クラス会

2006年4月19日 (水)

ハイブリッド今昔

昨日、ハイブリッド車のことを書いたが、今日は車以外で、今迄に出会った「ハイブリッド」のことをおさらいしてみる。 私にとっての最初のそれは、大学での「育種学」の講義で教えられたもので、およそ食料となるものは動物も植物も品種改良の研究が重ねられていて、そのヒット作品にはハイブリッドが多いと言うことだった。 今ネットで検索するとほとんどの食品でそれが登場する。

生物学においてもこれは、「異なった種を特に人工的に組み合わせてできた新種のことを言う」 (Wikipedia)  とのことだが、私が学んだのはもっと狭義で、育種学で言うところの 「一代雑種」 を指す 「ハイブリット品種(F1)」 のことだった。 種をつける母親株の雌しべに、異なる品種の雄しべの花粉が付いて実った種のことだ。 これには「雑種強勢」効果 (成長が早い・揃いが良い・収穫量が増える等々) が現れる一方で、二代目の種は使い物にならないとか採れないなど負の特性がある。 その「お陰で」 タネ屋さんの大きなビジネスが展開されている訳だ。 F1 と言えばカーレースを思うだろうが、食品の F1 の方がその規模も世界的で、人類への影響度も大きいのだ。

その後、経済や技術の発展につれて、生物以外にも、色々なハイブリッドが出現して来た。 駆動のエネルギーを複数にしたハイブリッド腕時計 (昔の手回し竜頭+自動巻きローターから今のソーラー+電池まで色々) 、半導体のハイブリッドIC (アナログ回路+デジタル回路) 、パソコンソフト (Windows向け+Mac向け) 等々、いっぱいある。 私がクラス会事務の通報用に重宝しているのはハイブリッドメールだ。

なるほど、"hybrid"  を手元の辞書で引けば 「雑種の・混成の」 と簡単に書いてある。 何の呼称にでも使える訳だ。 でも私の耳は 「ハイ・・」 という音に先ず感応してしまうのだ。 その音感からは 「単なる混ぜ物や揃え物」 ではなくて 「高度な融合・精製・創造物」 を連想するのだ。 即ち 「1+1=2」 ではなくて、「1X1=new1」 なる様態の産物こそがこの呼称に相応しいと思う。

Chunichihybrid 近頃の 「産地ブランド」 とか 「地理的表示」 の動きに合わせて、「ハイブリッドなる呼称」 にも規制強化!を・・・なんちゃって。 ところで、中日新聞に連載中の 「この国のみそ」 の 「ハイブリッドの流儀」(4/17) のコジツケぶりは秀逸だ(右図をクリックすると書物版が現れる)。

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2006年3月26日 (日)

恩師の自分史

あまたの恩師の中に、私が卒業した後も、転職する際も、引退した時にも親身な心配をして下さった先生がおられた。 丁度2年前に91歳で亡くなられたK先生である。 その前半生の行政の場と、後半生の教育の場で、その分野でのテクノクラートの真実を実行され、多くの後輩を育てられた。 そして最後の日まで、日本の農業土木の行く末を具体的に案じておられたのだが、詳しくそのことを知っている教え子は少ない。

幸いなことにと言おうか、ご迷惑をかけっ放しだった私は、色々な場面で先生のお気持ちを聞かせて頂く機会に恵まれた。 ことに、ビルマ国でのサウスナウイン灌漑事業の実施設計業務(1983〜84)では、先生自身が専門メンバーとしてコンサルタント団長の私を助けて下さり、時に現地プロームの空の下での清貧なる晩餐を楽しませて頂いたものである。 先生は、普段の優しいお言葉とともに、学究的・技術的なテーマでは極めて精緻な姿勢を貫かれた。 その姿勢は老いてもなんら衰えることがなかった。

しかしとても穏健なご性格上、それらのお考えを振りかざすことなく、ただただ良き老人になって行かれた。 それに気付いていた教え子たちにけしかけられて出来上がったのが先生の自分史 「春秋叢記」 である。 また、それの編纂を兼ねて集められた膨大な文書を取り纏めてウェブサイトに載せたものが 「菊岡武男著作集」 である。 両方ともその完全な出来上がりの姿を、先生は見ることなく逝ってしまわれた。

しかし、先生が 「自分がやって来た研究や仕事について纏めておきたい」 と思っておられたことは確かである。 教え子たちがそれを提案した時は、既にかなり病弱になっておられたのだが、あの時のお顔の輝きと、直後からどしどしと送って下さった資料の多さでそれが分かる。 初めは戸惑ったのだが、結局はその物量の多さを楽しくこなすことが出来た。 パソコン・ワープロ・スキャナ・OCN・CDR/W・等々の IT のハード・ソフトのお陰である。

「ほんとに便利になったんだなー・・」、資料はどれだけ出てもいいのですよ・・との教え子の説明を聞きながら、とても嬉しそうに安心されたお顔が忘れられない。

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2006年2月 5日 (日)

台湾農民の父、八田與一

今日、かっての大学級友から嬉しい資料が送られてきた。 台湾嘉南平野総面積15万haの潅漑事業の父、八田與一についての報告文だ。 私は、この人物の話に接する度に感動を繰り返す。 それが大正から昭和初期にかけてのかなり昔の事業だったこと。 このように広大な農地の潅漑事業を日本人一人で企画し監理したという例は他に無いこと。 なにしろ、例えばその総面積よりやや広い香川県の平野部を潤している香川用水が、約3万haの受益面積で、それが日本一だと言うのだから。

なのに、この人物を知る日本人は極めて少ないこと。 それを憂えてか、現代日本人への元気付けの為にか、 この人物像を伝え続けている外国人がいること。 それは日本人よりも日本人だと言われる台湾の人、李登輝さんである。 彼が、慶大の三田祭(2002.11.24)に招かれて準備した講演原稿がそれを語る。 残念ながらその講演は実現しなかったが、後日それを産経新聞が載せている。 以来、八田與一の名前がネットの検索結果にも増えてきた。 現地台湾では近くテレビドラマにもなるという。

潅漑事業は農業土木の仕事である。 私もこの分野を卒業しその分野で働いた。 なのに、学生時代以来この人物のことを学んだ記憶がない。 初めて知ったのは上記の新聞記事を送って下さった当時89才の故恩師のお陰である。 恩師さえも深くは知らなかった話・・、戦中戦後の台湾の歴史はそれほどに一般の日本人からは分断されていたのだろう。

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2006年1月29日 (日)

虹の橋から

これは既に亡くなった愛犬から、その誕日に、飼い主さん宛に届けられるメールのタイトルである。拙「老犬がんばれ台帳」の登録犬は彼らの一周忌にみなこれを書く。「虹の橋」とは全ての動物たちが渡って逝くところ、天国の入り口のことだ。「三途の川」と言うよりははるかに感じがいい。

この言葉は、古くは北欧神話に登場しているようだが、動物を愛する人々の間に広まったのは作者不詳の英文詩によるもので、アメリカインディアンの伝承に基づいていると言われる。命名の趣旨は違うだろうが、ナイアガラ滝の下流にはこの名前が付いた橋もある。

「天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。」で始まるそれは、愛する動物を亡くした人にとってとても救いになる詩であり、今や世界中の言語で紹介されているし、これから派生した詩も多い。日本語訳も多いが私が時々読みに行くのはいっけさんのところだ。

hwirainbow 2001年に同伴でのクラス会でホノルル沖のディナークルーズを楽しんでいた時、突然舞台の演奏が「虹の彼方に」に変わった。妻と甲板に出ると、虹が出ていた。亡きタロが旅の無事を祈ってくれている・・二人は無言のまま・・思いは同じだった。

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2006年1月28日 (土)

老人の新年会

我々老人は月末の新年会を、それも金曜夜の宴会をやることは避けるべきだ。10日ほど前に予定の店に電話したら満席でダメ、慌ててネットで代わりを探したが、老人グループに相応しそうなのが確保出来たのは数軒目だった。この日取りは昨年の忘年会の席で決めたものなのだが、なんでこんな日にしたのか誰も覚えていなかった。連絡役の私も分からない始末だ。

更に悲しいことに、当初予定の店に行ってしまったメンバーが二人いた。当人らはそこから私ら数人の携帯に電話したようだが、会場は地下だったから繋がらなかったようだ。そもそも会合の設営は幹事による「事前の案内」と会員による「出席申し出」によって成り立つ。なのにその二人はそれさえ失念したままで、会場(いつものトコロ)だけを記憶していた訳だ。

当の宴会では(まだこの事件を知らなかったので)彼らが肴にされることは無かったが、やはり話題は、ジンワリと染みこんでくるボケとか、トミに増した物忘れとかのサブーイものが多かった。が、それでも我が級友グループには大きな楽しみがある。今秋の同伴台湾旅行である。

それにしても便利な時代だと思う。ネット上のグルメ情報は溢れるほどだから。ただ、店によっては積極的に自分でサイト(ホームページ)を発信しているものと、明らかにポータル(イエローページみたいなサイト)業者の戦略に乗ってるだけみたいな店とがある。総じて言えば、前者は若者向き、後者はおっさん向きの店が多い。

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