「ちりとてちん」 と 「赤毛のアン」
毎日が日曜日状態を結構楽しむおじんだが、今日みたいに本当の日曜日は何だかつまらん。 「ちりとてちん」 の放送が無いからだ。 これは三味線の音からきた言葉だと思うが、今ネットで検索すると、NHKの連続テレビ小説の話ばかりがヒットしてくる。 それもこのドラマの好感想を記したものが殆どで、皆さん 様々な立場から書いておられるのだがどれにも共感してしまう。
ドラマは3月いっぱいで終わるのだが、それが惜しく思われるほどにとても内容が濃くて深い脚本だ。 バックに流れる音楽も素晴らしい。 過去の大阪発の連ドラにも感じられたことだが、演じている人々や製作している人々の熱気が溢れ出ていて、全く関係の無い世界なのに自分もついドラマの中に入ってしまっている。 特に糸子母さん(和久井映見)には惚れ惚れしちゃう。
加えて、この話の筋や舞台や人物名など、更にセット内のちょっとした張り紙の中までに盛り込まれた伏線を知るだけでも幸せな気分になれる。 実はこれとは全く違う世界なのだが、カナダの作家 ルーシー・モード・モンゴメリ の 「赤毛のアン」(1908) を思い出す。 ドラマの方の主人公 「若狭」 は心配性で自分への引け目だらけだけど、好きなことには突き進む。 名作の方の 「アン」 は髪の毛にも容貌にも強いコンプレックスを抱くが、正直でおしゃべりで空想好きで前向き。
それに 「アン」 の原著にも とても豊富な伏線が盛り込まれていて、ここ十数年来このことを (ITを駆使して) 研究されている 松本侑子氏 の翻訳が手元にある。 村岡花子氏 の名訳(1952)が出た時代には、これは少女小説で、男はこれを読むのが恥ずかしいともいわれたのだが、松本訳に付いた伏線の解説を見ながら読むとおじんでも幸せな気分になれるのだ。
ところで落語界では、腐った豆腐を名付けて 「ちりとてちん」 としたダマシ話があるが、これを聞いたら沖縄の 「豆腐よう」(←私の大好物) が泣くに違いない。
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