マイPC

2007年2月21日 (水)

過ぎてなお セキリュティー

おじんの2月は e-Tax で明けて e-Tax で暮れた。それは一納税者としての感慨のみではなく、最近の IT を改めて実感した日々だった。 国税庁の 「確定申告等作成コーナー」 の末尾に搭載された Java のスマートな出来栄えについては後日書きたいが、今回は、その際にも遭遇した我がパソコン内の セキュリティソフト の勤勉振りについての感慨を書きたい。

それは、コーナー で作成した複数の 帳票データ を 国税庁 の サーバー に送信する前に、これらを結合して一つの データ にするところで起きた。 何度やっても 「結合」 せずに、出るのは 「ページを表示できません・・・」 と言う例の(他でもよく遭遇する) ブラウザー の警告画面ばかりだった。 思えば最近は、他のサイトでもこれがよく出る。 例えば他の人の ブログ に コメント を書き込もうとした時や、自分が管理している サイト に大きな ファイル を送り込もうとした時・・、そして先日は Windows Update に先立つ 「遠隔診断」 の際にも起きて慌てた。

そしてこれが、何時もではないから始末が悪い。 常に発生すれ (再現性があれ) ば当該アプリケーション(ソフト) の企業に相談することも出来るのだが、どうやらそのように 「安定した」 問題ではないようだ。 そして、細かい ロジック は分からないが、ある手段を使えばこれらの トラブル は必ず解決した。 それは、セキュリティーソフト を一旦 「無効にする」 ことである。 これから分かるのは、これら発信や 送信や アップロード を阻止しているのは我が PC の セキュリティーソフト らしいということである。

あちこちの サイト で勉強してみると、それはどうも 当該ソフト に搭載された ファイアーウォール という機能のなせる業のようだ。 この 「防火壁」 とやらは、外部からの 「火」 の侵入を防ぐのみならず、内側の 「非」 の漏出をも防いでくれるものらしい。 だからおじんは、これに向かって、 「過ぎたるは・・・!」 などと言うつもりはない。 凄く強力で 融通など効かない 「門番」 が居てくれるようでタノモしいからだ。 ただし、一旦眠ってもらった門番を、事後直ぐに起こし(有効にし)ておくのを忘れそうで、ちょっと怖い・・・。

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2007年1月20日 (土)

ビスタ遠望

今月末にパソコン用OS(基本ソフト)の Windows Vista が発売されるらしい。 新しいものが大好きな人には、約5年ぶりのワクワクするイベントになるのだろう。 家電店の広告を読むと、まるでもう Windows XP はオシマイだと言っているようにも見える。 でもそれは、これからパソコンを新調しようとする人にとっては正解と言えるかも知れないが、おじんのように Windows 以前の BASIC(正確にはOSではないが) の時代からのユーザー(1980~)としては今 トキメクものは何も無い。 むしろ、過去にあったように、新OS のために 旧OS へのサポートがないがしろにされるのではという心配の方が先にたつ。

既に現役を引退していても、私の場合、パソコンは生活の必需品である。 世界中の愛犬家とメール(例1例2)をやり取りしたり、庭の花のデジカメ写真を楽しんだり(例1例2)、手紙や賀状を作ったり、ささやかにホームページを運営したり(例1例2例3例4)・・・と、様々な生き甲斐を与えてくれている。 さらに、日常の諸料金税金の支払いも、好きな旅行のための事前調査も手配もこれでやれる(例1例2)。 昔懐かしいプロジェクト現場の今の姿(衛星画像)もこれで見ることが出来る(例1例2例3例4例5例6)。 確かに、これらの便宜の多くは、Windows 98 から XP に替わってから更に快適に使えるようになったものだ。 それでは、今回の XP から Vista への変更で新しく登場する便宜とはどんなものなのか?。

華やかな ユーザーインターフェース だとか、強化された検索機能だとか、喧伝されているそれらの新機能の中に おじんが ビビッと感じるものは何も無い。 それは、私がまさしく「おじん」だからと言えばそうかも知れない。 それでいいのだ。 私の場合の新OS とは、旧OS を棄ててまで買うものではなく、愛用のパソコンがスリ切れて動かなくなった時にやむなく購入する新機に付いてくるところの、その日までに先人諸氏が汗と涙で使いコナしておいてくれた OS のことなのだ。

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2006年10月15日 (日)

旅先のインターネット(3)

「ホテルの無線LAN 無料編」

インターネットから離れられなくなってしまった者が旅行に出掛ける時、先ずは行き先でのネット接続事情が気になる筈だ。 現在そのための情報は溢れるほどあるが、かなり古い内容のままで放置されているサイトが多い。 どなたかの昔の苦労話を参考に、接続のための諸道具を準備して出掛けても今や意味が無い。 個々の行き先での最新のネット接続事情を調べることが肝要なのだ。 一方、PCを持参することが面倒な場合は、出先の街に出てネットカフェを利用すればいいのだが、日本語環境が使えないことがあるので注意が要る。

行き先別の情報を・・ と言ってもそれは地域とか国とかの違いのみではなく、今や滞在する個々のホテルによって大きな差異が出て来ている。 その点、以前はモジュラージャックを揃えて行って電話代だけを覚悟すればどこでも使えたのだからかえって分かり易かった。 が今は、なんと諸道具も電話代も要らない場合があるのだ。 今回の滞在地ローテンブルグのホテルで 無料の無線LAN を利用出来たのがそれであった。 現在、あちらのホテルのサイトでよく見る "Free Wiress LAN" のサービスのことである。

Mittermierandpost 要するにこれは、ホテルが自家用に付けた無線LANを お客さんにも開放するというものである。 だから、「あなたのラップトップも繋げられる可能性があります!」 という、ちょっと不確かな宣伝文句になる訳で、部屋によっては電波が弱くて使えないことになる。 私が泊まったホテルではそのためにちゃんとロビーに事務スペースがあって、快適に使えた。 なお、ホテルから貸与された LANカード を使う必要はなく、我が ノート に内蔵された 無線LAN機能 がそのまま使えた。 ここでの便宜が、今回の旅行の ネット接続 のベストな例であったと思う。

注); このホテルの場合は、インターネットに繋げているシステムが、 IPアドレスも DNSサーバーのアドレスも WindowsXP が自動的に取得するのではなく あらかじめ決められたものを PC に設定しておく方式だった。 渡されたマニュアルは英語だったが、中の図は見慣れたものだったから、Windows の世界の汎用さを実感しつつ簡単にやれた。 数日の滞在中、夕食後にロビーで受発信を行い、それを部屋でゆっくり処理して、明早朝に再びロビーで発信をするというスタイルをとったが、旅行の疲れを増幅することもなく至極快適なメール処理と幾つかのサイト管理が出来たと思う。

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2006年7月18日 (火)

おじんの Web2.0

日経パソコン7月10日号で 「フィーバーはなぜ生まれたのか、Web2.0 の背景を知る」 という連載記事を読んだ。 初回は「新しい時代の予感」という題名だ。 読みながら、自分が一ユーザーとして経験して来たITの20年を想った。 1986年、それは私がNECのPC9801-VM2を購入して、それに付いていた電話回線等の接続口 (RS-232C) を見て、早くこれで世界に繋げてみたいと思った年だ。 当時は未だその便宜も一般的でなく、費用も巨額なものだったので、実際に電子メールというものを経験したのはそれより2年後、自分でウェブサイトと言うものを訪問出来たのは更にその8年後であった。

その1996年、IBM社製の ThinkPad535 に搭載された Windows 95 の上でIntenet Explorer3.0 が読み出して表示してくれる(初期の、主として大企業の) WWW の情報サイト( = Webサイト、ホームページ)を見て密かに興奮したものだ。 詳しい仕掛けは分からなかったが、凄い時代の始まりを確信したからだ。 確かにあの頃の興奮は密かなものであった。 直ぐにアクセスを切らないとみるみる電話代が嵩んだからだ。 思えば、それが私の Web1.0 の時代の幕開けだった訳だ。 そして今や Web2.0 が喧伝されている。 何が 1.0 で何が 2.0 なのかを明示する見識はとんと無いが、私なりに感じる何かがある。

今、Web2.0 に関わる検索を Google ですると 2,670万件 もヒットする。 もちろんその全部を読む人はいない。 ヒット上位の幾つかを読むだけだ。 上位のは人気のあるサイトだろうし多分「良い」サイトなのだろう。ちなみに 同じ検索を YAHOO! でやればその違いが(現時点では)歴然とする。 そこで即ち、前者が Web2.0 を、後者が Web1.0 を具現しているのだなと、私は思う。 ともあれ、幾つかの Web2.0 の解説サイトを読むと、当然なことながら Web の発信者側からの論理が多い。 勿論「ユーザーの・・」という論点が欠けているものは無いが、結局どれもビジネス展望になっている。 だから、単純なる しかも高齢なユーザーにはよく分からない話だ。

それでいい。 この10年に進化した WWW の素晴らしさをもう十分に活用させてもらっていると思うからだ。 「これ以上はついて行けないなぁ・・」 と、NHKスペシャル 「恐竜VSほ乳類」 を見ながらしみじみ思った。

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2006年2月25日 (土)

内蔵時計

私の年代は戦後初の小学1年生、その頃の我が家には時計が1台だけあった。 ド田舎だったからあるだけで自慢だった。 それは振り子式のゼンマイ時計で、巻くのは父親の日課であった。 あのギリリギリリとゼンマイを巻く音も、ボーンボーンと時を告げる音も遠い思い出の中だ。 ところで現在、我が家には時計は幾つあるのだろう。

あちこちの部屋の壁に、全てのオーディオ機器の中に、携帯の中に、車の計器盤に、お風呂の湯沸かし器に、お土産の置物の中に、家電店の大売出し景品の置物にも、そして引き出しの中の腕時計の数々・・、もう数えられないほどだ。 PC(パソコン)の内蔵時計も忘れてはならない。 これが一番正確だ!。 と、以前は思っていたが実は一番不正確であった。

特別な業務に使う以外は、PCの時計の精度を気にするユーザーはいない。 実は私もそうで、Windows95以前の頃は、精度どころか内蔵時計の存在さえ気に留めていなかった。 お陰で、日頃のメール記録で受信日時よりも発信日時の方が後という現象の理由が分からずに悩んだことがある。 あとでそれは「発信側か受信側、またはその両方のPCの内蔵時計が大きく狂っている」からだと知ったのだが。

幸いWindowsXPになってからはその精度の心配は要らなくなった。 インターネットに繋がってさえいれば国内外の標準的な時計との整合を自動的に取ってくれるからである(週1回、脚注参照)。 その前のWindows98の頃は、標準時のサイトにユーザーが専用ソフトで繋いで合わせる必要があった。 本当に便利になったものだ。

ところで、最近の腕時計のことだが、 今や「ソーラー・電波」がちゃんと出来上がっているのに、なんでブランド腕時計の広告が賑やかなのだろうか? それも物凄い値段の品ばかり?。 「時計の価値は正確さ」だと思っているおじんにはとんと分からんことだ。 ありゃ、腕時計じゃなくて、ウデクサリーかいな。

(注、コントロールパネル→日付と時計→インターネット時刻、とたどればその設定が出来る)

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2006年1月26日 (木)

フィリピンでの技術移転

私の海外勤務の回数はフィリピンが一番多い。記録を見ると、1978年のイロコスノルテから1993年のボホールまで延べ11回、年齢で言えば39歳から54歳までであった。一般に海外では日本人は実際の歳よりかなり若く見えるらしい。だから、比国灌漑庁の若い技術者諸君とはいつも仲良しになれた。他の発展途上国の時とは違う「心からの仲良し」になれたのである。それは比国民特有のホスピタリティーのお陰かも知れない。

私の実際の年齢を知り、細かい図面や文字を書くことが難儀だと知ると、カウンターパート(相手国の担当技術者)の誰もが進んで私の手足になってくれた。早くから書痙の症状があった私には本当に嬉しい環境であった。だから、彼らに役立つような技術移転をして感謝の気持ちを遺したくなった。

それが、比国でこれから増えるであろう土堰堤用のダム安定計算プログラムである。これは、パソコン時代以前のポケットコンピュータにBASIC言語で私自身がプログラムしたもので、大きさや築堤材の種類を問わないフィルダム汎用式だった。彼らは私が一年余も掛けて作ったそのロジックを数日で解読して、巨大な紙面にチャート(流れ図)として描いた。

こうなればしめたもので、難なくこれを、当時灌漑庁の特別室にあったタンディのTRS-80に移し変えた。その出来は、データの入力も結果の出力も(彼らのセンスが発揮された)スマートな体裁で、のろくて貧相な出力の我がポケット機の比ではなく、越された私は、なのに嬉しくてならなかった。

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2006年1月22日 (日)

ミヤンマーのインターネット

前に「ビルマのパソコン」という題で書いたが、今度は国名がミヤンマー連邦と変わって(1989)から後の思い出である。日本は、その頃から孤立化を深めた該国に対して実は静かに技術援助を続行していた。1995年4月に私はその一環として、灌漑庁への短期専門家として派遣された。テーマは漏水のために枯渇してしまったダム湖の診断であった。

mynm954j その原因と対策についての講演の時、灌漑庁の講堂に最新のプロジェクターがちゃんと準備してあったことに感激したものだが、それは日本からの無償援助の研究施設の備品であった。そこには何台かのパソコンも入っていた。でも、会場での質問の中に、ネットでなら直ぐに調べて答えられるのに・・というものがあった。が、あちらでもインターネット環境は未だ国民一般のものではなかった。

私はその夜、ホテルからバンコクのノード(パソコン通信のアクセスポイント)に電話を掛けてもらって、入国の時に唯の計算機として持ち込んでいたオアシス・ポケット3をつないだ。そこからニフティサーブからのゲートウエイ接続により米国のインフォキュー(INFOCUE)に入って科学技術の情報検索をしようと試みた訳だ。以前バンコク滞在中によく利用したのだが、その夜は結局つながらなかった。

myanmarf小さいけど新しかったそのホテルのボーイ君たちが、珍しそうにポケット3を眺めながら何度も電話を繋ぎなおしてくれたことを思い出す。彼らは元気だろうか?、現在の該国のネット事情はどんな風になっているのだろうか? とても懐かしい国である。

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2006年1月12日 (木)

e-Tax

毎年2月の所得税の確定申告は私の楽しみの一つである。 別に納税する事が嬉しい訳ではない。 その額は我が家には巨大だが、お国から見たら些細なものだろうし・・。 嬉しいのは申告書のフォーマットに数字を埋めて行くことで、老けゆく我が頭の体操が出来るし、年々の数字の変化で我が人生を実感出来るような気がするからだ。

その申告書作成方法もこのIT時代に沿って進んでいる。 昨年は、国税庁のHP上で作成して自宅のプリンターで印刷して所轄の税務署へ送付する方式に挑戦してみた。 そして今年は、作成も申告も納付もオンラインでやってみることにした。 これが e-Tax である。 このシステムは昨年から稼動していたようだが、個人認証の手続きが煩わしい感じがしたのでその時はやめた。

「他人になりすまして納税」してくれるのなら大歓迎なのだから、なんでこんなに厳しい個人認証が必要なのか?。 その為に、電子証明書を取得し、おまけにカードリーダーを準備しなければならないなんて・・、こんなシステムって税理士事務所あたりが喜ぶだけじゃないか?、などと思ったのだ。

ただ、この電子証明の機能をも持つという住民基本台帳カードを以前に取得(\500)してあったし、最近はカードリーダーも安くなって来た(\2,500+-)ので、昨年末に国税庁に申し込んで必要なソフトを送ってもらった。

うまく行くかと楽しみではあるが、新たな疑問が二つ沸いた。 一つは、このシステム、年末年始はもちろん所謂時間外には、オンラインの実稼動はもとより、送信練習も出来ないこと(申告書作成は24時間いつでもやれる)。 もう一つは、申告時に必要な添付諸書類を別途郵送しなければならないと言うことである。

ありえなーい!ことだが、国税庁が民営化されたら、こんなでは「他社!?」に負けちゃう・・。

2006年の関連記事はこちら→ 続e-Tax(06.02.16)続々e-Tax(06.04.21)

2007年の関連記事はこちら→ 今年のe-Tax(1)(07.02.04)同(2)(07.02.16)同(3)(07.02.17)同(4)(07.02.18)

2008年の関連記事はこちら→ 今年の e-Tax (2008.01.20)

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2006年1月 8日 (日)

ロータス1-2-3

Lotus123v22 表計算ソフトと言えば今や Microsoft Excel の独壇場である。が、私は Lotus 1-2-3 を手放せない中高年層の一人である。かつて 1-2-3 は、パソコンの基本ソフトが MS-DOS から Windows へ移行した時の波に乗り遅れたと言われた。実は私もそれに不安を感じて、 Excel に乗り換えた時期があり、そのマクロ言語(VBA)の使いづらさに泣いたものだ。

私が Lotus 1-2-3 を愛するのは、そのマクロ言語の使い心地の良さにある。データを書き込むのと同じシート上の好きな場所に好きなだけマクロプログラムが記述出来て、しかも極めて単純なキー操作でそれらを走らせることが出来るので、入出力データの相互間の見通しの良さは抜群である。だから私は、ポケット科学計算機や初期のパソコンで、未だベーシック言語しか使えなかった時期にプログラミングした資産を、全てこの 1-2-3 に移行したものだ。

引退した現在、亡き愛犬のウェブサイト「老犬がんばれ台帳」なるミニデータベースを公開しているが、この為のデータ処理も、サーバーへのアップロード以外は全て、1-2-3 の一つのシート上でやっている。HTML文のデータ部分もここで作らせているので、ワン君が1,100頭を超えた今でも日常の管理はいたって楽で実に快適である。

私の使っている 1-2-3 は SOURCENEXT社がたったの \1,980 で販売しているもの(IBM純正と同等だとか)で、、「台帳」に新規の登録犬が来てくれるとそれが1頭だけでも、全てのデーターをリセットして時系列で並び直させ、最新の統計処理を行わせる。パソコンは CPU=Celeron2.0G RAM=256M OS=XPsp2 だが、その所要時間は135秒前後である。

初期の 1-2-3 の値段が10万円近くで、製品1箱の重さが数kgだったことを考えると、とても感慨が深い。 左上の写真がそれ(V2.2J、1991購入)で、付属のマニュアル書の厚さが4cm、711ページもあった。 おじんのように目がくたびれた者には、マニュアルはやはりこういう印刷物がいい。

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2006年1月 5日 (木)

パソコン通信のころ

私のパソコン通信の始まりは1988年3月、赴任地で「コミネット仙台」を利用した時である。通信事業の自由化で電電公社がNTTに民営化され、通信開放によりパソコン通信サービスが始まったのが1985年だから、個人ユーザーとしては早い方であった。

個人ユーザーだから、電話料金を節約するために出来るだけ居住地の近くのサービスを利用した訳で、大企業や金持ち向けの全国的なものに対してこれらは「草の根BBS」と呼ばれ、第三セクター的な経営が多かった。その後名古屋の本社に戻ってからは「中日ネット」に替えた。それほどに、パソコン通信の費用では電話料金が大きな比重を占めていたのだ。

80年代の終わり頃には回線のスピードやモデムの性能も上がって、大手パソコン通信のアクセスポイント数やサービス内容がどんどんと向上したので、社用としてNIFTY-Serveに加入してもらった。ここは、アメリカのCompServeと連携していたので、技術情報の検索に大いに役に立った。ただ「会員」としては、本社用に一名義、東京支社用に一名義だけを取って、全社用に「上手く」使ったものだ。

日経パソコンの今年の最終号の「プロバイダーランキング2005」を見ると、@niftyは総合第5位とのこと。幾つかのホームページ作りにここの「CGIサービス」を大いに役立てている私としてはやや意外である。ランキングトップの某社などはこのサービスさえ提供していないのだから。

そう考えながら、今も我が部屋の壁でコチコチと正確に動いている厚紙製の折り畳み時計を眺める。この時計は1990年6月に「会員10万人突破記念」としてNIFTY-Serveから頂いたものである。

nifgift

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2006年1月 2日 (月)

ビルマのパソコン

これはミヤンマーが未だビルマと呼ばれていたころの思い出である。私は今から二昔余も前の1983年の4月から丁度1年間、二つのダムと2万4千ヘクタールの灌漑用水路の設計をするコンサルタントの団長として彼の国に滞在した。

当時の土木設計の世界は、IBM等の大型電子計算機を本社に置いて技術計算をしていたので、現在のパソコンのようにプロジェクトの現地に持っていって使えるような機器は未だ一般的ではなかった。ただ、それより10年ほど前にあのビル・ゲイツ氏達が世に出したMS-BASICというコンピュータ言語が汎用されるようになって、これを搭載した小型の計算機が出回り始めた頃である。メーカーはこれを「パーソナルコンピュータ」と丁寧に呼んで宣伝したものだ。

ダムの構造設計などの大きな計算は本社でやってもらうにせよ、日常の技術計算や事務処理については是非現場でやるべきだと考えた私は早速、ビルマ政府の事前の了解を得てそれに相応しいものを探した。こういう機器は、業務が終わればそのまま現地の機関に引き渡すので日本語仕様では駄目であったが、幸い当時は純アメリカ製が調達出来たのである。

それがタンディラジオシャック社のTRS-80であった。その性能を見ると、下記の通りだったようで、現今のパソコンと比較すると、まことに隔世の感がある。

trs80 CPU : Z-80 (1.7MHz)
ROM : 12 KB
RAM : 16 KB
Grpaphic : 280x192 Dot Color

これを超貴重品扱いで現地まで運んで、夏季には40℃を超えるので、当時のビルマではこれまた超貴重品だったエアコンを現地調達して、コンサルタントのキャンプ内に特別室を作ってもらった。

聞くところによれば、このTRS-80はビルマに初めて来たパーソナルコンピューター2台の内の一つであって、あとの一つはあのネ・ウィン将軍(1911-2002)が取り寄せたものだったそうである。高齢な日本人ならその名をよく知っている筈だが、当時すでに70歳を超えていてなお国軍と政党と行政の最高権力者として、このような当時最新の情報機器をどのように使おうとしたのだろうか。

ちなみに、彼と共に日本軍の軍事訓練を受け、共に反英・ビルマ独立のために闘い、彼より先に将軍になったアウンサン(1915ー1947)のその娘、アウンサンスーチーさんは現在ミヤンマー政府によって軟禁の身である。

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2006年1月 1日 (日)

「おじんのIT今昔」とは

私は現在66歳、パソコン暦は1980年の日立ベーシックマスター以来25年、インターネット暦は1988年のコミネット仙台以来18年と、丁度日本におけるIT時代の進展とともに生きて来た。

既に現役を退いて数年、自分が今ITの下での生活にどっぷりと浸かっていることに気がつき、それが同級の友達よりはかなり極端であることに気がついた。でも、それを自慢する気はない。むしろ、これぞ「年寄りオタク」なのではと自問することもある。

私はITの専門家ではなく、本業を土木技術者とする一介のITユーザーだったに過ぎない。それもかなり生真面目で頑固なユーザーだったと思う。そして、今までの仕事や趣味上でのITへの関わりを表せば、それはそのまま「後期自分史」になるのではと思う。

この四半世紀のITの進展はまことに目まぐるしく、ユーザーの側から言っても実に様々な出会いや苦楽があった。これから、それらを思いつくままに書き残して行きたい。IT以外の話が出るかも知れないが、ブログというものがその「思いつくままに書く場」として役に立つことを期待しながら・・。

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