和魂洋才 (秋田犬とボーダーコリー)
表題の4文字は、日本古来の精神世界を大切にしつつ西洋の才能を受け入れ、両者を調和させ発展させて行こうという意味である。 それは、西洋に習うことのみに熱心だった明治時代の風潮のアンチテーゼでもある。 ただ、IT時代の今、そのような切り口で事を論じるには、世界の精神構造も情報・知識も混然とし過ぎている。 地球が一つであるように人類も一つなのだ!。 ・・などと日頃想おうとしていたおじんに、ニュアンスはやや異なるが、ふとこの言葉を思い起こさせたものがある。 先週から我が家の一員になった仔犬のことである。
その犬種はボーダーコリーで、私共夫婦は、5年前に亡くしてしまった秋田犬(写真左)との性質の違いに驚いている訳だ。 その違いは、唯の固体差では決してなく、当時はまさに 「和犬」 に 「和魂」 を見ていたのだなと思う程に、今度は 「洋犬」 に 「洋才」 を見る思いがするのだ。 頑固で時に静寂を好む風な和犬に対して、洋犬は四六時中人間と共に居ることを喜ぶのだろうか、そして根っからの働き者だと言うことが仔犬なのに良く分かる。 実は一昨年、同種の、長男夫婦の愛犬(写真右上)が私共一家と山道を散歩していた時に、バラケて歩く人間達を固めようとして休まず走り回る様を見て驚き感心したものだ。 この犬種には生まれながらに牧羊犬の血が流れているらしい。
想うにそれは、西洋には 「賢くて働き者」 の犬を作出する歴史があって、一方日本では 「孤高・忠実・排他」 な犬への希求があったのであろうか・・。 ともあれ、このような違いを超えて、昔の 「タロ」 も今度の 「小太郎」 も私どもの愛犬である。 「犬」、それは人類のための天与の友。 義務でも無いのに、主人の前で伏せが出来る唯一の生きもの。 罪も無いのに、主人のののしりを聞いてくれる唯一の生きもの。 すべての犬はその飼い主を無条件に愛しそれに従う。 それは、まるで確信犯のようにいつも我が家の庭を汚していく隣の黒猫とは天と地ほどの違いがある。 小太郎よ、キャツを追いはらうべし!
ただ残念なことに、盆・正月での散歩の度に私共を感嘆させた 「はなちゃん」 はこの7月に早世してしまった。 まさしくわが仔を失ってしまったに等しい長男夫婦の悲嘆はさぞかしと思うと、かける言葉も無かった。 その後の寂しさに耐えかねたのであろう、彼らはやがて再び同種の犬を求めた。 その犬舎に同行した私共も、ボーダーコリーの虜になってしまった。 長男らが確保して 「優花」 と名付けた仔は未だ幼くて持ち帰りが出来なかったのだが、我が家にはその異母兄に当たる仔を連れて来たのだ。 連日携帯で名古屋から送られる 「小太郎」 の写真にヤキモキしながら、長男夫婦はいよいよ明日、千歳空港でわが仔に再開出来る。 思いはただ一つ、「いつまでも健やかに・・・」。
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