モバイル

2007年9月17日 (月)

電話今昔

Phonenumb 久し振りに近隣の市まで出掛けたのだが、JRの駅まで来て、財布を忘れたのに気がついた。 そこまでは市バスと地下鉄を利用したので 敬老パス でOKだったのだから気付くのが遅かった訳だ。 これでは切符も買えないし約束の時刻に間に合わない。 おまけに手帳も携帯電話も忘れて来たので訪問先の電話番号も分からない。 ただ敬老パスにはテレフォンカードが挟んであったから、家から連絡をしてもらおうとて、公衆電話 を探したのだがそれが見つからない。 一昔前には、見渡せば必ず見つかったのに。

慌てて家に帰って出掛け直しをしたのだが、妻に笑われるやら、先方にお詫びするやら、時間に厳格なおじんとしては、まことに情けない一日であった。 日ごろ携帯に使われているような人々を冷笑している身としては、今回だけは自分で自分をけなしたい気持ちであった。 それにしても、公衆電話 が見当たらなくなったものだ。 確かにここ数年で、我が家の近くにあった筈の数箇所のものが全て消えてしまっている。

電話機、それは1876から77年にかけてベル、グレイ、エジソンらが先を争うように発明したものが原点である。 翌78年には、日本政府によりベルの電話機が模造され、90年には東京・横浜間に日本初の電話が開通したというから、日本の電話史は世界のそれとほぼ同期だったと言えよう。 草創期は国策によったものだから、それらは 局舎内(宅内)電話 でありそして同時に 公衆電話 だったのであろう。 120年後の現在、電話と言えば、その数では携帯電話が圧倒的に多い。 それでは、これら 宅内電話・公衆電話・携帯電話 の台数の推移はどうだったのだろうか?。

右上のグラフ(クリックすると拡大する)は、この疑問に答えるために、自分であちこちのサイトからデータを寄せ集めた結果である (例1例2例3例4)。 なるほど、携帯電話の爆発的な増加に踏み潰されるように公衆電話が減っている。 実はこれは民間会社(NTT)のものであって運営上は公共施設では無いのだから簡単に「減らすな!」とも言えないし、普段皆が使わないから、赤字なのだから、減るのは当然だ。

しかし、災害の地域や生活弱者の日常を考えると、公衆電話も大切な ライフライン であり、まさしく ユニバーサルたるべきサービス なのだ。実はそれらの維持のために、宅内電話や携帯電話の利用者はみな応分の負担をしているのだが、それに気付いている人は少ない。 私も今初めて確かめたのだが、毎月の電話料明細の中に示されている、ユニバーサルサービス料 7円/1番号 がそれである。

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2007年5月 9日 (水)

52年ぶりの吾が娘に・・(2)

「モバイルインタープリター Mobile Interpreter (携帯通訳)」

Shenyangap0752 5月初めは中国でも連休 (5/1~5/7 = 国際労働節) である。 その二日目の午後、瀋陽桃仙国際空港の入国通路のコーナーから、81歳の老婆とその弟夫婦が、カートに荷物を満載してゆっくりとした歩みで現れた。 若ければきっと、そちらで花束を持って待っていた二人の娘に向かってダッシュしたことであろうに、ただ片手を挙げてそれをゆっくりと揺らしながらの老婆の歩みを、付き添う私達も、迎える人々も、誰も急かすことは出来なかった。 52年間の別離から見れば、それはほんの一瞬の、贅沢な甘酸っぱい焦燥に過ぎなかったのだ。

老婆が29歳の時、満蒙開拓団の残留婦女引上げの誘いに抗し切れず、止む無く現地に残してきてしまった二人の娘は、当時 5歳 と 2歳、それが今、総計 15人 もの家族群になって、「グランマ!・・(お婆ちゃん!・・)」 と呼びながら感涙の抱擁を繰り返す。 送って行った私どもは 4日半 の滞在だけで帰国したのだが、その間も母娘3人の抱擁は何度も繰り返された。 それはまるで、双方の言葉がちゃんと通じているような情景であった。 そんな筈は無い。 何故なら、娘たちの語りかけは中国語であり、老婆の返事はほとんど日本語だったのだから。 でも、全て分かり合えている風であった。

実は、先方はちゃんと 通訳 を準備して待っていてくれたのだ。 が、その人は当の女性達の中に入る余地など無く、頼りにしたのは私である。 これから姉が瀋陽に長期に滞在するために、それに必要な手続きや打ち合わせがあったからである。 通訳をしてくれたのは、姉の長女の息子の友人の奥さんで、日本留学の経験があり、現在は日本企業の瀋陽支店に勤める美しい女性で、しかし妊娠3ヶ月とのことであった。 だから、こちらの慌しい日程に付き合わせることは危険であった。 実は私の妻は妊娠初期に2度も失敗していてその事は良く分かっていた。 ところが、今回の通訳の手法はまったく素晴らしいもので、それは言わば 「モバイルインタープリター」 とでも名付けたいような方法だった。

先ずは(通訳無しで)、中英辞書をめくりながら打ち合わせを進めるのだが、行き詰ると先方はやおら携帯で、自宅で休養中の彼女に助けを乞うのである。 日本人の精神構造を十分に理解しているらしい彼女の interpreter機能 はそれで見事に働き、私どもは1台の携帯をやり取りしながら十分に意思を疎通出来たのである。 日ごろ、携帯に 「使われているような」 人々を軽蔑の眼で見ていたのだが、これには心底から脱帽した私であった。

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2006年11月 8日 (水)

携帯への迷惑メール

Pckeitai 二つ前の記事で、「最近我が携帯にも頻繁に入って来るあのヘンなメールはなんとかならないものかなー」 と書いた。 私の携帯暦は8年になるが今はそんなに使ってはいない。 当初は、出先での業務連絡に重宝したし、宿などでノートパソコンにインターネット接続をするために データ通信用アダプタ を介して携帯を使った(写真上)のだが、引退してからはそれも必要無い。 それに現今は、至る所で 無線LAN が使えるので、長旅でも携帯の出番が無い。 だからだろうか、街で ケータイ に縛られっぱなしの若者を見ると、なんとお忙しいことよ・・まっこと カワイソウ にと思う。

かく使わない我が携帯に迷惑メールが押し寄せて来るようになったのは最近のことである。 何らかの理由でアドレスが漏れてそれが 「業界」 に行き渡ってしまったのであろう。初めは、それらに対して 「アドレス指定受信拒否」 の設定をしていたのだが、数が多くて直ぐにパンクしてしまった。 日ごろメールをやり取りする相手は限られているのだから、「拒否」 ではなくてその逆の、「アドレス指定受信」 を設定すべきだった。 と、後で気が付いた。 が、その前に、こちらの 「アドレス変更」 をした。 実は、一般の e-mail アドレスを変更することが (解約と再契約とが必要になるので) そう簡単ではないように、携帯メールのアドレス変更も同じく難しいと思い込んでいたのだ。 が、それは間違いだった。(例外もあるようだ。注1)

遅ればせながら色々と調べてみたら(注2)、「携帯メールは受信でもパケット通信料として課金される。たとえ迷惑メールでも・・」 らしい。 そうと分かったら途端に腹が立ってきた。 でも、そのことは5年ほど前に既に問題になっていて、官民をあげて色々な検討や対策がなされていたらしく、私はそれを知らなかっただけのようだった。 事実、あの押し寄せて来ていた迷惑メールも、「無料パケット」 の範囲内に収まっていたようで実際の課金は無かったようだ。 そこまで知って腹立ちは収まったが、日頃 IT を語るおじんとしては、今までの低認識ぶりの自分を 自分で恥じたわけだ。 変更後はあれほど煩さかった迷惑メールがピタリと止んで、かえって寂しいくらいだ。

注1) ; au は一度決めたメールアドレスを途中で変更出来ないようだ。 最初から気を付けてアドレスを決めることが肝心だ。

注2) ; 我が家では色々なサービスの毎月の請求書が郵送されて来るのを全て断って、必要に応じてインターネットで見る方式にしている。 これを徹底するとかなりの家計節減になるのだ。 がその後、それらの明細をあまり調べに行かないので、付帯して表示されるナウい情報を取り逃がす結果になっているようだ。

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2006年10月30日 (月)

踊るポータビリティー

Keitaihikaku 「タダほど高いものは無い!」 と昔から言われてきた筈だ。 なのに今更に、その文言を正面に掲げてビジネスを展開し始めた企業がある。 ただその内容には色々な仕掛けが (見えないように書いて) あったようで、競合他社からも非難されている。 なのに、週末には消費者が殺到したと言う。「消費者は賢い」 とも、昔から言われてきた筈だが、そうでないお方だって居る。 それが全人口のたったの 0.1% だけだとしても 13万人 にもなるのだから窓口が混む訳だ。

石油ショック時のトイレットペーパーでもあるまいし、そんなに急いで駆けつけて並んでまで買うべき商品ではない筈のに ・・ 。 それとも皆さん、未だに 「行列症候群」 に罹ったままなのだろうか?。  ところで、この事態を予想したのかどうか、10/28 (土) の中日新聞朝刊に載った 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会 の全面広告(上の画像)はとても印象的であった。 当初は一瞥しただけであったが、ここ数日の騒ぎに刺激されて、改めて読んでみた。 それは、色々な切り口から携帯電話 3 社のサービスや料金を細やかに比較していて、分かり易い内容であった。

その結論には、「料金面で各社に大差はなし。 大切なのは、家族向け割引 ・ 継続割引をいかに無駄なく使いこなすかということ。」 とあった。 自分の使い方に良くあった携帯サービスを見極めることも先ずは大事なことだが、「長く使うこと」 こそ肝要だと おじん も思う。 それにしてもこの頃、我が携帯にも頻繁に入って来るあのヘンなメールはなんとかならないものかなー。

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2006年10月17日 (火)

旅先のインターネット(4)

「ホテルの無線LAN 有料編」

私どもの南ドイツの旅の 後半の宿は ライン河畔の古都マインツの大きなホテルであった。 旅の疲れが溜まらないようにと奢ったのである。 事前にそこのサイトで調べたら、部屋の調度の欄に  "Wireless Internet Access" なる可愛いロゴが載っている。 前半の宿での経験から、これはきっと部屋毎に使い放題の無線LAN があるのだなと思った。

そう、部屋の立派な文机の上にそれはあった。 何処にでも持ち運べれるアンテナ付の小箱で、それから USB と LAN の二つのケーブルが出ていて、それは初めて見る形態であった。 説明書を読むと、その両方とも PC に差し込めとある。 ホテルの事務室から小箱までが 無線LAN で、小箱から客の PC までが 有線LAN、そしてどうやら USB の方は小箱への電力供給に使われているようだった。

Swisscomreceipt おおこれは便利! と思いながらマニュアルを読んで行くと、期待に反してこの接続は有料だと分かった。 デラックスな部屋に泊まってあまりケチなことは言えないが、繋いだら先ず、2時間・24時間・7日間の一つを選んで使用契約をせよとの画面が現れた。 それは又、ホテルのシステムとも繋がっているらしく、ちゃんと私のクレジットカード番号が明示されてこれで引き落とすよ・・ とのこと。 右の画像は、使用開始後にメールを調べていたら早速入ってきたその領収書である。 まだ使い始めたばかりなのに、何と素早いことか!。

現在、世界のネットモバイル(例1:p17参照)は、その機能の多寡やユーザーの負担の有無などの仕様が混沌としてあるようだ。 この種の情報を更新し続けて下さっている モバツアshincoさん のサイトによれば、全館使えてしかも無料というホテルもあれば、未だに電話回線だけの大型ホテルもあるらしい。 感じとしては、こじんまりとしたホテルにこそ無料の無線LAN がありそうだ。 だから IT と共に旅をするには、事前の調査は必須である。

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2006年10月15日 (日)

旅先のインターネット(3)

「ホテルの無線LAN 無料編」

インターネットから離れられなくなってしまった者が旅行に出掛ける時、先ずは行き先でのネット接続事情が気になる筈だ。 現在そのための情報は溢れるほどあるが、かなり古い内容のままで放置されているサイトが多い。 どなたかの昔の苦労話を参考に、接続のための諸道具を準備して出掛けても今や意味が無い。 個々の行き先での最新のネット接続事情を調べることが肝要なのだ。 一方、PCを持参することが面倒な場合は、出先の街に出てネットカフェを利用すればいいのだが、日本語環境が使えないことがあるので注意が要る。

行き先別の情報を・・ と言ってもそれは地域とか国とかの違いのみではなく、今や滞在する個々のホテルによって大きな差異が出て来ている。 その点、以前はモジュラージャックを揃えて行って電話代だけを覚悟すればどこでも使えたのだからかえって分かり易かった。 が今は、なんと諸道具も電話代も要らない場合があるのだ。 今回の滞在地ローテンブルグのホテルで 無料の無線LAN を利用出来たのがそれであった。 現在、あちらのホテルのサイトでよく見る "Free Wiress LAN" のサービスのことである。

Mittermierandpost 要するにこれは、ホテルが自家用に付けた無線LANを お客さんにも開放するというものである。 だから、「あなたのラップトップも繋げられる可能性があります!」 という、ちょっと不確かな宣伝文句になる訳で、部屋によっては電波が弱くて使えないことになる。 私が泊まったホテルではそのためにちゃんとロビーに事務スペースがあって、快適に使えた。 なお、ホテルから貸与された LANカード を使う必要はなく、我が ノート に内蔵された 無線LAN機能 がそのまま使えた。 ここでの便宜が、今回の旅行の ネット接続 のベストな例であったと思う。

注); このホテルの場合は、インターネットに繋げているシステムが、 IPアドレスも DNSサーバーのアドレスも WindowsXP が自動的に取得するのではなく あらかじめ決められたものを PC に設定しておく方式だった。 渡されたマニュアルは英語だったが、中の図は見慣れたものだったから、Windows の世界の汎用さを実感しつつ簡単にやれた。 数日の滞在中、夕食後にロビーで受発信を行い、それを部屋でゆっくり処理して、明早朝に再びロビーで発信をするというスタイルをとったが、旅行の疲れを増幅することもなく至極快適なメール処理と幾つかのサイト管理が出来たと思う。

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2006年10月13日 (金)

旅先のインターネット(1)

「機内のインターネット」

Quilttapestry 今回の私共の南独の旅では、軽量なノートパソコンを携えてあちらでの IT事情、特に無線LAN サービスの現状を体験するという楽しみもあった。 旅先でネットなんて顰蹙を買うもいいところだとは、日頃私自身が他のそういう人に対して感じていたことだが、今回はそうは行かない。 「老犬がんばれ台帳」 を始め、管理人として8日も放ってはおけないサイトが多いからである。 ネットもこなして旅も愉しむ、これが今回の旅の大きなテーマであった。

その最初の体験が、行きの ルフトハンザ機内 での "Connexion by Boeing" というサービスであった。 事前に体験者のレポートも読んで、ユーザー登録も済ませておいたので、利用単位の 2時間 (1時間や3時間やフライト全時間も選べる)に向けての準備はOKであった。 が、やはりこれはエコノミークラスの席では使い辛かった。 先ず、無線LANが使えるのだから当然無線マウスもいいと思って持参したのだが、使ってはいけないとアナウンスされて慌てた。 私はひどい書痙(手先が震える)でタッチパッドが上手く使えないからだ。 そして、周りが静かになってからスポットライトの下でやっていたら、突然前席の客が椅子を倒したので危うくパソコンが潰れそうになった。

それでも、沢山の受信メール(大半が迷惑メール) のチェックと、幾つかの挨拶メールの発信を終えることが出来た。 拙「老犬がんばれ台帳」への登録依頼も一件来たのだが、そのデータベースへの収録編集作業で 当のLAN の利用時間を喰うのが惜しくて、向こうに着いてからやることにさせてもらった。 かくして、とても面白くて充実した2時間であった。 でも何故か、このサービスは今年限りで廃止になるようだ。 長時間のフライト中にインターネットに繋がるという便宜は非常に大きい筈だから、また同様のサービスが出現することを望んでいる。

注); 帰国後に分かったことだが、このサービスは年末の廃止に向けて、10月2日からは無料で開放されているらしい。 なんと、私は有料の最後の日に使ったことになる。 このブログに相応しい事件だ。 これもまたいい記念だと思うことにしておこう。

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2006年9月28日 (木)

続 ロマンチック街道へ (ITと共に)

ドイツの古き街道を見物しに行くのにノートパソコンを携えてなんて、およそロマンチックではない。 が、私には幾つかの楽しみがある。 それは、これを機会にグローバルな場で色々な IT を自ら体験することだ。 その第一は、あちらの宿で無線 LAN を使うこと。 その事は前記事に書いたが、後で調べたら、往復の機内でもそれが使えることが分かった。ただしこの "Connexion by Boeing" というサービスは採算が合わないのか今年限りで廃止になるようだ。 長時間のフライト中にインターネットに繋がるという便宜を喜ぶ人は多い筈だから、何時かまた同様のサービスが出現することだろう。

Rothenburgmarkt 次の楽しみは、現地時間の 10月3日13:00 (日本時間=同日20:00 ) に ローテンブルグ市庁舎の外壁の東南隅に二人で立つことである。 そこはマルクト広場の一角で、常設のウェブカメラが見下ろしていて、定点画像を 2分 おきに発信しているからだ。 日本で留守番の嫁たちはこれを見て安心してくれる!という筈だが・・?。

3番目は、スカイプでのテレビ電話の交信である。 これは既に、米国 ヒューストン に居る知人との間で経験済みのことだが、今度は片方が無線 LAN 下のノートパソコンだから実際の交信が上手く行くのかどうか。 目下、自宅と次男宅とで予行演習中であるが、近すぎるのでなんだか実感が湧かない。

そして、今までは数日の留守をする場合は、私が公開している 「老犬がんばれ台帳」 の更新がストップしていたのだが、今回の旅ではこれの管理も継続してやれそうだ。 だから、該当するワン君にはちゃんとその日に誕生日のお祝いメールが届くことになる(筈だ)。

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2006年1月26日 (木)

フィリピンでの技術移転

私の海外勤務の回数はフィリピンが一番多い。記録を見ると、1978年のイロコスノルテから1993年のボホールまで延べ11回、年齢で言えば39歳から54歳までであった。一般に海外では日本人は実際の歳よりかなり若く見えるらしい。だから、比国灌漑庁の若い技術者諸君とはいつも仲良しになれた。他の発展途上国の時とは違う「心からの仲良し」になれたのである。それは比国民特有のホスピタリティーのお陰かも知れない。

私の実際の年齢を知り、細かい図面や文字を書くことが難儀だと知ると、カウンターパート(相手国の担当技術者)の誰もが進んで私の手足になってくれた。早くから書痙の症状があった私には本当に嬉しい環境であった。だから、彼らに役立つような技術移転をして感謝の気持ちを遺したくなった。

それが、比国でこれから増えるであろう土堰堤用のダム安定計算プログラムである。これは、パソコン時代以前のポケットコンピュータにBASIC言語で私自身がプログラムしたもので、大きさや築堤材の種類を問わないフィルダム汎用式だった。彼らは私が一年余も掛けて作ったそのロジックを数日で解読して、巨大な紙面にチャート(流れ図)として描いた。

こうなればしめたもので、難なくこれを、当時灌漑庁の特別室にあったタンディのTRS-80に移し変えた。その出来は、データの入力も結果の出力も(彼らのセンスが発揮された)スマートな体裁で、のろくて貧相な出力の我がポケット機の比ではなく、越された私は、なのに嬉しくてならなかった。

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2006年1月22日 (日)

ミヤンマーのインターネット

前に「ビルマのパソコン」という題で書いたが、今度は国名がミヤンマー連邦と変わって(1989)から後の思い出である。日本は、その頃から孤立化を深めた該国に対して実は静かに技術援助を続行していた。1995年4月に私はその一環として、灌漑庁への短期専門家として派遣された。テーマは漏水のために枯渇してしまったダム湖の診断であった。

mynm954j その原因と対策についての講演の時、灌漑庁の講堂に最新のプロジェクターがちゃんと準備してあったことに感激したものだが、それは日本からの無償援助の研究施設の備品であった。そこには何台かのパソコンも入っていた。でも、会場での質問の中に、ネットでなら直ぐに調べて答えられるのに・・というものがあった。が、あちらでもインターネット環境は未だ国民一般のものではなかった。

私はその夜、ホテルからバンコクのノード(パソコン通信のアクセスポイント)に電話を掛けてもらって、入国の時に唯の計算機として持ち込んでいたオアシス・ポケット3をつないだ。そこからニフティサーブからのゲートウエイ接続により米国のインフォキュー(INFOCUE)に入って科学技術の情報検索をしようと試みた訳だ。以前バンコク滞在中によく利用したのだが、その夜は結局つながらなかった。

myanmarf小さいけど新しかったそのホテルのボーイ君たちが、珍しそうにポケット3を眺めながら何度も電話を繋ぎなおしてくれたことを思い出す。彼らは元気だろうか?、現在の該国のネット事情はどんな風になっているのだろうか? とても懐かしい国である。

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2006年1月17日 (火)

デジタルディバイド

digital divide:この言葉を知らない人は、これが定義している世界の底辺に生きる人である・・なんて冷たいことは、思ってても言わない!。それよりも私の夢は、我が仲良し級友達の間でこれが少しでも縮まることなのである。全国に散らばって、もうイイ歳になって、それぞれの人生を総括すべき段階にある愛すべき友らと交歓する手段として、昨今のITの便宜をふんだんに使いたいのである。

悲しいことに、それが遅々として進展しない。この言葉は、アメリカ商務省が1999年に発表した報告書での造語だと言うが、丁度その年の秋、私たちは「翠天会還暦記念クラス会inチェンマイ」というこの会初めての同伴海外旅行をやった。当時、幹事として私が考えたのは「この機に皆に、パソコン・インターネットを勧めよう」ということであった。

旅行社の言いなりにならぬように、幹事3人の準備は1年も掛けてそれは熱を入れたものだった。級友総数34人の内、メールをやる者11人、もっと増えよと願って、その準備の進捗状況を、自分のHPのサーバーの片隅を割愛して発信した。見てくれた人は僅かだったようだが、それは今でも(事後整理をして)残してある。私の目的はほとんど成就しなかったが、旅そのものは本当に楽しかった。

stnatbkk

以来6年あまり経って、会のメール人口は現在20人になった。でも、全員がこれを使いこなしているという実感は無い。会のHPの掲示板も賑わっていない。歳のせいか、日ごろの連絡で電話でのやり取りが、お互いに(少なくとも私には)とても難儀になっているのも切実である。

ディバイド解消には若い世代との交流が大事だと思う。そこで、最近は携帯が流行っているからとて、「孫とメールするくらいなら、会にも連絡を・・」と呼びかけているのだが・・。

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