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2008年2月17日 (日)

「ちりとてちん」 と 「赤毛のアン」

Photo 毎日が日曜日状態を結構楽しむおじんだが、今日みたいに本当の日曜日は何だかつまらん。 「ちりとてちん」 の放送が無いからだ。 これは三味線の音からきた言葉だと思うが、今ネットで検索すると、NHKの連続テレビ小説の話ばかりがヒットしてくる。 それもこのドラマの好感想を記したものが殆どで、皆さん 様々な立場から書いておられるのだがどれにも共感してしまう。

ドラマは3月いっぱいで終わるのだが、それが惜しく思われるほどにとても内容が濃くて深い脚本だ。 バックに流れる音楽も素晴らしい。 過去の大阪発の連ドラにも感じられたことだが、演じている人々や製作している人々の熱気が溢れ出ていて、全く関係の無い世界なのに自分もついドラマの中に入ってしまっている。 特に糸子母さん(和久井映見)には惚れ惚れしちゃう。

加えて、この話の筋や舞台や人物名など、更にセット内のちょっとした張り紙の中までに盛り込まれた伏線を知るだけでも幸せな気分になれる。 実はこれとは全く違う世界なのだが、カナダの作家 ルーシー・モード・モンゴメリ の 「赤毛のアン」(1908) を思い出す。 ドラマの方の主人公 「若狭」 は心配性で自分への引け目だらけだけど、好きなことには突き進む。 名作の方の 「アン」 は髪の毛にも容貌にも強いコンプレックスを抱くが、正直でおしゃべりで空想好きで前向き。

Annedvd それに 「アン」 の原著にも とても豊富な伏線が盛り込まれていて、ここ十数年来このことを (ITを駆使して) 研究されている 松本侑子氏 の翻訳が手元にある。 村岡花子氏 の名訳(1952)が出た時代には、これは少女小説で、男はこれを読むのが恥ずかしいともいわれたのだが、松本訳に付いた伏線の解説を見ながら読むとおじんでも幸せな気分になれるのだ。

ところで落語界では、腐った豆腐を名付けて 「ちりとてちん」 としたダマシ話があるが、これを聞いたら沖縄の 「豆腐よう」(←私の大好物) が泣くに違いない。

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2008年1月20日 (日)

今年の e-Tax (2008)

今年もその季節がやって来た。 比較的には小さいが ワタクシ的には巨大な納税額のおじんは、所得税の確定申告の経験は17年で、内 e-Tax の経験は2年である。 その3回目の今年、私には一つ課題が増えた。 公的個人認証サービスの電子証明書の有効期限が一年前に切れているので先ずこれを取らねばならないからである。 切れたら直ぐに再申請を・・、実はしなかったのだが、理由は前にこのブログに書いた。 有効期間3年の証書を毎年たった一度しか使わないのなら、両3年の間に1年の休眠期間を挟んでもいいのだ。

ところで、確定申告は毎年2月中旬から3月中旬までだが、件の証書の再取得はこのタイムスパンの中でなるべく後ろの日がいい。 そうしないと、3年後には (証書の期限が来るので) 申告の日取りに余裕が無くなるからだ。 実は4年前に私が初めての住民基本台帳カードと共にその(チップの)中に公的個人認証の電子証明を入れてもらった時は、このタイミングに気付かずに、確定申告の受付初期にそれをしたのだ。 だからそれから3年後の昨年2月16日は大慌てであった。 その日に e-Tax の送信が上手く行かないと、個人認証の有効期限が来てしまうからだった。 幸い大過無くやれたのだが。

Etax2008 さて今年のタイミングはどうなっているのだろうか?。 そこで知りたいのは 「 e-Tax による(非還付の場合の)申告の受付開始日時 」 である。 実は昨年も分かり難かったことだ。 今、「確定申告」 をキーワードにして Google で検索するとトップに出てくるのは 「申告・納税は e-Tax 」 という国税庁の特設ページでへのリンクである。 そこへ飛ぶと、今年のイメージキャラクターは昨年の大河ドラマの信玄の正室役の 池脇千鶴 さんだと分かる (右上の画像)。 それはさておき私が求める情報はうまく見つからない。 いや見つからないのではなくて、それらしい情報があちこちに散乱していて、おまけにそれぞれがお役所的文言なので求める側に対して必要十分ではないのだ。

ちなみに、ここ①(本文10行目) と、ここ② と、ここ③ と、ここ④(本文終段) と、ここ⑤(質問1) と、ここ⑥ とは何れも国税庁のサイト内のページで、申告関連の受付日時に付いての記載がある。 これらを見れば見るほど、私の疑問であるところの 「 e-Tax による(非還付の場合の)申告の受付開始日時 」 は、はっきりしなくなってしまうのだ。 「 世界一便利で効率的な電子行政 」(本文11行目) の実現を目指すのだから、こんなに入れ込み過ぎのセクショナリズムでサンバラになっちゃったページ群を作らずに、善良なる市民が持つであろう疑問に的確に応える情報を整理整頓しておいてほしいものだ。

注 ; ちなみに上記の問いに対する昨年の正解は 「2007年2月16日00時00分」 であった。 IT の時代なのだから夜中の零時でも結構である。 が、その案内はかなり深いところまで調べないと見つからなかった。 今年の正解も上記と同順であろうが、そのことを「明示」する案内は今のところどこを探しても見つからない。 国税庁のQ/Aページから送った質問メール(1/20)への回答(1/21)によれば、当該サイトのトップの 「お知らせ」 を読めとのことである。が、時刻まで明示した答えは見つからない。 おじんのような一般市民は頭が悪いのだ。

2006年の関連記事はこちら→ e-Tax(06.01.12)続e-Tax(06.02.16)続々e-Tax(06.04.21)

2007年の関連記事はこちら→ 今年のe-Tax(1)(07.02.04)同(2)(07.02.16)同(3)(07.02.17)過ぎてなおセキュリティー (07.02.21)Javaテクノロジー (07.02.27)今年のe-Tax(4)(07.02.18)

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2007年11月10日 (土)

ペットとコンパニオン

Photo 我が家に新しい犬が来てから1ヶ月が経った。 そのボーダーコリー 「小太郎」 は、私共老夫婦にとって時にデレデレの愛玩動物(ペット)であり、時にしみじみとした伴侶動物 (コンパニオンアニマル)である。 ただこの呼称は二つとも、聞く立場によって意味が大きく違ってくる。 動物愛護家が聞く場合と、すごいワルおやじが聞く場合とである。 後者の場合についてはさておいて、今日は前者のことを考える。 家庭で飼う愛すべき動物たちを 「ペット」 などと呼ばずに 「コンパニオンアニマル」 と呼ぼうという動きについてである。

それは随分前から提唱されていたのだが、なにせ提案語の方が10文字もあるので中々市井に定着しない。 元が2.5文字なのだからそれに代わるには、3文字程度、即ちブログ(=ウェブログ) や メタボ(=メタボリックシンドローム) のような 「短語」 でないと中々ブレークしないのかも知れない。 今ネットで 「コンパニオンアニマル」 を検索すると、非常に沢山のページがヒットして来るのだが、それらのサイトから 「ペット」 という言葉がきれいに消えている訳ではない。

この呼称変更の提案は、日本では今でも盛んなよう (例1例2) だが、欧米のサイトを調べると、この二つの言葉にはそれぞれに意味があるものとして今もちゃんと使い分けられているようだ。 例えば米国農務省の動物保護条例 (Animal Welfare Act) では、対象となる動物群を 「Wild Animals(野生)」・「Exotic Animals(外来)」・「Farm Animals(牧畜)」・「Research Animals(実験)」・「Zoo,Circus and Marine Animals(園・演・海洋)」・「Companion Animals(伴侶)」 等に分けて定義していて、その最後の群の中に 「Pet Animal(愛玩)」 なる用語が状況に応じて使われていて分かりやすい。

同じ配偶者なのに、うちの 「主人」 やら 「ダーリン」 やら果ては 「やつ」 までと状況に応じて様々に呼称されるのと同じで、要するに使う人の気分次第で決まって行くのだろう。 なるほど、現在の我が家の 「ペット」 は双方の 「伴侶」 の座を占有しきっていて、これではいい躾など望み薄だ。

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2007年9月24日 (月)

我がプリウスの2年間

Priusnenpi 私の愛車プリウスは、間もなく購入後2年になる。 前に書いたようにこの車は、前進する時は 「名車」 であり、バックする時は 「迷車」 である。 そして、走行時に静か過ぎるのは時に要注意!、時に痛快!である。 「燃費の優等生」 なのに 「バックの問題児」!?・・・、でも問題なのは、加齢のせいか、とみに首の回りが悪くなった運転手の方なのかも知れない。 よって今日は、ここ2年間の燃費のことだけを書く。 右上のグラフ(クリックすると拡大する)は、我が 「名車」 の、購入してから今日までの燃料消費率の推移をプロットしたものである。(その最新版を ここ ←に格納してある)

これは、毎回の給油を満タンにすることにして、その量と当該走行距離から計算したもので、演算と図化は我が愛用の ロータス1-2-3 によった。 実は、プリウスの計器盤にも燃費のインジケータが付いているのだが、私はその計測のメカを知らないので、それと実際とのズレを知ることにも興味があった訳だ。 さてこのグラフから伺えることは、先日まで猛暑だったのにそれが燃費に影響していないで、かえって真冬に率が落ちていたこと、私共シニア夫婦の日常用でも燃費の総平均(生涯平均燃費)が 20Km/L 近くになっているということ、そして、計器盤の値の方は実際よりやや良く出ていること、などである。

ネットを検索すると、プリウスの燃費についてのサイトがいっぱいヒットする。 それらには、燃費向上のための運転テクニックが紹介されている。 多くはマニアックに過ぎて、まるで燃費向上のためにドライブに出掛けているようなのもある。 前にも書いたが低燃費のためのおじんの哲学は、「セーフティードライブ が即ち エコドライブ だ」と言うことである。 そして今回の新発見は、一般に言われているところの 「(夏の)エアコン使用は燃費の敵。 冬の暖房は(エンジンの熱を利用するので)あまり燃費に影響しない。」 と言う「常識」 が、少なくとも私のプリウスではまったく反対の傾向になっていると言うことであった。

更に今回、ある機関紙(脚注)を読み返してみて、我がドライブ哲学にやや幅が付いて、そして一つ目を覚まされたことがある。 即ち、「タイヤの状態は適切か?」 ・ 「要らぬ荷物は積んでいないか?」 ・ 「最近の車(のエンジン)は暖機不要!」 などの事柄であり、更に目を覚まされたのは、「むやみに車に乗るな!。 乗るなら計画的に」 なる指摘であった。 そうだ!、名古屋のトシヨリには 「敬老パス」 があるではないか!。

注 ; 日本自動車連盟 のジャフメイト"JAF Mate" の連載記事(2006.10~2007.8-9)

過去の関連記事 ; 名車プリウス(2006.04.18)ハイブリッド今昔(2006.04.19)迷車プリウス(2006.04.22)

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2007年8月 3日 (金)

伊豆の土木遺産

久しぶりに伊豆を訪れた。 前回ははるか36年前で、愛車ファミリアクーペの後部座席を板+マット敷きに加工し、未だ幼児だった二人の息子と義母とが横になれるようにして、開通2年目の東名高速を走ったことになる。 この偉大なインフラストラクチャーを利用するのに、当時は 名古屋IC から 沼津IC まで 1,450円、現在は 5,100円 だが、例の痛快な ETC の告知音に酔わされて値段の方はよく聞こえなかった。

さて、土木屋にとって伊豆は見るべき施設の多いところだ。 今回初めて訪れた 「韮山の反射炉」 をはじめ、どれも偉大である。 現に働いている施設を 「遺産」 と言うのはおかしいかも知れないが、伊豆にはそういうのも多い。 今回は関わらなかったが規模で言えば、ともに並行して伊豆の函南町の下を走る JR東海道線の 丹那トンネル(7,804m) と新幹線の 新丹那トンネル(7,959m) が先ず挙げられよう。 が、なにせ地中の施設であるからか、今 地図を広げても観光向けのポイントは何も見つからない。 「函南町大字上沢字新幹線」 という珍しい地名が目を引くのだが、町の公式サイトにもその案内は無い。 ただ、反対側(東口)にある 丹那神社 のサイトが興味深い。

そして今回は念願の 「天城山隋道」(1904) を訪れた。 これは道路トンネルで、上記よりぐんと小さいのだが、石造りとしては国内で最も長く (445.5m)、道路トンネルとして初めて国の重要文化財に 指定(2001) されている。 暗くひんやりとした中を車でそろりそろりと通過したのだが、開通以来100余年、明治の工人たちによる 「切り石巻き工法」 の 馬蹄形断面の中の、堅固な壁面を見ながら歩いて行き来した、往時の旅人のさまざまを想った。

Kanogawafloodway もう一つ(←クリック)、伊豆には巨大な 「水のトンネル」 がある。 この 「狩野川放水路」 は土地の人々にはもちろん知られている筈だが、観光案内にはあまり登場していなので、道を何度も間違えてしまった。 この 中伊豆地域 を北向きに流れる 狩野川 の下流部分は曲がりくねっていて、洪水が起きやすく、このためにその 17km 分をたった 3km の放水路(トンネル部分もある)で山を抜いて、駿河湾へ向けて ショートカット した(1965)ものだ。 洪水時には最大毎秒 2,000トン の濁流がこの人工水路を走るという。 公式サイトではそのライブ動画を見ることも出来るようだが、幸か不幸か普段は水の流れが無いので当日は見られなかった。

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2007年3月 5日 (月)

おこしもの と ぼろ

「おこしもの」 と 「ぼろ」、今朝の NHKラジオ でこの二つの言葉を聴いてとても懐かしい気がした。 前者は うるち の米粉を熱湯で練って色々な木型で整形して蒸してさまして (清水中に) 保存し後日これを焼いて砂糖醤油を付けて頂くもので、桃の節句にだけ作った 押し餅 の一種である。 後者は もち米 で餅を搗いて伸ばして固めて細かく切って保存し後日 焙烙(ほうろく) で煎って頂いたもので、暮れの餅搗きの時などの付録レシピと言ったところだ。

今はほとんどの家庭で消えてしまったものだが、最近 「おこしもの」 が季節限定ながら近くのスーパーで見つかるようになったのが嬉しい。 その思いは私のみでなく、戦前生まれの愛知県人なら皆持っている筈だ。 他に、今でも盛んなものに 「焼き芋」 があったが、私の場合のそれは、ご飯炊きや風呂沸かしを引き受けて かまど の中の稲藁の おき火 を確保してはじめて得られる楽しみであった。

「ぼろ」 については、それは佐賀名産の 「ボーロ」 とは別のもので、ネット上では、その語源も謂れも見付からなかったが、思いがけないところにそれが登場していることを知った。 それはあの 「ごんぎつね」 を著した児童文学作家 新美南吉小説「川(A)」である。

私の子供時代はお菓子は買って食べるものではなく、母が作ってくれるものだった。その母も農作業に忙しくて、作ってくれたのは秋の収穫後の 「ぼたもち」 と、年末の 「餅」 や 「ぼろ」 と、春の 「おこしもん(三河弁)」 だけで、それも我が家では貴重品だった。 こうした懐かしい郷土の食べ物の復活がこれから盛んになるような予感がする。 今検索をしてみると、あちこちで、若いお母さん達のブログのテーマになっていて好ましい。

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2007年1月20日 (土)

ビスタ遠望

今月末にパソコン用OS(基本ソフト)の Windows Vista が発売されるらしい。 新しいものが大好きな人には、約5年ぶりのワクワクするイベントになるのだろう。 家電店の広告を読むと、まるでもう Windows XP はオシマイだと言っているようにも見える。 でもそれは、これからパソコンを新調しようとする人にとっては正解と言えるかも知れないが、おじんのように Windows 以前の BASIC(正確にはOSではないが) の時代からのユーザー(1980~)としては今 トキメクものは何も無い。 むしろ、過去にあったように、新OS のために 旧OS へのサポートがないがしろにされるのではという心配の方が先にたつ。

既に現役を引退していても、私の場合、パソコンは生活の必需品である。 世界中の愛犬家とメール(例1例2)をやり取りしたり、庭の花のデジカメ写真を楽しんだり(例1例2)、手紙や賀状を作ったり、ささやかにホームページを運営したり(例1例2例3例4)・・・と、様々な生き甲斐を与えてくれている。 さらに、日常の諸料金税金の支払いも、好きな旅行のための事前調査も手配もこれでやれる(例1例2)。 昔懐かしいプロジェクト現場の今の姿(衛星画像)もこれで見ることが出来る(例1例2例3例4例5例6)。 確かに、これらの便宜の多くは、Windows 98 から XP に替わってから更に快適に使えるようになったものだ。 それでは、今回の XP から Vista への変更で新しく登場する便宜とはどんなものなのか?。

華やかな ユーザーインターフェース だとか、強化された検索機能だとか、喧伝されているそれらの新機能の中に おじんが ビビッと感じるものは何も無い。 それは、私がまさしく「おじん」だからと言えばそうかも知れない。 それでいいのだ。 私の場合の新OS とは、旧OS を棄ててまで買うものではなく、愛用のパソコンがスリ切れて動かなくなった時にやむなく購入する新機に付いてくるところの、その日までに先人諸氏が汗と涙で使いコナしておいてくれた OS のことなのだ。

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2006年12月 1日 (金)

巨大なダリア

Dahlia 名古屋市民は65歳になると 「敬老パス」 を持てる。 所得に応じて若干の自己負担が要るがそれでも助かるし、毎年お盆の頃になると最寄の郵便局で更新してもらえるから便利だ。 女性の年齢を言うのは・・だが、この夏から妻ももらっている。 そこで先日、一緒にこれを使おうと我が家とは反対側の郊外にある緑地公園に出掛けた。 その一帯は、洪水時には遊水池になるのだそうだが、普段はきれいに整備された総合公園で、あちこち歩いてとてもゆったりした時間をもらった。 左上の写真は、帰り際にその正門付近で見た、巨大なダリアの植え込みである。

この 「木立ダリア or 皇帝ダリア」 を、私は今日初めて見たのだが、以前その苗を園芸店で見たことがあるという妻も、これほどに巨大になるとは知らなかったらしい。 説明板には、こちらの方が古くて一般のダリアの原種なのだとあってなお驚いた。 原産地はメキシコらしいが、いつ、どこを経由して、誰たちの手によって、現在のような色とりどりでかわいいダリアの花々になってきたのであろうか?。 その名は、手元のぶ厚い園芸書にも載ってないので、例によってネットで調べてみたのだが、興味はいつの間にか日本のお花の歴史に向かっていた。

当たり前だが、花は有史以前から野に咲いていた。 それを糧や薬として食べた動物は他にも居ようが、唯一人間はそれらを愛でることが出来、そして自分達の生活の中に取り込んできた。 その文化史を辿れば、多分、言葉や文字の歴史にも劣らない多様さなのであろう。ちなみに 「万葉集」 の中に詠まれた植物は 150種 以上だというが、それらは多分栽培されたものでは無く、みな自然の中にあった筈だ。 そして、仏教伝来と同時にもたらされた 華瓶(けびょう)は、燭台 ・ 香炉 と合わせて(仏前の)三具足 と言われるが、これが日本での最初の花器であり、聖徳太子がこれに花を生けたという飛鳥時代の記録があるらしい。

室町時代の 「阿弥」 とはそもそも花を生けるのを職業とした人だということ、江戸時代に日本の園芸が文字通り大きく花開いたこと、幕末にドイツ人シーボルトが 「日本植物誌」 を著して日本の花々を西欧に紹介したこと、その頃から花卉・球根の輸出入が盛んになったこと、戦中には日本中のガラス温室が (敵機からよく見えるので) みな壊されたこと(脚注参照)・・・。 そして今、手元の園芸書の目次を数えるとその花卉植物名は 約2千5百項目 もある。 ちなみに、チューリップやカーネーションはもちろんのこと、アザレア・アマリリス・ガーベラ・グラジオラス・ゼラニウム・ストック・スターチス・ダリア・ヒヤシンスなども、名前はみなカタカナだが、戦前から日本にあった花々なのだと言う。

注);名古屋東山動物園には戦時中に象の命を救った話がありその余話も多いが、同植物園の方は軍の圧力に抗してあの大きなガラス温室を壊さずに守った。来春の築70年に先立ち、この度これが国の重要文化財に指定されることになったようだ。

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2006年11月17日 (金)

猿神退治

日本の昔話の中に 「猿神退治」 という類型がある。 村の未婚の娘を、生贄(いけにえ)として毎年要求してきた 「猿神」 を、旅の男(例外もある)がみごと退治する話で、全国に色々な内容で伝わっているらしい。 最近私は、それが素朴に伝承されている場面に出会った。 11月はじめに、高山市荘川町(旧荘川村)で催された 「荘川再発見ウォーク」 に参加したからだ。 昨年から地元の体育指導委員の皆さんが 「荘川新そば祭り」 に時を合わせてやっておられる行事である。 快晴のもと 秋の彩りが始まった荘川沿いの 7km の遊歩も嬉しいものであったが、コースの途中で聞いた民話の方に密かな興味があった。

Sarukami それは、荘川インターチェンジのある 「猿丸」 という土地に残されている 「猿神」さん という 祠(ほこら) を前にして聞いたお話のことである。 実は、私がこの地名を知ったのは、今から二昔も前、この地域で山小屋を作るのに相応しい土地を探していた時だ。 そのころから愛読していた、司馬遼太郎著 「街道をゆく」 の第4巻の中の 「郡上・白川街道」 にこの地名があって、以来、そこを通る度に、著者が著わしたあの奥深い人里の、何故かそこここに懐かしさ漂う風景を味わったものだ。

面白いことに、今回の民話の内容は、彼が紹介していた 「今昔物語」 の中の説話の内容とは主人公が異なっていた。 すなわち原著の中で、猿を退治した若い僧侶は、その民話ではなんと 宮本武蔵 になっていたのだ。 民話は口伝えで継承されるものだから、内容が変化するのは当然のことだろうが、実在の人物をして その人が来ていない土地に登場させることは、遺すべき文化としては好ましいことではないなと思ったのだが・・。

帰宅して、「街道をゆく」 を再び読んだり、ネットで検索して見ると、この種の説話についての研究や資料が実に豊富にヒットしてきて、驚いてしまった( 例1例2例3 )。 これによく似た話は類型的に 「猿神退治」 とか 「猿の経立」 と呼ばれていて、あちこちに流布しているのだという。 ちなみにこの場合の 「経立」 の読みは 「ふったち」 又は 「ふったつ」 であり、「年を経て立ちはだかるほどになった妖怪」 という意味らしい。 しかしそのことは、昨日行った県立図書館のどの辞書・辞典にも載っておらず、帰宅してググってみて始めて分かったのだ。 かくして今や、世界を覆う IT の巨大な館(やかた)は、古い日本語の検索さえも一般の図書"館"より強力な環境下にあることを実感したのである。

注) ; 今昔物語集巻第二十六 「飛騨の国の猿神、生贄を止めたる語」 の現代語訳は多数の国文学者によって出版されているが、これらをそのままサイトに転載することは許されないので、自分の言葉で意訳して、荘川が大好きだった愛犬のHPに載せることにした。 少しずつなので未だ途中である。  なお、上記の説話例1、2、3は、離れた場所で一つのお話が別の主人公名で伝承されているもので、そのお陰で両地が姉妹都市になったと言う珍しい例である。 更になお、これら 「猿神退治」型説話 の起源は中国の 猴娃児娘(ほうわるにゃん)型故事 だとも言われている。  

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2006年11月 3日 (金)

無償のIT、グーグル

前の記事で 「タダほど高いものは無い」 ことを書いた。 世の中をネガティブに眺めればこう言う話はいっぱい見付かる。 だが、そんな観念だけで毎日を生きるなんて寂しいことだ。 いや、昔も今も 「無償のアイ」 に通じるお話はいっぱいあるではないか。 と、ここまで考えて 最近の IT の場における 「無償」 のことに思いが至る。

それは今 インターネット界 を席捲しつつある グーグル社 の諸サービスのことである。 数年前、痒い所に手が届くような結果を並べてくれる検索サービスに出会って、しかもそこでは目障りな広告が現れないことに驚いたものだ。 広告を載せなくて何で無料のサービスがやれるのかと不思議に思った。 そして、これほど優秀な検索ロボットのことだから、こちらのことをちゃんと見通しで、いつか請求書を送り付けてくるのではと不気味に思ったものだ。

インターネットの黎明期、それを未だ パソコン通信 と呼んでいた 90年代初期に、私は NIFTY-Serve 経由で CompServe の科学技術情報の検索を利用していたのだが、あの頃は全てが有料であった。 回線(電話代/時間)も、接続(ネット利用/時間)も、検索(情報料)もそれぞれ別々に課金され、(真面目な)ユーザーは如何に手早く情報源に行き着き、素早くそれを取り出し、済んだら即電話を切るか の技を磨いたものだ。 今は、時間当たりの課金はそれこそ 「¥0」 に等しく、「情報を金で買う」 と言うのも死語になったみたいだ。

単に 「優秀な検索」 のみならず、グーグルのサービスの拡大は続いている (例1例2)。私も Google Earth で居ながらにして地球上の旅を楽しませてもらっている。 また先月の南ドイツの旅での写真集を CD に載せて、嫁たちに配ったのだが、パソコンに挿入すれば自動的にスライドショーが始まるという便利なものだった。 これも Google によるフリーソフトの一つのほんの一部なのである。 その拡大ぶりは、おじんにはもうとてもついて行けない程だが、いったいこれから先どうなって行くのだろうか?。

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2006年10月25日 (水)

タイのシンカンセン

今朝の東海道新幹線静岡駅での人身事故は、こともあろうにJR職員の飛び込み自殺らしい。 死者に鞭打つ気持ちは更々無いが、若しこれが大きな事故になってしまっていたらと思うと慄然とならざるを得ない。 「 開業以来、(車内の)乗客の死亡者ゼロ 」 という偉大な記録を更新しつつある日本の新幹線を、彼はどう思っていたのであろうか。 この安全運行への努力は、機械・電気・土木・運行管理・人事管理・IT 等々の諸要素を集大成しつつ現在も組織をあげて続けられていると言うのに。

新幹線を shinkansenn と書いて シンカンセン と読むと、これはもはや国際語である。これを十分知り、傾注する人は、鉄道関係者のみならず世界中に沢山居る (例1) (例2) (例3) (例4)。 東京オリンピック開会直前の 1964年10月1日 に開業して以来 今日まで延走行総距離は 数十億km に及ぶ筈で、地球と月を 数千往復 した距離に相当する筈だ。 日本が誇れるものは数々あろうが、これこそ非常に大きな誇りであると皆が思い、鉄道安全への国民的な協調を持ちたいものだ。

この事実と、欧州諸国でのいわゆる新幹線事故の多さとを比較すると感慨はなお更である。 一方、昨夜の報道によれば、台湾の新幹線の開通は既に1年遅らされて来たが、更に遅延するようだ。 遅延の不名誉などは気にしないで、安全のために十分な準備をしてほしいものだ。

Shinkannsen_1 ところで 一昔前に私は タイ国で、既に シンカンセン を見ている。 その名は、当時の日本の新幹線車両にとても良く似た食べ物に付けられたもので、私にはとても美味しいものであった。 その珍味は、チェンマイ近郊の水資源開発計画に従事していた時に王立灌漑庁の技師達が地元の焼き鳥レストランで、密かに教えてくれたものだ。 それは現地の竹藪に発生するものらしく、サイズは右上の写真のよりはるかに小さくて色は白かった。 椰子油で炒めて皿にいっぱい盛られて供されたが、私の大好きな シンハビール にとてもよく合った。

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2006年10月15日 (日)

旅先のインターネット(3)

「ホテルの無線LAN 無料編」

インターネットから離れられなくなってしまった者が旅行に出掛ける時、先ずは行き先でのネット接続事情が気になる筈だ。 現在そのための情報は溢れるほどあるが、かなり古い内容のままで放置されているサイトが多い。 どなたかの昔の苦労話を参考に、接続のための諸道具を準備して出掛けても今や意味が無い。 個々の行き先での最新のネット接続事情を調べることが肝要なのだ。 一方、PCを持参することが面倒な場合は、出先の街に出てネットカフェを利用すればいいのだが、日本語環境が使えないことがあるので注意が要る。

行き先別の情報を・・ と言ってもそれは地域とか国とかの違いのみではなく、今や滞在する個々のホテルによって大きな差異が出て来ている。 その点、以前はモジュラージャックを揃えて行って電話代だけを覚悟すればどこでも使えたのだからかえって分かり易かった。 が今は、なんと諸道具も電話代も要らない場合があるのだ。 今回の滞在地ローテンブルグのホテルで 無料の無線LAN を利用出来たのがそれであった。 現在、あちらのホテルのサイトでよく見る "Free Wiress LAN" のサービスのことである。

Mittermierandpost 要するにこれは、ホテルが自家用に付けた無線LANを お客さんにも開放するというものである。 だから、「あなたのラップトップも繋げられる可能性があります!」 という、ちょっと不確かな宣伝文句になる訳で、部屋によっては電波が弱くて使えないことになる。 私が泊まったホテルではそのためにちゃんとロビーに事務スペースがあって、快適に使えた。 なお、ホテルから貸与された LANカード を使う必要はなく、我が ノート に内蔵された 無線LAN機能 がそのまま使えた。 ここでの便宜が、今回の旅行の ネット接続 のベストな例であったと思う。

注); このホテルの場合は、インターネットに繋げているシステムが、 IPアドレスも DNSサーバーのアドレスも WindowsXP が自動的に取得するのではなく あらかじめ決められたものを PC に設定しておく方式だった。 渡されたマニュアルは英語だったが、中の図は見慣れたものだったから、Windows の世界の汎用さを実感しつつ簡単にやれた。 数日の滞在中、夕食後にロビーで受発信を行い、それを部屋でゆっくり処理して、明早朝に再びロビーで発信をするというスタイルをとったが、旅行の疲れを増幅することもなく至極快適なメール処理と幾つかのサイト管理が出来たと思う。

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2006年10月11日 (水)

欧州分水嶺

Wtrshedpost_1 私共の南独の旅の第4日目はロマンチック街道の中央部、ローテンブルグネルトリンゲン の間を往復した。 街道の公式マップには、この区間上で ライン流域 から ドナウ流域 への 欧州分水嶺 が横切るとの一文がある。 水資源開発の仕事をやってきた身にはとても興味があることだ。 しかし、その地図上には何のマークも無い。 経験上、5万分の1地形図でもあれば容易に見つけることが出来るのだが、観光用の地図では全く判別出来ない。 そこで助手席の妻に 「ライン/ドナウ (Rhine/Donau)」 と大書した道標が立ってる筈だから注意しているように頼んだ。 妻は生来近眼だったのだが、最近は遠くも見えるようになった!らしいので。

ところが、それらしいものを発見出来ないままに、道は既に ドナウ源流 の一つである ヴェルニッツ川 を渡っているではないか。 日本でなら、「分水嶺」 と言えばあちこちで観光ポイントになっていて、それらは当然のことながら 「峠」 を横切っている。 欧州のアルプス一帯でも同様であろう。 ところがこの広大な大陸部分を流れる ライン河 と ドナウ河 との流域境はそれほど明瞭では無いらしい。 現に、標高がはるかに高い ドナウ の水が地下水になって、それよりぐんと低い ライン側 へ隠れて大量に流れているのだといい、これを 「流れの横取り = Stream Capture 」 と呼んでいるのだそうだ。

今回の旅では、後日、ドナウ の主たる源流である 「黒い森地帯」 を走ったのだが、そこから ライン河 に向けての急な長い下り坂でその落差を実感した。 ただし、当日の興味は地上の分水嶺を見付けること。 帰り道、ディンケルスビュール を過ぎてしばらく、後続の車が明らかにイライラしてるのを感じながらも、根性の低速走行で遂に発見したのが写真の道標である。「 Europauische Wasserscheide = European Watershed = 欧州分水嶺 」、その意味はとても大きいのに道標のサイズはめちゃ小さいものであった。 しかも、その設置場所は正しく峠の位置だとは思えないところで、もとより地理用語に弱い妻は、ますますワカランという顔をしていた。

Euwatershed 目を凝らしてくれた妻には申し訳ないが・・、道標の向こうが ラインの大地、こちら側が ドナウの大地、そこに立っただけで私は欧州大陸の大ロマンを実感したのであった。 そこに一緒に降った二粒の雨は、わかれ別れて、一つははるばる北海に、一つははるばる黒海に流れていくのだから・・。

注);上の衛星画像は、帰国後に GoogleEarth から撮ったものである。生憎、肝心のポイント付近の解像度が悪いが、あちらの分水嶺がおよそ 「峠」 らしくないところを走っていることが良く分かる。

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2006年10月 9日 (月)

船上の斉唱 「ローレライ」

Lorelei01 私共の南独の旅の第7日目はライン下りで始まった。 宿のある古都 マインツ もライン河畔にあるが、いい時刻の船が無かったので、やや下流の リューデスハイム から (コブレンツ まで) 乗船した。 その乗り場迄は早朝の国鉄とフェリーを使ったのだが、結局これでタクシーと国鉄と民間フェリーと (コブレンツの) 市営バスの利用を経験出来たことになる。 実は、国鉄ライン観光船 もインターネットで予約も発券も出来るのだが、予約ではかえって時間に縛られるので、なりゆき買いをしたのである。 これで一つ得をした。 月曜と金曜は窓口で、60歳以上だと宣言すると船賃が半額になると知って、ちゃっかり利用したからだ。

さて、ライン河下りのハイライトは リューデスハイム から ザンクトゴアール までと言われていて、事実この区間に数々の河畔の古城や かのローレライも眺められるし、日本からのツアーの殆どがこの前半区間で切り上げて行く。 私共が コブレンツ まで延ばしたのは、そこ迄が世界文化遺産の区間であることと、後半の (日本人団体が居なくなった後の) 静かさの中に本当の旅情が味わえると予想したからである。 予想通り、食事も そのオーダーを含めて (妻は肉類を受け付けないので、メニューを前にしてウェーター嬢にコンサルタンツをお願いするのが常だから) とてもゆっくりと出来たし、何よりも周りの席のオーストラリア人の団体が素晴らしいものであった。

彼らは途中の港 バッハラッハ (バッカスの祭壇という意味でワイン飲み達の聖地) から乗り込んで来たのだが、先ず全員デッキに集合して、間もなく船が ローレライ の岩崖に近づくと椅子から立ち上がった。 そして、あの歌の合唱が始まったのである。 聞いていてそれは真に ローレライ の爽風に相応しいものであった。 妻は感動してしまって、大きな声 (の日本語) で斉唱に参加していた。 私は慌てて、デジカメの動画機能を入れてシャッターを押した。 そのまま、メモリーがパンクするまで押し続けた・・♪。

Lorelei04 Sydney Wales Chore (ウェールズ出身で豪州シドニー在住の合唱団) というネームを付けた赤いユニフォームをみな着て、とても格好がいいシニア達に 周りから大きな拍手が贈られたのは言うまでも無い。 彼らは、先祖の国イギリスへの 30日のツアーの途中だとのことであった。 画像はその時の動画から切り取ったものである。 また下記の「ダウンロード」をクリックすると彼らの歌声が (前半20秒は英語で、後18秒はドイツ語で) 聞こえる。

ダウンロード LoreLai01.mp3 (572.2K)

注);下の画像の中の光柱は偶然に入ったものだ。右から左にカメラを回して、もはや船尾の向こうになってしまった ローレライ の岩崖にレンズを向けたら、突然雨上がりの空から差し込んできたものだ。 私共の旅の無事を祈っていてくれている多くの人々の有難いお気持ちがそこに光って見える気がした。

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2006年9月 6日 (水)

碧落の秋

「 深いふかい地の底を                     
  奈落とよぶように                        
  碧落とは雲の涯の                        
  遠い天の奧処をさすことばだと            
  だれがはじめにいったことだろう・・・。

作家 藤井重夫氏が1975年に書いた『終りなき鎮魂歌』という小説の最初に出てくる文章です・・・」

これは、私の次男が中国茶の喫茶店を開業した時 (2004) に、店の名前を 「Tea Bar 碧落」 とした理由をそのHP上に書いた文の頭の部分である。 初めて聞いた 「ヘキラク」 という言葉、その音感に奇異な感じを持った私は早速ネットで検索をしてみた。 が、今一つその世界が掴めない感じがしたので、その後何度も図書館に出掛けた。 調べるうちにその言葉の持つ不思議な深みに魅了されてしまった。 不肖の息子だが、この言葉を見つけ出した次男に感心して、当初の我が疑念が恥ずかしくなった。

奈落(=地獄) という語に対して 碧落 という語があるようだが、ただそれは単に天国や極楽のことを直接指すものではなく、そのような理想を求めて仰ぎ見る紺碧の天空を指しているのだと理解した。 その語を用いて、以降の漢文学や日本の古典文学にも影響を与えたのが 白楽天(白居易) の 「長恨歌」(806) であるという。 そこでは、亡き楊貴妃をなお求めて悲嘆に暮れる玄宗上皇のために修験者たちが 「上は大空のはて、下はよみの国まで探した=上窮碧落下黄泉」 ・・ と詠われている。

調べながら、往古からの文化を継承する先人たちの深い教養と粋な心に感動した。 それ程に深く考えたのではないであろうが、次男の店のHP作りを手伝いながら、そう命名した彼の気持ちが、多くのお客さんに末永く活きて行くようにと願った。 ・・ 今日は久しぶりの雨で寒い程だ。 もう秋なのだ・・。 晴れたら私も天空を仰いで 「碧落」を探してみよう。

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2006年8月24日 (木)

タカサゴユリ

数年前から我が家の庭にタカサゴユリが咲く。 植えたものではないのでどこからか種子が飛んできたのであろう。 この白い花は、私の小さいころの野山の思い出の中には無い。 調べると1923~4年頃に先ず台湾から観賞用に「移入」され、それが南西諸島にあった近縁種のテッポウユリと交雑されて1939年頃に新テッポウユリが出来たのだという。 私が生まれた年だ。 以来、これらが周辺の野山に野生化し、自然に交雑を繰り返してきて、現在は非常に色々な 「タカサゴユリ」 が見られるのだという。

ペーパードライバーの妻はいつも、助手席からの車窓に流れる道端の草花を見るのが好きで、年毎にタカサゴユリの咲く場所が移ろうのを覚えている。 東海北陸自動車道を飛騨方面に向かって登って行くと (国道管理用語では「下って行く!と」)、白鳥ICを過ぎるところで、今まで右左に見えていたタカサゴユリがピタっと無くなるという。 このルートでの(現在の)北限なのであろう。 原産地台湾ではかなりの高地にもあるそうだから、来年はどこまで登って行きなさるのか楽しみだ。

Takasagoyuri 左の写真は今年の我が家での二株である。 一方はいぶきの木の下から人間の背丈よりも高く伸び、一方は炎天下の芝生の中で太く低い。 とかく生き物に命名するのが好きな我が家では、後者は "ヒクサゴユリ" と呼ばれている。

タカサゴを漢字で書けば高砂、台湾のことだ。 そう言えば、並みの日本人よりも日本を良く知り深く愛してくれている台湾の人、李登輝前総統の訪日が中止になったらしい。 政治的な理由ではなく、体調不良だからという。 どうぞ、早く快復していつかまたお出でになって頂きたい。 日本として、いつまでも生きて頂きたい外国人の一人なのだ。 草草の中からやや背を高く伸ばして咲く、あの清楚で凛とした白い花を見てそう思った。

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2006年8月17日 (木)

お盆に思う

Heiwakouenn 私は次男であるからお盆の墓参りは(近くの)郷里に出掛ける。 父も次男だったから、その墓はいわゆる新家(しんや=分家)のもので、そこに眠っているのは父母と長兄だけである。 長兄は幼くして水難で亡くなった。 その数年後に生まれた今の兄が戸籍上の長兄となり、更にその8年後に生まれた3番目の私が次男と言う訳で、私の名前は1番目のと同じだ。 その分も長生きするようにという親の気持ちだったのだろうが、自分の名前を刻んだ苔むした小さな墓石を見ると、長雨の出水で近くの小川に流されてしまった幼き兄が脳裏に浮かんでキュンとなる。

そこが済むと市内に戻って、妻の両親の墓に出掛ける。 こちらも新家だったから二人だけが眠っている。 名古屋は戦後復興時の徹底した土地整理で墓地群が幾つかに統合されていて、どれも広大だが、中には今や持ち主不明で荒れてしまった墓石が目に付く。 郷里の墓地でもそうだったが、育った樹木が墓石に障るからか、以前はいい木陰を作っていたのがみな伐られてしまっている。 だからそのたたずまいはまさしく墓地であって、墓苑とは言い難く、こういう所で旧盆の酷暑にお参りをするのは辛い。 年に1度だから・・と言ってしまえば済むことだが、何だか潤いの無い風景なのだ。

幸か不幸か、私どもには定まった「青山」は無いのだから、ここらでそれについてゆっくり考えておこうと思う。 最近は葬儀もお墓も実に色々な型があるらしく、専門に研究している方もいればそれ専門のアートデザイナーもいる。 葬送からお墓までネット上で済ませてしまえそうなサービスもあるしなんと墓参の代行業さえある。 既にここも IT 新時代の只中なのだ。

注 ; この記事の書き込み後に妻が(年金手続きのために)戸籍謄本を取ったのだが、それを見たら、戸籍上は私はあくまで3男である、と言うのが正しいと分かった。 小学入学から今まで60年間、私の手続き書類にはすべて 「次男」 と書いてきたのだが、これは間違いだった訳だ。 いまさら直せないが、これからはどうしよう?・・「墓」に聞いてみようかしら!・・

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2006年8月11日 (金)

永遠なるダイエット

私の左脚には常にシビレがある。 いわゆる坐骨神経痛である。 5年前に、重い荷物を持ち上げようとして(再び)ギクっとなったのだが、そもそもの初回は30歳頃にやっている。 それで当時はきついコルセットを装着して仕事をしたものだが、32歳の時に乾燥地のイランの現場に赴任したら、初日から痛みは消えていて持参したコルセットは一度も使わずに済んだ。 だから私の 「ギックリ腰」 はもう直ったものと思っていたのだが・・。 現在の症状の診断名は 「腰椎椎間板症」 で、更に詳しく言うと 「脊柱管狭窄症」 らしい。 医者は言いにくそうに 「昔のとは関係無いかもね。今度のは歳のセイ・・」 とのたもうた。

歳が原因なら、年寄はみんな罹ってる筈だが・・と スネた気持ちになる。 天気の悪い(低気圧の)日に腰がドーンと重いのは昔と同じだ。 今は、好きな日曜大工で重いものを持ったり、背伸びをしてする作業が悪いようだ。 そういう時でもオーダーメイドのコルセットを着けると安心して仕事がやれる。 そして、最近分かってきたことが一つある。 思えばそれは、先のお医者様の忠告の中にもあったような気がするが、当時のスネた身にはその事がよく飲み込めていなかったようだ。

それは 「坐骨神経痛の重さ」 と 「体の重さ」 とは比例する・・と言うことだ。 以前、NHKの 「ためしてガッテン」 でやっていた 「ダイエットの秘法」 をためしてみて、そのなるほどの効果 (右下図をクリックされたし) と、確かにそのころには腰痛の思い出が無いことに、今気付いたのである。 ただし、その効果にいい気になってばかりで、いつの間にか秘法の励行を止めたら、ちゃんとリバウンドしてたことにも気付いた訳だが。

Taijuukiroku その秘法とは 「毎日、自分の体重のグラフを付けること」 だけ。 どんな食事をしろとかするなとか、どんな運動をしろとかなどということは二の次の課題であり、個々人のチョイスだという説明だった。 さて今 ネットで検索すれば、ダイエットに効く ○○ や △△ がゴマンとヒットするが、そんなものが効くのは 「おサイフの減量」 だけ。 それよりも、毎日右肩下がりの体重グラフを眺めることが出来れば、それがなによりの薬でありゴチソウなのである。 と、今日もガンバル私である。

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2006年7月23日 (日)

地上デジタル

今日から丁度5年後に日本のアナログテレビ放送は終了するという。 代わりになる地上デジタルテレビ放送は既に3年前に3大都市圏で始まり、今年末には全国の道府県庁所在地の全てに広がるらしい。 それでどうなるのか。 いつもはニュースとドラマと自然科学の番組だけくらいしか見ていない身には、デジタル化への効果がなかなか理解出来なかった。 それよりも、昨年にハブ空港が出来て、主要な航空路が遠くに移動したのでテレビ画面のユレが起きなくなったと喜んでいたところだ。

しかし何というタイミングか、最近、長年使ってきた愛機の調子が悪くなり、遂には画面も音声も出て来なくなってしまった。 そこでさて、新しいテレビへの必要な情報は連日の折り込み広告の中に溢れているのだが、問題はそのサイズであった。 妻は、売れ筋のサイズ以上のものに目が行ってしまうようであったが、我が家の居間には今迄の大型ブラウン管程度のサイズで十分過ぎると思ったのだ。 それにしても日本の住居は、何時の間にあんなに大きな液晶サイズに相応しいデラックスな居間ばかりになったのだろうか。 「デジタル化は誰かの陰謀だ」 と今更言うつもりはないが、「売れ筋液晶サイズ」 ばかりの陳列を見ると、これはメーカーの陰謀だ。

そしてもう一つ、電器店の(ネガティブな)陰謀を感じた。 地デジ用アンテナの販売態度のことである。 今迄はアンテナの設置も配線も自分でやってきたのだが、「デジタル」 は繊細で難しかろうと、そして高所の作業はもう止した方がいいと、テレビと同時にこれも見積もりを頼んだ。 答えは約5万円であった。 ところがそれ関係のカタログは置いてないし、取付け一式を外注するみたいで、何だかおかしい。 そこで、持ち前のおじんの IT感覚 がビリビリと鳴った。

早速ネットで調べたら、偶然だが、買おうとしていた液晶テレビのメーカーのサイトにアンテナ関連のページがあって、実に有用な情報が並んでいた。 結果、私が(自分で)設置したのは近くのホームセンターにあった簡易取付けタイプの 「UHFアンテナセット」 であった。 1万円でかなりのおつりが来たし、屋根によじ登る必要もなく、鮮明に受信出来ている。 これはD波の送信塔と我が家の位置関係にもよるのであろうが、それにしても、勉強するとしないとの差は大きい。 そして、やっぱりデジタルは凄い。 でも、まだ勉強してない妻は、アナ・デジの違いがどうしてもワカンナイと言うし、リモコンのボタンさえ 多彩過ぎてうまく押せないと、ヘルプ!の日々なのだ。

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2006年7月18日 (火)

おじんの Web2.0

日経パソコン7月10日号で 「フィーバーはなぜ生まれたのか、Web2.0 の背景を知る」 という連載記事を読んだ。 初回は「新しい時代の予感」という題名だ。 読みながら、自分が一ユーザーとして経験して来たITの20年を想った。 1986年、それは私がNECのPC9801-VM2を購入して、それに付いていた電話回線等の接続口 (RS-232C) を見て、早くこれで世界に繋げてみたいと思った年だ。 当時は未だその便宜も一般的でなく、費用も巨額なものだったので、実際に電子メールというものを経験したのはそれより2年後、自分でウェブサイトと言うものを訪問出来たのは更にその8年後であった。

その1996年、IBM社製の ThinkPad535 に搭載された Windows 95 の上でIntenet Explorer3.0 が読み出して表示してくれる(初期の、主として大企業の) WWW の情報サイト( = Webサイト、ホームページ)を見て密かに興奮したものだ。 詳しい仕掛けは分からなかったが、凄い時代の始まりを確信したからだ。 確かにあの頃の興奮は密かなものであった。 直ぐにアクセスを切らないとみるみる電話代が嵩んだからだ。 思えば、それが私の Web1.0 の時代の幕開けだった訳だ。 そして今や Web2.0 が喧伝されている。 何が 1.0 で何が 2.0 なのかを明示する見識はとんと無いが、私なりに感じる何かがある。

今、Web2.0 に関わる検索を Google ですると 2,670万件 もヒットする。 もちろんその全部を読む人はいない。 ヒット上位の幾つかを読むだけだ。 上位のは人気のあるサイトだろうし多分「良い」サイトなのだろう。ちなみに 同じ検索を YAHOO! でやればその違いが(現時点では)歴然とする。 そこで即ち、前者が Web2.0 を、後者が Web1.0 を具現しているのだなと、私は思う。 ともあれ、幾つかの Web2.0 の解説サイトを読むと、当然なことながら Web の発信者側からの論理が多い。 勿論「ユーザーの・・」という論点が欠けているものは無いが、結局どれもビジネス展望になっている。 だから、単純なる しかも高齢なユーザーにはよく分からない話だ。

それでいい。 この10年に進化した WWW の素晴らしさをもう十分に活用させてもらっていると思うからだ。 「これ以上はついて行けないなぁ・・」 と、NHKスペシャル 「恐竜VSほ乳類」 を見ながらしみじみ思った。

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2006年7月14日 (金)

おとしぶみ

Otoshibumi 拙荘の近くで、生まれて初めて 「おとしぶみ」 を拾った。 むやみに生き物の卵を拾うことはいけないと思っているのだが、これだけは少しぐらいの移動はOKのようだ。 そしてなるほど、上を見ると、クヌギの木の葉が広がっていた。 その名前は前から聞いていたが、実物を見るとその可愛らしくてそしてしっかりとした巻き方に感心してしまう。 そして、いい名前を付けたものだと、先人の風流にも感心してしまう。

ネットで検索すると、平野部では6月ころから見付かっているらしいが、標高1,000m の荘川ではそれより一ヶ月ほど遅れての出現のようだ。 この辺りではこの頃、面白い動植物を見ることが出来る。 早朝と夕方に、とても愉快に聞こえるキビタキの鳴き声が始まるとつい口笛で応答したくなる。 また、いつもの散歩道のある特定の場所だけに咲く白いアザミも、まるで大事な宝物のような存在だ。

山に来ては山の動植物のことを少しずつ知って行くことは私どものささやかな楽しみであ