 父も次男だったから、その墓はいわゆる新家(しんや=分家)のもので、そこに眠っているのは父母と長兄だけである。 長兄は幼くして水難で亡くなった。 その数年後に生まれた今の兄が戸籍上の長兄となり、更にその8年後に生まれた3番目の私が次男と言う訳で、私の名前は1番目のと同じだ。 その分も長生きするようにという親の気持ちだったのだろうが、自分の名前を刻んだ苔むした小さな墓石を見ると、長雨の出水で近くの小川に流されてしまった幼き兄が脳裏に浮かんでキュンとなる。

そこが済むと市内に戻って、妻の両親の墓に出掛ける。 こちらも新家だったから二人だけが眠っている。 名古屋は戦後復興時の徹底した土地整理で墓地群が幾つかに統合されていて、どれも広大だが、中には今や持ち主不明で荒れてしまった墓石が目に付く。 郷里の墓地でもそうだったが、育った樹木が墓石に障るからか、以前はいい木陰を作っていたのがみな伐られてしまっている。 だからそのたたずまいはまさしく墓地であって、墓苑とは言い難く、こういう所で旧盆の酷暑にお参りをするのは辛い。 年に1度だから・・と言ってしまえば済むことだが、何だか潤いの無い風景なのだ。

幸か不幸か、私どもには定まった「青山」は無いのだから、ここらでそれについてゆっくり考えておこうと思う。 最近は葬儀もお墓も実に色々な型があるらしく、専門に研究している方もいればそれ専門のアートデザイナーもいる。 葬送からお墓までネット上で済ませてしまえそうなサービスもあるしなんと墓参の代行業さえある。 既にここも IT 新時代の只中なのだ。

注 ; この記事の書き込み後に妻が(年金手続きのために)戸籍謄本を取ったのだが、それを見たら、戸籍上は私はあくまで3男である、と言うのが正しいと分かった。 小学入学から今まで60年間、私の手続き書類にはすべて 「次男」 と書いてきたのだが、これは間違いだった訳だ。 いまさら直せないが、これからはどうしよう?・・「墓」に聞いてみようかしら!・・

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2006年8月11日 (金)

永遠なるダイエット

私の左脚には常にシビレがある。 いわゆる坐骨神経痛である。 5年前に、重い荷物を持ち上げようとして(再び)ギクっとなったのだが、そもそもの初回は30歳頃にやっている。 それで当時はきついコルセットを装着して仕事をしたものだが、32歳の時に乾燥地のイランの現場に赴任したら、初日から痛みは消えていて持参したコルセットは一度も使わずに済んだ。 だから私の 「ギックリ腰」 はもう直ったものと思っていたのだが・・。 現在の症状の診断名は 「腰椎椎間板症」 で、更に詳しく言うと 「脊柱管狭窄症」 らしい。 医者は言いにくそうに 「昔のとは関係無いかもね。今度のは歳のセイ・・」 とのたもうた。

歳が原因なら、年寄はみんな罹ってる筈だが・・と スネた気持ちになる。 天気の悪い(低気圧の)日に腰がドーンと重いのは昔と同じだ。 今は、好きな日曜大工で重いものを持ったり、背伸びをしてする作業が悪いようだ。 そういう時でもオーダーメイドのコルセットを着けると安心して仕事がやれる。 そして、最近分かってきたことが一つある。 思えばそれは、先のお医者様の忠告の中にもあったような気がするが、当時のスネた身にはその事がよく飲み込めていなかったようだ。

それは 「坐骨神経痛の重さ」 と 「体の重さ」 とは比例する・・と言うことだ。 以前、NHKの 「ためしてガッテン」 でやっていた 「ダイエットの秘法」 をためしてみて、そのなるほどの効果 (右下図をクリックされたし) と、確かにそのころには腰痛の思い出が無いことに、今気付いたのである。 ただし、その効果にいい気になってばかりで、いつの間にか秘法の励行を止めたら、ちゃんとリバウンドしてたことにも気付いた訳だが。

Taijuukiroku その秘法とは 「毎日、自分の体重のグラフを付けること」 だけ。 どんな食事をしろとかするなとか、どんな運動をしろとかなどということは二の次の課題であり、個々人のチョイスだという説明だった。 さて今 ネットで検索すれば、ダイエットに効く ○○ や △△ がゴマンとヒットするが、そんなものが効くのは 「おサイフの減量」 だけ。 それよりも、毎日右肩下がりの体重グラフを眺めることが出来れば、それがなによりの薬でありゴチソウなのである。 と、今日もガンバル私である。

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2006年7月14日 (金)

おとしぶみ

Otoshibumi 拙荘の近くで、生まれて初めて 「おとしぶみ」 を拾った。 むやみに生き物の卵を拾うことはいけないと思っているのだが、これだけは少しぐらいの移動はOKのようだ。 そしてなるほど、上を見ると、クヌギの木の葉が広がっていた。 その名前は前から聞いていたが、実物を見るとその可愛らしくてそしてしっかりとした巻き方に感心してしまう。 そして、いい名前を付けたものだと、先人の風流にも感心してしまう。

ネットで検索すると、平野部では6月ころから見付かっているらしいが、標高1,000m の荘川ではそれより一ヶ月ほど遅れての出現のようだ。 この辺りではこの頃、面白い動植物を見ることが出来る。 早朝と夕方に、とても愉快に聞こえるキビタキの鳴き声が始まるとつい口笛で応答したくなる。 また、いつもの散歩道のある特定の場所だけに咲く白いアザミも、まるで大事な宝物のような存在だ。

山に来ては山の動植物のことを少しずつ知って行くことは私どものささやかな楽しみである。 ただし初めからそういう気分だった訳ではない。 以前はいつも愛犬にせがまれて、長時間の散歩をしたものだが、そのついでに発見した喜びなのである。 そこで何かを見付けて調べ物をする時の参考書は、ずーっと昔に子供たちが使った小学生用の科学図鑑であるが、これが見やすくていい。

そして、その結果をネットの検索にかければ、今や色々な面白い情報が洪水のようにヒットして来る。 「おとしぶみ」 一つにについても、RSSリーダー から並び出てきたブログの数々を読むと、自然人文 と、実に様々な情報と思いとを知らされ、そしてそれらが混交して、世の中の広さ・深さを実感してしまうのだ。

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2006年7月 4日 (火)

キョウサイは優しい

夫婦というもの、ドラマにおいても現実においても、1日24時間 ずーっと恐妻状態であるという例は無かろう。 愛情も不信も、緊張も平和も、それらが繰り返し繰り返しないまぜになって過ぎて行くのである。 ところが先日、この世には実に優しい 「キョウサイ」 が安定して存在してることを実感した。 「共済」 のことである。

毎年この時期に、私共が加入しているところの某共済組合から前年度分の割戻金の通知が来る。 今回の率はコースにより色々だがいずれも 30%~45% になっていて、正直言ってびっくりしてしまった。 一方では年金制度の破綻が恐れられているご時世に、掛け金の1/3から半分近くまでもが戻って来るなんて、いったい共済とは何だろうか、いつものようにネットで勉強してみた。

日頃愛用しているネット上の百科事典 Wikipedia に繋いで調べると、日本には実に様々な共済組織があるようだ。 私共のように、ほぼ引退していて一定の組織に所属しない一般市民でも入れるものもある。 ところで一方、新聞やテレビやダイレクトメールでは様々な保険企業の商品が、一見魅力的な文句の下で踊っている。 外資系のもある。 これらは本当にお勧めなのだろうか? と、得意の表計算上に並べて私なりに比較をしてみた。

これらの掛け金と補償額の内容についてはカタログ上では単純には比較できないので、「今の自分の年齢で、ある事故を起こして(又はある病気に罹って)、(死亡し、又は)手術を受けて、○○日入院して、○○日通院した後に完治する」 というモデルケースを設定して収支のシュミレーションをしてみた。 結果は明らかであった。 あくまでも私のシュミレーションの範囲内だが、(割戻金控除後の)掛け金額に対する補償額の倍率はどんなケースでも「共済」が勝っていた。

それでは保険企業の商品は何がウリなのだろうか?。 広告には大きな文字でウリ文句が並んでいるのだがそれが本当のところ何であるのか私には分からない。 そしてごく小さな文字のところを読むと 「最初の○年間は払い込んだ分しか補償しない」 などの条件を発見したりする。 これでは「保険」にならないのではないか?。

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2006年6月30日 (金)

山菜講習

我が所属する別荘管理組合は毎年春と秋にBBQ大会を催すのだが、今年はその前半を山菜採りの講習会とした。 講師は組合員の一人だが、日本自然保護協会(NACS-J)のインストラクターという資格を持っておられる方で、その道に詳しいことは勿論、ご指導の言葉の隅々に自然を大事にする心が溢れていて感動した。 例えば、タラノメを採るのはその一番芽だけにすること、その木の成長のために二番芽以降をそっとしておくという「常識」を初めて聞いて、納得して 安堵した。

それにしても、付近にこんなに色々な山菜があるとは驚きであった。 山に来れば、かって知ってたワラビフキだけを採っていたからだ。 これだけでも、自宅に戻ってアクを取って醤油で炊いて近所に配れば大いに喜ばれる。

講師氏によれば、この標高1,000m辺りの山地には、とても多様な上質の山菜が取れるのだという。 BBQ会場の周りを30分ほど連れてもらっただけで、・・・、フキ、ヨモギ、ハリギリ、ウバユリ、フジ、ヤマブドウ、アケビなどを見ることが出来た。

その内、今が収穫シーズンだった、ワラビウドウコギタラコシアブラネマガリタケなどを皆で採って来て天ぷらにして頂いた。 妻は揚げる係りをやったので、味わう前に油の方にヤラレてしまったようだが、町っ子の組合員にとって、その場で頂いた山菜の味は格別であったようだ。

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2006年6月25日 (日)

ねじれた花

Nejibana 知らない人は殆どそれに気が付かず、知る人はそれを見付けては喜び愛でる草花がある。 写真→のネジバナである。 我が家ではそれを大事に残して芝刈りをするので、年々その手間が掛かるようになってしまった。 が、その可憐な姿を眺めると日ごろのネジれた気分がスナオになるのだ。

私がこの花を知ったのは、仙チョン時代に松尾芭蕉の足跡を辿った時であった。 日曜日に出勤すれば支店の社員達にプレッシャーを与えるよと諭されて、しかし小人閑居して不善を為すのも不本意意だから、とにかく近郊を歩くことにしたのである。 「奥の細道」はそれに最適であった。 その頃は、芭蕉があの旅に出発した年(1698)から丁度 300年に当ってもいた。

「早苗とる手もとや昔しのぶ摺り」・・、 この句も、彼が数々の「歌枕」を尋ねて、当時既に変わり果ててしまっていたそれらの遺跡を見て嘆じたもののひとつである。 解説書無しでは、私共にはとても味わえない句の一つだ。 しかも、不注意に読み飛ばすと間違ったままの知識を引きずることになる。 実は今まで私はこの句から、単にねじれた野の花の風情を連想していたのだが、芭蕉の思いの対象は文字摺石という、絹織物を叩いて摺って染めた(ねじれ模様が浮き出た)台石のことのようだ。 使われた染料は「しのぶ草」だそうで、ネジバナとは関係が無い。 またその布は奈良・平安時代にもてはやされたのだが、やがて廃れて、芭蕉が訪れた時にはその石さえ打ち捨てられていたのだ。

おまけに、後世の誰かが 「ネジバナ」 のことを洒落て 「もじずり草」 などと呼んだものだから、誰かみたいに歌碑の周りでネジバナを探すことになるのだ。  ・・なんてひねくれていないで、芝生に伏せて素直にその花を見るとしよう。 まさしくラン科の花だと言うことが分かる。 そして、この花には左巻きと右巻きとがあるのだと言う・・?。 なるほど違いはすぐに分かるのだが、いったいどちらが右巻きでどちらが左巻きなのだ?!~~

注);上記の疑問に対して、後日多くの方から色々な情報を頂いた。 中でも、中学生の研究発表(新潟日報2003)と、あるお方の 「右・左」問題について という文章が面白い。

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2006年6月20日 (火)

嫁達との旅は幸せ

(以下は、今回のケアンズ旅行の思い出のトリを妻に書いてもらったものである)

さてどんじりに控えしは・・ と言いたい所ですが、二人の娘の上手な文章と、主人の詳しい説明に、私の出番がなくなってしまいました。

世間では嫁と姑は仲の悪いものと相場が決まっていますが、親・姉弟に縁の薄い私にとって息子の嫁は大切な大切な娘、その二人が会えるのは、盆・正月の忙しい時ばかりで、今迄余り親しく話す機会がありませんでした。 何とか二人が本当の姉妹の様に付き合ってくれたらとの思いが、今回の旅行の第1目的でした。 二人とも私の思いが通じたのか、旅行中私たち親の存在を忘れたかの様に自由自在に仲良く動き廻っていました。

私達夫婦は今迄に何回も海外旅行をしましたが、主人は、必ず案内される免税店の買い物が苦手なので、今回は、娘達には思う存分買物出来る様、自由時間を与え、その間、主人と私は海辺の干潟で餌をついばむペリカンや白サギを見たり、泥の中にもぐり込むカニやムツゴロウ?など、のんびり眺めるひと時を持ちました。

Rainbow 早朝、ホテルのベランダからは、手をつないで散歩する老夫婦や身軽な格好でジョギングする人など、我々の旅行とは少し違った時の過ごし方をしている人を多く見かけました。盛り沢山のスケジュールも一つずつ楽しい思い出ですが、時には時間を忘れて美しい景色を眺めるのもよいものですね。

沢山のお土産と楽しい思い出が一パイでトランクが閉まらない程だと言う娘達の言葉を聞いて、今回の旅の成功を嬉しく思うと共に、何から何まで計画・準備してくれたお父さんに感謝々々です。 次回は何処に連れて行ってもらえるのかナ・・・。 お父さん、どうぞよろしくお願いします。

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