ミヤンマーと日本
緊迫したミヤンマーでの犠牲者の中に日本人も含まれることになってしまった。 日本政府は、真相の究明と関係者の処罰をミヤンマー政府に求めているが、「関係者」 とは撃った兵士やその上官らのみを指すのでは勿論無い。 それは 「ミヤンマー政府」 そのものだと言わねばならない。 それが 「軍政」 というものなのだ。 少数民族を弾圧し、総選挙の結果を無視し、唐突に遷都 を行い、無謀な物価のコントロールを行う、その為政はとても異常なものである。
そこはしかし、私にとってとても懐かしい国である。 あの国 のあの人々が、なぜあのような政体のままを許して過ごして来たのであろうか?。 既に彼の国を逃れ出ている人々は、故国を正すために 「外国からの援助を止めろ!」 と叫ぶ。 だがこの訴えに私は、昔 (1983 及び 1995) 農業開発の技術援助に参画した一人として、複雑な思いに陥る。 この時に食料や医療や教育関係の援助まで止めていいのかと思うからだ。 たとえ援助を止めて国土が枯れても、結局困窮するのは一般国民だけであって、軍人は決して困らない。 それが 「軍政」 というものなのだ。
悪政を正すべくクーデターが行われても、そのまま軍政が長引けば、それはまた悪政になるのだ。 そんな自明なことを考えながら、思いは彼の国の軍政の繰り返しに至る。 大戦中に日本軍の支援を得て英領からの独立を期した アウン・サン(1942) 。 その後独立 (1948) して連邦となるも、少数民族や共産勢力等による混乱が続いて、それを クーデター(1962) で収めてビルマ式社会主義を標榜した ネ・ウィン 。 それが失敗して1988年の学生暴動などの不安定化を招き、それを再度 クーデター(同年) で収めた ソー・マウン 。 以後社会主義経済を放棄して市場経済化を謳うも、総選挙(1990) の大敗を無視したまま、国軍による圧政は タン・シュエ (1992) に引き継がれて今に至る。 言葉は同じだが、隣国 タイでのクーデター とはその動機も事後の様相も全く違う。
その間、日本の姿勢は謂わば「仏教的」とでも言おうか、該国に対する援助は深く静かに行われて来ている。 それは日本企業群の都合だと言う見方もある。 対して、米国は1991年から対ミャンマ-経済制裁に入っており欧州各国もほぼ同様である。 制裁に反対している中・露・印などの周辺国はシタタカな計算をしているのであろう。 では、これからの日本は如何に対処するべきか?。実は、アウン・サン も ネ・ウィン もかっての日本陸軍「南機関」の下で特訓を受けた軍人であり、当時の日本の軍歌は今も該国軍で演奏されているという。 しかし、日本はいま平和国家であり、経済大国の一つである。 だから、日本及び日本人は、如何なる手段を以って、現今のミヤンマーに対処するべきか?・・、着実に 慎重に しかし早急に・・
注1 ; 国民に「ビルマ建国の父」と尊敬される アウン・サン は英国からの独立を果たす前年の1947年に暗殺された。その時2歳であった彼の長女が、現在軍政によって軟禁されている アウンサンスーチー女史 である。
注2 ; 左上の画像は、緊迫の様子を伝える「ビルマ民主の声」のサイト(ノルウェー発)である。昨日現在では、一般のネット接続が切られてしまったので該国からの発信は不可能になってしまったが、大国の大使館や企業の出先などでは衛星や無線を通じてインターネットに繋ぐことが出来ている筈である。
注3 ; ビルマ(今のミヤンマー)に関わる私の思い出は幾つもある。右枠のカテゴリーで「ミヤンマー」をクリックすればその全てが並んで現れる。
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