趣味

2008年2月17日 (日)

「ちりとてちん」 と 「赤毛のアン」

Photo 毎日が日曜日状態を結構楽しむおじんだが、今日みたいに本当の日曜日は何だかつまらん。 「ちりとてちん」 の放送が無いからだ。 これは三味線の音からきた言葉だと思うが、今ネットで検索すると、NHKの連続テレビ小説の話ばかりがヒットしてくる。 それもこのドラマの好感想を記したものが殆どで、皆さん 様々な立場から書いておられるのだがどれにも共感してしまう。

ドラマは3月いっぱいで終わるのだが、それが惜しく思われるほどにとても内容が濃くて深い脚本だ。 バックに流れる音楽も素晴らしい。 過去の大阪発の連ドラにも感じられたことだが、演じている人々や製作している人々の熱気が溢れ出ていて、全く関係の無い世界なのに自分もついドラマの中に入ってしまっている。 特に糸子母さん(和久井映見)には惚れ惚れしちゃう。

加えて、この話の筋や舞台や人物名など、更にセット内のちょっとした張り紙の中までに盛り込まれた伏線を知るだけでも幸せな気分になれる。 実はこれとは全く違う世界なのだが、カナダの作家 ルーシー・モード・モンゴメリ の 「赤毛のアン」(1908) を思い出す。 ドラマの方の主人公 「若狭」 は心配性で自分への引け目だらけだけど、好きなことには突き進む。 名作の方の 「アン」 は髪の毛にも容貌にも強いコンプレックスを抱くが、正直でおしゃべりで空想好きで前向き。

Annedvd それに 「アン」 の原著にも とても豊富な伏線が盛り込まれていて、ここ十数年来このことを (ITを駆使して) 研究されている 松本侑子氏 の翻訳が手元にある。 村岡花子氏 の名訳(1952)が出た時代には、これは少女小説で、男はこれを読むのが恥ずかしいともいわれたのだが、松本訳に付いた伏線の解説を見ながら読むとおじんでも幸せな気分になれるのだ。

ところで落語界では、腐った豆腐を名付けて 「ちりとてちん」 としたダマシ話があるが、これを聞いたら沖縄の 「豆腐よう」(←私の大好物) が泣くに違いない。

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2008年1月 1日 (火)

丁亥(ひのとい) から 戊子(つちのえね) へ

新しい年への期待を胸にしながら 2007年最後の朝刊を読んでいて次のことを知った。 株をやる人々は、来る子(ね)年を 「十二支の中でも最も上昇機運の強い」 年だと期待しているのだそうで、事実過去4回の子年の内3回で株価が上昇したという。 ただし、残る1回 (直近の1996年) は大手金融機関の破綻が相次いだ結果 97年の金融危機へと繋がったとて、格言と言えども妄信は禁物だとのこと。 モウシンと言えば、亥年のこの一年を思うに、清く正しき突進を成し遂げた事例を挙げるのは難しく、迷走や偽ソウばかりが目立った。

「子」 とはねずみのこと。 これがなぜ十二支のトップに来ているのか正しい謂れは知らないが、そのノミネートへの先を争う動物たちの中で、早起きの牛の背中にちゃっかりと乗っかって遂には一番乗りを果たしたお話 (松戸市在住のご一家のサイトより) は何か普遍な示唆を含んでいて実に愉快だ。 さてそして現在、そんな 「ねずみ」 の種類は非常に多いが、中には 「偽」 の仲間もいる (下記で×印のもの)。 だが勿論、彼らには何の罪も無い。 ・・・ともあれ私も、「子(ね)は繁栄」 と言う希望的格言を信じて新年を迎えることにしよう。どなたも良いお年を・・・

・・↓・・  「ねずみ」 のいろいろ  ・・↓・・

Photoミッキーマウス(白ハツカネズミ) : ディズニー社が半永久的な商標権を保有するキャラクター。1928年11月18日生まれ。英語では、ハツカネズミなどの小型のネズミをマウス、ドブネズミなどの大型のネズミをラットと呼び分けている。

Photo_10ハツカネズミ : 脊椎・哺乳・ネズミ目ネズミ科ハツカネズミ属。古くから人類に近接して棲み、実験動物として人間社会に多大な貢献をしている。

Photo_2リス : 脊椎・哺乳・ネズミ目リス科。ネズミ目を齧歯目と称してこれをヤマアラシ・ネズミ・リスの3亜目に分けることもある。

Photo × ハリネズミ(針鼠) : 脊椎・哺乳・モグラ目ハリネズミ科。体毛が変化して針になった。日本には大昔には居た(化石が出た)が、有史以来は居ない。が、最近は居る(外来種)。

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Photo_3カヤネズミ : 脊椎・哺乳・ネズミ目ネズミ科カヤネズミ属。日本で一番小さなネズミ。萱場が無くなったので絶滅に瀕している。

Photo_11モルモット(天竺鼠) : 脊椎・哺乳・ネズミ目ヤマアラシ亜目テンジクネズミ科。現在実験動物の主役はマウスやラットなどであるが、生理的に人間と似ている点があってアレルギーに関する実験などには今も役に立っている。よって「モルモット(にする/される)」と言う言葉が出来た。Photo_4

× 海鼠(ナマコ) : 棘皮動物門ナマコ綱に属する海生の動物。私の大好物。

Photo_5ヤマアラシ(山荒) : 脊椎・哺乳・ネズミ目ヤマアラシ科に属する草食性の齧歯類の総称

Photo_6カピバラ : 脊椎・哺乳・ネズミ目ヤマアラシ亜目カピバラ科、現生種最大の齧歯類

Photo_12 × オポッサム(袋鼠・子守鼠) : 脊椎・哺乳・有袋類オポッサム目オポッサム科。アメリカ大陸に居る。オーストラリアに居るのはポッサム

Photo_7ハムスター : 脊椎・哺乳・ネズミ目キヌゲネズミ科。←はゴールデンハムスター(シリアンハムスター)。1930年にシリアで捕獲され世界中に広まりペットとして飼われるようになった。他にジャンガリアンハムスター・キャンベルハムスターなどがいる。

Photo_8プレーリードッグ : 脊椎・哺乳・ネズミ目リス科プレーリードッグ属。北米の草原地帯プレーリーに穴を掘って巣穴をつくり、一夫多妻の群れで生活する。犬が吼えるような鳴き声には沢山の情報が含まれているという。牧場や耕地に巣穴を掘るので現地では害獣とされている。

Photo_9 × ナキウサギ : 脊椎・哺乳・ウサギ目ナキウサギ科 。日本で発見されたのは1928年(エゾナキウサギ)。しっぽの無いネズミに見える。

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Photo_2モモンガ : 齧歯目リス科モモンガ属。滑空によって飛翔する性質を持つ。札幌のある中学校の校庭に立つハルニレに棲むエゾモモンガ(←)が有名。モモンガの仲間で 日本の固有種にムササビが居る。

Photo_3 × トガリネズミ : 脊椎・哺乳・モグラ目(食虫目)トガリネズミ科。モグラ目全種のうち、70%の種数を占める。

Photo_4ビーバー: : 脊椎・哺乳・ネズミ目(齧歯目)ビーバー科。水辺の木をかじり倒し、そこに泥や枯枝などを加えることで大規模なダムを作る。ダムの中央部に巣があり、出入り口は水中にある。このような習性から、「自分の生活のために周囲の環境を作り替える、人間以外の唯一の動物」だとも言われる。

Photo_2 ×犬(我が家のボーダーコリー「小太郎」) : 人間大好き動物なれども鼠小僧的 (人や犬が近づいて来ると こそどろスタイル で匍匐前進する。でもその時、しっぽを振っているので番犬にはならぬ (^^♪ )

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Rikyuunezumi 参考 : 利休鼠の色見本 : RGB値=#888E7E 辺りと言われ、色の三要素の内 R=88(赤の要素136/256) G=8E(緑の要素142/256) B=7E(青の要素126/256)に相当する(←クリックするとその色が良く分かる)。

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関連記事 : 「丙戌(ひのえいぬ)から丁亥(ひのとい)へ」 (2006.12.28)

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2007年12月16日 (日)

愛犬家に贈るクリスマス物語

これは、我が故愛犬のホームページに載せてある愛犬家のためのクリスマスに相応しい物語である。2001年に或る秋田犬MLに紹介された作者不明のお話である。

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遠い昔のある寒い冬のこと、地上の全ての生きもの達に、嬉しい報せがやって来ました。
「お生まれになったぞー。男の子だよー」、白ふくろうが叫びながら飛び回りました。
「さあ、わしもお前も皆んな行こう。そして祝えや!」、長老のライオンが吼えました、
「そして、新しいご主人に贈り物をな・・・」と。

森は精気に輝き、喜びにざわめいていました。天空の星に向かって全てのものが走り
出さんばかりでした。そのどよめきは、あまりに大きくそして喜びに満ち満ちて、
遠く遠くどこまでも伝わって行きました。

とある小さな谷間のいばらの根元で、一匹の小さな犬が目をさまして、頭を挙げ、
遠くからのその物音に耳を立てました。小さい頭を更にあげて、何事かといぶかりました。
ゆっくりとけだるい体を持ち上げて、辺りの空気を嗅いで見ました。

何か変だぞ、でも何だろう?。遠くから聴こえてくるとても幸せそうな歌声・・・、
彼はそう感じました。内容ははっきり分からない、でも絶え間ない滝の音みたいに、
霧の中の朝のように、そしてそれはなによりとても幸せそう・・・。

遂にたまらなくなって音の来る方向に歩き出した彼は、すぐに、頭上の一つの星に気が
付きました。それは、涙が出るほどにとてもまぶしく輝いていました。こんなに幸運
そうな見事な輝きは一体何なの?。この素晴らしい眺め、何だか凄いことが起こったみたい?。

彼はか弱い脚で何日も何日も歩き続けました。疲れてもお腹がすいても歩き続けました。
一心に、そのどよめきの方角に向かって。
それは、以前の彼の幸せで楽しかった頃を思い出させるものでした。
一心に、その輝く星に向かって。
それは何か幸せなものに近づいて行くように思えるのでした。

ようように到着したところで彼が見たのは、その目を疑うような神秘的な光景でした。
辺りいっぱいに生きもの達が溢れていました。そして皆立派な贈り物を携えていました。
あるものは森で採った新鮮な草の実を、あるものは美しい木々の葉を、
あるものは珍しい植物の小枝を、そして更には可憐な野の花々を・・・。
彼らはそれぞれの贈り物をその厩(うまや)の入り口に並べて置いています。
その厩の真上には、あの星が更に輝きを増してまたたいています。

彼は隣にいた鹿に聞いてみました。「一体何事が起きたの?。ここは何処なの?」と。
「新しいご主人が生まれなさったのだよ。君はその方への贈り物は持って来なかったのかい?」、
鹿は非難がましく云い返しました。
「持っては来なかったの。知らなかったもの」、孤独な小さな犬はそう答えてうなだれました。

鹿はあざけるように笑って鼻息を吹きかけ、憤慨したように頭を振って行ってしまいました。
小さな犬の小さな体は震えが止まらなくなりました。
彼の小さな尻尾はその小さな後ろ脚の間に挟み込まれて、小さな頭はいっそう低くうなだれました。
彼は恥ずかしかったのです。

でも、彼はその新しいご主人を一目でも見たいと思ったのでした。
そこで彼は、そおーっと忍び足で厩の中に入って行きました。
体が小さいので他の動物達の陰に隠れて行けたのでした。
お陰で実に簡単にかいば桶のところまで行けて、中を覗くことが出来ました。

「誰だ!お前は?」、ライオンの大声が響きました。
「新しいご主人への贈り物も持たずに、何でお前はのこのことやって来たんだ?」。
小さい犬は身を縮めて震えが更にひどくなりました。
彼はかいば桶の前に伏せをして目をつむりました。彼はライオンに殺されるかもと覚悟をしたのです。

彼は、とても小さい声で、素直に、しかししっかりと言いました。
「私には何も贈り物がありません。草の実も、小枝も、野の花々も・・・。
あるのは私自身の命だけです。だからこれを喜んで差し上げたいと思います。
これは、この場の同朋の皆さんにとても恥ずかしく思わせてしまった私の償いです」と。

彼は待ちました。目をつむって。
今夜ここで生を終えようとも、せめてこのご主人の揺りかごの下で終えたいものだと思いながら・・・。

その時、温かくそして優しげな手が彼の体に添えられました。
でも彼は敢えて目を開けませんでした。続いて女性の声がしました。
「小さき生き物よ、畏れることはありません。
あなたが今、いばらの思いで言ってくれた気持ちが、それこそが彼への贈り物なのですよ」と。

孤独な小さな犬は、目を開けてその女性を見上げました。
そして、「でも、私には本当に何も差し上げるものが無いのです。
だから私自身をどうぞ。ほんに小さなものですが」と遠慮がちに言いました。

女性は微笑みながら彼の耳を撫でました。
「可愛い犬よ、お前はご主人を見るまでに長い長い旅をして来ましたね。
それだけで立派な贈り物ですよ。それがお前自身の心からの行いだったのだからね。
純心で謙遜な気持ちほど立派な贈り物はありませんよ。
小さきものよ、さあおいで」と、女性はその小さな犬を抱き上げました。そして、

「我らが主よ、偉大なる子よ。このものに祝福を」と。
この時、かいば桶の中の御子は微笑んでいました。

かくして、犬はもう孤独ではなくなりました。

以来、犬は人に従って生きて来ました。
犬、これこそ天からの贈り物。
逆境にも忠節を失わず、いつもへりくだることが出来る唯一の生きもの。
何の訓導も受けないで、長い長い独り旅が出来る唯一の生きもの。
罪も無いのに、あなたの前で伏せが出来る唯一の生きもの。
罪も無いのに、あなたのののしりを聞いてくれる唯一の生きもの。
必要ならあなたの足元で、喜んで死を受容する唯一の生きもの。

慈しまずにおられましょうか、この天与の友を。

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Author unknown .
Forwarded through AkitaLovers-ML from Schipperke-ML by Ms. Donna Morgan .
Translated in to Japanese by T.Inaba Dec.09,2001.

Xmastrbn_2 日本語訳=稲葉忠雄 H13.12.09
現在のところ転載は不可ですが、リンクはご一報の上ご自由にどうぞ。左のバナーはS&G@てんちょさんに作って頂きました。ご自由にお使いください。

リンク用URL = http://www.tcp-ip.or.jp/~inaba/xmas.html

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2007年11月10日 (土)

ペットとコンパニオン

Photo 我が家に新しい犬が来てから1ヶ月が経った。 そのボーダーコリー 「小太郎」 は、私共老夫婦にとって時にデレデレの愛玩動物(ペット)であり、時にしみじみとした伴侶動物 (コンパニオンアニマル)である。 ただこの呼称は二つとも、聞く立場によって意味が大きく違ってくる。 動物愛護家が聞く場合と、すごいワルおやじが聞く場合とである。 後者の場合についてはさておいて、今日は前者のことを考える。 家庭で飼う愛すべき動物たちを 「ペット」 などと呼ばずに 「コンパニオンアニマル」 と呼ぼうという動きについてである。

それは随分前から提唱されていたのだが、なにせ提案語の方が10文字もあるので中々市井に定着しない。 元が2.5文字なのだからそれに代わるには、3文字程度、即ちブログ(=ウェブログ) や メタボ(=メタボリックシンドローム) のような 「短語」 でないと中々ブレークしないのかも知れない。 今ネットで 「コンパニオンアニマル」 を検索すると、非常に沢山のページがヒットして来るのだが、それらのサイトから 「ペット」 という言葉がきれいに消えている訳ではない。

この呼称変更の提案は、日本では今でも盛んなよう (例1例2) だが、欧米のサイトを調べると、この二つの言葉にはそれぞれに意味があるものとして今もちゃんと使い分けられているようだ。 例えば米国農務省の動物保護条例 (Animal Welfare Act) では、対象となる動物群を 「Wild Animals(野生)」・「Exotic Animals(外来)」・「Farm Animals(牧畜)」・「Research Animals(実験)」・「Zoo,Circus and Marine Animals(園・演・海洋)」・「Companion Animals(伴侶)」 等に分けて定義していて、その最後の群の中に 「Pet Animal(愛玩)」 なる用語が状況に応じて使われていて分かりやすい。

同じ配偶者なのに、うちの 「主人」 やら 「ダーリン」 やら果ては 「やつ」 までと状況に応じて様々に呼称されるのと同じで、要するに使う人の気分次第で決まって行くのだろう。 なるほど、現在の我が家の 「ペット」 は双方の 「伴侶」 の座を占有しきっていて、これではいい躾など望み薄だ。

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2007年10月13日 (土)

和魂洋才 (秋田犬とボーダーコリー)

表題の4文字は、日本古来の精神世界を大切にしつつ西洋の才能を受け入れ、両者を調和させ発展させて行こうという意味である。 それは、西洋に習うことのみに熱心だった明治時代の風潮のアンチテーゼでもある。 ただ、IT時代の今、そのような切り口で事を論じるには、世界の精神構造も情報・知識も混然とし過ぎている。 地球が一つであるように人類も一つなのだ!。 ・・などと日頃想おうとしていたおじんに、ニュアンスはやや異なるが、ふとこの言葉を思い起こさせたものがある。 先週から我が家の一員になった仔犬のことである。

Taro950102 Hana070715 その犬種はボーダーコリーで、私共夫婦は、5年前に亡くしてしまった秋田犬(写真左)との性質の違いに驚いている訳だ。 その違いは、唯の固体差では決してなく、当時はまさに 「和犬」 に 「和魂」 を見ていたのだなと思う程に、今度は 「洋犬」 に 「洋才」 を見る思いがするのだ。 頑固で時に静寂を好む風な和犬に対して、洋犬は四六時中人間と共に居ることを喜ぶのだろうか、そして根っからの働き者だと言うことが仔犬なのに良く分かる。 実は一昨年、同種の、長男夫婦の愛犬(写真右上)が私共一家と山道を散歩していた時に、バラケて歩く人間達を固めようとして休まず走り回る様を見て驚き感心したものだ。 この犬種には生まれながらに牧羊犬の血が流れているらしい。

想うにそれは、西洋には 「賢くて働き者」 の犬を作出する歴史があって、一方日本では 「孤高・忠実・排他」 な犬への希求があったのであろうか・・。 ともあれ、このような違いを超えて、昔の 「タロ」 も今度の 「小太郎」 も私どもの愛犬である。 「犬」、それは人類のための天与の友。 義務でも無いのに、主人の前で伏せが出来る唯一の生きもの。 罪も無いのに、主人のののしりを聞いてくれる唯一の生きもの。 すべての犬はその飼い主を無条件に愛しそれに従う。 それは、まるで確信犯のようにいつも我が家の庭を汚していく隣の黒猫とは天と地ほどの違いがある。 小太郎よ、キャツを追いはらうべし!

ただ残念なことに、盆・正月での散歩の度に私共を感嘆させた 「はなちゃん」 はこの7月に早世してしまった。 まさしくわが仔を失ってしまったに等しい長男夫婦の悲嘆はさぞかしと思うと、かける言葉も無かった。 その後の寂しさに耐えかねたのであろう、彼らはやがて再び同種の犬を求めた。 その犬舎に同行した私共も、ボーダーコリーの虜になってしまった。 長男らが確保して 「優花」 と名付けた仔は未だ幼くて持ち帰りが出来なかったのだが、我が家にはその異母兄に当たる仔を連れて来たのだ。 連日携帯で名古屋から送られる 「小太郎」 の写真にヤキモキしながら、長男夫婦はいよいよ明日、千歳空港でわが仔に再開出来る。 思いはただ一つ、「いつまでも健やかに・・・」。

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2007年9月24日 (月)

我がプリウスの2年間

Priusnenpi 私の愛車プリウスは、間もなく購入後2年になる。 前に書いたようにこの車は、前進する時は 「名車」 であり、バックする時は 「迷車」 である。 そして、走行時に静か過ぎるのは時に要注意!、時に痛快!である。 「燃費の優等生」 なのに 「バックの問題児」!?・・・、でも問題なのは、加齢のせいか、とみに首の回りが悪くなった運転手の方なのかも知れない。 よって今日は、ここ2年間の燃費のことだけを書く。 右上のグラフ(クリックすると拡大する)は、我が 「名車」 の、購入してから今日までの燃料消費率の推移をプロットしたものである。(その最新版を ここ ←に格納してある)

これは、毎回の給油を満タンにすることにして、その量と当該走行距離から計算したもので、演算と図化は我が愛用の ロータス1-2-3 によった。 実は、プリウスの計器盤にも燃費のインジケータが付いているのだが、私はその計測のメカを知らないので、それと実際とのズレを知ることにも興味があった訳だ。 さてこのグラフから伺えることは、先日まで猛暑だったのにそれが燃費に影響していないで、かえって真冬に率が落ちていたこと、私共シニア夫婦の日常用でも燃費の総平均(生涯平均燃費)が 20Km/L 近くになっているということ、そして、計器盤の値の方は実際よりやや良く出ていること、などである。

ネットを検索すると、プリウスの燃費についてのサイトがいっぱいヒットする。 それらには、燃費向上のための運転テクニックが紹介されている。 多くはマニアックに過ぎて、まるで燃費向上のためにドライブに出掛けているようなのもある。 前にも書いたが低燃費のためのおじんの哲学は、「セーフティードライブ が即ち エコドライブ だ」と言うことである。 そして今回の新発見は、一般に言われているところの 「(夏の)エアコン使用は燃費の敵。 冬の暖房は(エンジンの熱を利用するので)あまり燃費に影響しない。」 と言う「常識」 が、少なくとも私のプリウスではまったく反対の傾向になっていると言うことであった。

更に今回、ある機関紙(脚注)を読み返してみて、我がドライブ哲学にやや幅が付いて、そして一つ目を覚まされたことがある。 即ち、「タイヤの状態は適切か?」 ・ 「要らぬ荷物は積んでいないか?」 ・ 「最近の車(のエンジン)は暖機不要!」 などの事柄であり、更に目を覚まされたのは、「むやみに車に乗るな!。 乗るなら計画的に」 なる指摘であった。 そうだ!、名古屋のトシヨリには 「敬老パス」 があるではないか!。

注 ; 日本自動車連盟 のジャフメイト"JAF Mate" の連載記事(2006.10~2007.8-9)

過去の関連記事 ; 名車プリウス(2006.04.18)ハイブリッド今昔(2006.04.19)迷車プリウス(2006.04.22)

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2007年8月29日 (水)

楠(クスノキ)とノウゼンカズラ

Nouzenkazura 庭の南端にかなり大きな楠の木(クリック→)があって、春から秋にかけて、薄いピンク色の ノウゼンカズラの花 がそれに纏いつく。 この楠は、長男の小学入学のお祝いに名古屋市から頂いた庭木引換券が活きたものである。 それは今から 35年前 に植木市から乗用車で運んだもので、始めは子供の背丈ほどの苗木であった。 楠は 「常緑樹なので落ち葉はない」 などと安易に思っていたのは大間違いで、晩春の新芽の時期の前には大量の落葉があって、おまけにこの照葉は中々堆肥にならないので始末に困る。 が、この枯葉を袋に詰める時には、あのいい匂いが楽しめる。

ノウゼンカズラ の方は、街や高速道沿いによく見られるような橙色の花のものではなく、薄いピンク色のもの (pink trumpet creeper) である。 手元の本には 「吸着根を出してほかの木によじ登り、ついにはその木を枯らせてしまうほどに生育旺盛」 だとあるが、この薄いピンク色のものはそれほど横暴ではなく、この楠に自分で登る力は無かったようで、毎冬に上へ上へと私が誘引してやった結果である。 現在はとても居心地が良さそうで、長く垂れ下がった枝についた花々がゆっくりと揺れている。 猛暑の中で涼やかさを与えてくれて 愛らしい。

実は、数年前のある冬に、頼んだ植木屋さんがこれをきれいに刈り取ってしまったことがある。 どうやら、「ノウゼンカズラには毒もあって悪い植物」 であると決め付けられていたらしい(これは誤解だと言うサイトもある)。 元の大きさに育つまでにまた数年掛かったのだが、以来我が庭は二人だけで手入れをしている。 お陰で、我が家の木々は、野放図に天高く伸びてしまった。 どうしよう・・。

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2007年6月30日 (土)

おじんとおばんのDIY

我が家の DIY 度はかなり高いものだと思う。 私は日曜大工が大好きだし、妻の裁縫・手芸はプロのレベルを超えているように見える。 でもお互いにもう歳だから、これらの趣味を生活の前面に押し出すと言う気持ちは持っていない。 なのに、この6月の我が家は 「毎日が日曜大工」 であった。 それもブロック積みという、高齢者には相応しくないような重量級な作業で、しかもその理由は、傾斜地での境界フェンスの老朽化という極めて専門的な事情によるものであった。

実は、我が家の南面の庭の東側には、隣地との間に鉄製のフェンスを設けていたのだが、これが 33年 を経てあちこちで錆びてしまい、専門家に診てもらったのである。 我が庭は自然の地形のままに南に向かって傾斜していて、そのままにフェンスを設けていたのだが、隣家は全体を水平に切り開いて造成したので、ある所では我が敷地の方が高く、庭の先では逆にあちらが高くなってしまい、そのためにもう一列のブロック隔壁を境界線ギリギリに設けてその食い違いを仕切って、土止めとしておられたのである。 専門家はその状況を見て、何やら小難しい話をしながら、今回の修理は隣地も掘り起こすことになると言った。 単なるフェンスの修理だけでは 「仕事にならん」 という心だったのであろう。

Blockfence そこで、我が持ち前の DIY精神 が目を覚ました。 即席の 「超大型水準器」(散水用のホースを水で満たして 「高所の方の口を溢れさせ、低所の口を持ち上げて "溢れさせない" と、両者の高低差がミリ精度で読める」  という原理を利用する) を使って庭の傾斜を測量し、ブロックとフェンスとの配置図を描いてホームセンターや専門の 展示場(脚注) を訪問した。 我が家のフェンスの基礎ブロックは敷地より丁度 10cm だけ控えて設置してあったから、隣地のブロック壁との間には無用な隙間があったのだが、今回はここにもブロックを入れて都合3列 (2列は当方のもの、1列は隣のもの) で耐震性を確保し、取り去った旧いフェンスの縦棒の中には錆びてはいないものもあったので、これらをブロックの穴から地中に打ち込んで更に耐震性を加えることにした。

高齢者の屋外 DIY には梅雨時がいい?!。 雨が降れば体を休めることが出来るし、セメントコンクリートの硬化時間も取れて しかも(湿りは)その養生にもいいからだ。 日頃、ブロック積みの職人さんの仕事などを見ると時間を忘れてしまうという妻は、それを自分でやれることになって嬉々としていた。 妻には、国宝級の板金職人だった父親の血が流れているのだ。 とは言え、もとよりあのような見事な 鏝(コテ)使い は出来ず、何だか和菓子職人のような手付きだったのだが、なにしろ自分で 「親方」 も 「施主」 も兼任していたのだから怖いものは無い。 私はもっぱら助手役で資材配置の微調整役をやらせてもらった。 が実は、そこが肝心で、出来映えの良さ!はその辺から来ているのだが・・・。

(注) ; メーカーの展示場へ行く事は幾分か危険が伴う。 妻が、どれもこれも欲しくなって欲求不満に陥るからだ。 それよりも現今はそこの公式サイトを訪問するに限る。 店員さんは寄って来ないし、全製品がきれいに分類されて並んでいるし、説明も詳しいからだ。 実作業の最中に、ちょっと行って調べ物が出来るのも有難い。

上の写真では、3列目にあたる隣家のブロックは低いので見えない。

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2007年5月30日 (水)

52年ぶりの吾が娘に・・(5)

「写経」

Shakyou 私の長姉は81歳にして写経を始めた。 彼女の念願であった瀋陽滞在を成功させ、そこでの日々を平穏に過ごせるようにと、私の妻が提案したことである。 今、姉は長女の家の一室で毎朝一巻を書写して、それを一週間分まとめて日本へ送って来る。 それぞれの末尾には、姉の(即ち私の)故両親と、中国での亡夫と、そして日本での亡夫の冥福を祈る願文が日毎に変えて記されている。 当初は誤字が多かったのだが、妻の添削が効いたのか、今はきれいに揃った文字になって、それは現在の姉の心の平安を写しているように思えて嬉しい。

あちらの国では写経は一般的ではないのか、瀋陽での最初の朝に書かれたものをその夜の歓迎会の席で長女がうやうやしく広げたのを、みな珍しそうに見ながら、自分たちのお婆ちゃんがこのようなことが出来ることに感動しているようであった。 それは 「般若心経」 の書写だから、その漢字は謂わば 「繁体字」 であって現在の中国では(香港や台湾以外では)使われていない。 新中国成立後に文字改革が行われて 「簡体字」(1964~) が定められてからもう40年以上経っているのだから、皆は、その古めかしい文字群を見て感じ入ったのであろう。

写経をすること の意義は何であろう。 昔は、仏の教えを伝えるという 僧たちの崇高で真剣な目的 のみがそこにあったのであろう。 それが国策の下での専門集団の生業になったり、一般僧の修行の手段にもなったり、更には貧富それぞれの信者たちの個人的な祈りの手段になってきたのだという。 加えてそこに、薬師寺の故 高田好胤 師の発想の大転換により、仏堂伽藍の建設資金のための 「勧進写経」 という、言わば近代宗教界の大発明とも言うべき発願(1967)がなされて、今やあちこちの寺々でそれが流行している。 さらに今回、とても変わった 「写経の勧め」 も見つけたのだが、なるほどここにも IT の時代を実感させられて、そして、日本はやはり平和なのだなとしみじみ思う。

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2007年3月11日 (日)

私論茶経(8)= さんぴん茶

Sanpincha 久しぶりに沖縄を訪ねた。 現役時代は仕事で何度も行っていたのだが、その時はあの沖縄そば (特にソーキそば) の美味しさばかりに気を取られていて、気付かなかったもう一つの沖縄の香味を、今回知った。 さんぴん茶 (ジャスミン茶) のことである。 他の ハーブティー に有り勝ちなきつい自己主張も無く、沖縄の料理や風土に良く合った、口当たりさっぱりで、同じお土産の 「黒糖」 とも良く合うし 「泡盛」 を割るのにもいいと言う。 これが地域の皆さんの常用茶であることを納得した。

でも サンピン なんて、どこか貧相な音感がしてしまう。 が、今ネットで調べると、ちゃんと立派な語源があることが分かる。 あの香りの良い ジャスミン は元は ペルシャ語 で、これを中国では 茉莉 と言い、その香りを付けた茶を 「茉莉花茶(モーリーホワチャー)」 とか、とくに中国北部や台湾方面では 「香片茶(シャンピイエンチャー)」 と呼んで、多くの人が愛飲している。 後者が即ち さんぴん茶 の語源である。

そして、ジャスミン茶 にも色々あって、中国緑茶 に ジャスミン の花の香りを付けてから花だけ取り去る (以上の工程を 「イン」 とか 「薫(シュン)」 と言いこれを繰り返して高級品にする) もの、花片を取り去らないもの、変色した着香用花片は取り去るが最後に上等な花片を加える (提花) もの、緑茶 のような 不発酵茶 ではなく 弱発酵茶(白茶) や 半発酵茶(青茶即ち烏龍茶。台湾では包種茶) や 全発酵茶(紅茶) などを基材とするもの、等々実に様々だ。

今、お土産に買ってきたものをよく見ると、この さんぴん茶 は花片を残した 釜炒り緑茶(=炒青緑茶/対して日本の緑茶は概ね蒸して作る=蒸青緑茶) のようで、その素材はほとんどが中国大陸や台湾などからの輸入品であると思われる(脚注)。

今回の沖縄行きは、結婚44年目を記念した観光旅行の意味合いでツアーに参加したものだが、実は別の目的があった。 途中、オプションの行程から離れて、3年前に亡くなった大学級友の留守宅を訪ねたのである。 永年沖縄県下の農業用ダム事業の学術・技術面の指導をしてきた故人は、琉球大学を退官して間もなく急逝してしまった。 仏前で奥様のお話を伺いながら頂いたジャスミンの香るお茶の味・・・、数々の顕賞額に囲まれた彼の顔がとても優しく見えた。

注) ; 台湾が中国茶の産地であるように、南国沖縄の立地もそれに好適のように思われるのだが、地味が適さないのか府県別の茶の生産量では 27位(農林統計H17.2月) であって、所謂茶の主産県ではない。 当地では、琉球王朝時代から明からの交易品として香片茶が 「さんぴん茶 ・ 清明(シーミー)茶」 の名で入ってきていて、当時の大陸には沖縄茶商による現地工場(福建省)もあったという。

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2007年2月27日 (火)

Javaテクノロジー

Java_etax 左の画像は、国税庁のサイト(ホームページ)にある 「申告書等作成コーナー」 を利用した時の終わり頃で、出来上がった帳票群を結合して一つのファイルとし、いよいよこれを国税庁のサーバーに送信しようとする段階で現れるものだ。 横 600ピクセル X 縦 400ピクセル の枠内に、湯気の立つ コーヒーカップ を前に 後光もどき の模様が回る。 これは、今からこの枠内で Javaテクノロジー が使われるよと前触れをする Sun Microsystems 社の誇り高き 動くロゴなのである(2007年中に別の新しいロゴに変わっている)。

その枠内では、「送信すべきファイルをユーザーのパソコン内で参照(把握)し」 ・ 「ICカードリーダーに挿入された住基台帳カード(公的個人認証サービス)で本人確認を行い」 ・ 「国税庁の受付システムにログイン(入場)して同時にファイルを送信し」 ・ 「システムからの即時受信通知を表示する」 という四つの手順が進行する。 大事なお金がからむようなサイトで、例えば金融や通販やゲームのサイトで、このように Java が働いている位置が見えるようなのを知らないので、ここでは何だか親しみを感じてしまった。

実は私が作成したサイトにもこれが現れる (例1例2)。 ただしそれらの エンジン部分 は専門書からの借用品で、そこに画像など自作の データ部分 を挿し込んだに過ぎない。 このように Java (①) は、ホームページの コンテンツ(内容) をより動的に多次元的にするための技術であるが、他にも色々な技術が色々な技術集団から生まれている。 その内、おじんが自分で付いて行けるのは JavaScript (②) と CGI くらいで、これらは大いに使わせてもらっている (例1例2) し、国税庁のサイトでも殆どのページで ② が多用されている。

① と ② は名前が似ていて、初心者には紛らわしいが、内容も開発者も全く別である。 ただ発表当時(1995)、① への世間の注目度が非常に高かったのでそれに便乗する思惑から ② のように命名(改名)されたらしいと言われる。 両者ともに今やホームページ作りに大いに役立っていて、その構築のための基本文法 (HTML) を一つの スタジアム だとすれば、さしずめ ① は競技者達であり、② は営繕兼進行係りとでも言えようか。 となれば、Flash は即ち チアガール かな!?・・。

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2007年2月19日 (月)

まあるい新月

Moonvenus デイ会員である私共は午後6時きっかりにスポーツジムを退出する。 家まで車で十分足らずの道だが、そしていつも同じ道なのに、夕刻の車窓から、ふと季節の移ろいを見付けて楽しむ。 今日の発見は、新月と金星とのランデブー、低い西の空、快晴の夕焼けの中に、このカップルが見えた。

今日の月齢は1、これを 「二日月」 とか 「既朔(きさく)」 と呼ぶようだが、「新月」=「始めに細く出る月」 と言う意味もあるようだ。 普通は満月の反対を言い、正しくは全然見えない筈なのだが、今日はまさしく 「新月を見た」 訳だ。 そして、上の写真をよくよく見ると、新月もちゃんと丸いことが分かる。

この写真は、私の3台目のデジカメ (600万画素) で撮ったものである。一台目は 30万画素、2台目は 131万画素、今や 1000万画素以上 も出ているデジカメの機能の多様さや凄さには、おじんはもう付いて行けない。 なにしろ、新月さえ丸く写るほどだからだ。 そして、おじんと言えば、自分ので動画が撮れることを知ったのは買ってからしばらく後だったし、手元の携帯にカメラが付いていたことにも同じ有様だったのだ。

ところで、暗いところではフラッシュを!・・、これって昔のフィルムカメラでは当たり前だったが、デジカメでは間違いだ (フラッシュ無しの方が臨場感のある写真になるコトモアル) と言うこと、未だ気付いていない人が多いのでは?。

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2007年1月27日 (土)

ビルマの秘酒"泡盛"

実に久しぶりに秘蔵の泡盛を飲んだ。ウィスキー が切れていたからで、しかも月末で財務省の財布の紐がきつかったからである。 それに、好きな日本酒を頂くと直ぐ眠くなるし、大好きな芋焼酎も毎晩では口が倦んでくる。 代わりに出してきたのが、あのアルコール分 60%  の与那国の花酒の一つ 「どなん」 である。 既に開封してあったものだから アルコール分 が幾らか揮発していたのであろう、かえってとても飲みやすく、香りも甘さも増していた。 そして、おやっ! これは、あの酒と同じだ! と、20数年前のビルマ(現在のミャンマー)の ○○ワイン を思い出したのだ。 先ず口の中を突く、あのやや鉱物的な風味が同じだと気が付いたのだ。

Promedinner それは、1983、84年と該国の中央部にあるプローム(現在のピヤイ:Pye) に一年間滞在して、サウスナウイン灌漑事業 の実施設計を担当した時の思い出である。 当時は該国産の マンダレービール の入手もままならず、はるばる タイ や 中国 との国境を超えて来る 密輸ビール(日本製) はとても貴重品で、だから、十数人の団員のための毎晩餐の アルコール の調達は団長の私の大きな仕事であった。 そんな中で知ったのが、水源ダムの建設予定地近くの集落で密かに造られているという ○○ワイン のことであった。 ワイン(=醸造酒) とは言うが、それは明らかに 米焼酎(=蒸留酒) であって、生憎その英語 (arac) をみんな知らなかったからで、現地雇いの料理人をして買いに走らせるにはそう言うしかなかったのだ。

今日改めてネットで調べてみて、それらの類似性を納得した。 すなわち、琉球泡盛の原料の米は、日本酒のとは異なる インディカ米 であり、主に タイ産 の 砕米 が用いられると言う。 それは、日本の他の 焼酎(spirits) と違い、東欧から東南アジアにかけて 1,200年 も前から造られていて 「アラック」 と呼称される言わば蒸留酒の原型なのだそうだ。 だから、それが ビルマ の片田舎でも簡単に手に入った訳だ。

あのころ私たちは、これの水割りを飲みながら、「これはインパール戦線からの敗走日本兵が、かくまってくれた土地の人に、故郷を想いながら造り方を教えたものに違いない」 と・・・いつも神妙に味わったものだ。 それは間違いだった訳だが、当時、あちらの カウンターパート(相手国職員)氏 は、そうとも否とも言わないで話題を変えたものだ。 それは多分、それが正規に納税した「酒」ではなかったからだろう。 あの○○の集落は、今頃、どんなたたずまいなのであろうか。 空になった 「どなん」 の瓶からただよい出るあの ブランデー にも似た香りを慈しみながら、懐かしいかの地の今を想った。

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2007年1月22日 (月)

スイッチバック

Itihataguti 先日、妻の「方向音痴」の優秀さを改めて思い知った。 萩・津和野・玉造温泉・出雲大社・松江と巡った山陰への小旅行の時のことである。 団体行動が苦手だから、国内旅行では JR の 「ジパング」 を利用するのだが、これだと、基幹ルートの分は予め日時を決めて割引で購入しておいて、ローカルの足はその日その時で気の向くままに決めていけばいい。 私はそれを毎前夜の宿に備えてある ガイドブックやパンフ を読んで決めるのが好きなのだ。

話は、「出雲大社前」 から 「松江宍道湖温泉」 に向かう 一畑電車 の途中駅 「一畑口」 でのことである。 電車が近づくと案内放送が 「次の駅はスイッチバック」 だと言っているではないか !?。 山岳鉄道ならまだしも、このような湖畔の平坦な所で何故 !?、と驚いた。 急いで手元の観光マップをよく見ると、なるほど駅のマークの向きがおかしい。 しかし、少し離れた山中に 「一畑薬師」 なる 卍マーク を見つけて、その疑問が解ける気がした。 帰宅してネットで調べて見るとやはりそうであった。 私は日ごろ、地図読み(二次元)や、航空機の窓からの位置読み(三次元)に大きな自信があるのだが、今回のように地図上での歴史読み(四次元)を体験したのは初めてだった。

ところが、その駅を出てしばらくして、妻は目をキョロキョロさせて、窓から見える 宍道湖 の位置が変わってしまっているのがとても不思議そうであった。 私はやおら、座席上にスペースを取るべく妻から離れて座って、そこに片手を滑らせて、スイッチバック なるものを説明した。彼女は、そのメカ自体は簡単に分かったようだが、だからと言って何故、窓からの景色が 左右反転 するのかが納得出来ないようで、懸命に説明している私の頭も混がらがってきてしまった。

思うにここは、電車路線の スイッチバック としては世界で一番小さい(又は可愛い!)のではないか?。 他の例にもれず、一畑電車路線存続のために色々と苦心しておられるようだが、この スイッチバック を日本の、いや世界の 鉄道マニア に宣伝して、「遺物」 を転じて 「福」 と成すような試みをしたら如何であろうか、と思ったのだが・・・。 そう言えば、「出雲大社前」 の駅舎も、初めて見たのに、何だかとても懐かしい感じがした。

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2006年12月 1日 (金)

巨大なダリア

Dahlia 名古屋市民は65歳になると 「敬老パス」 を持てる。 所得に応じて若干の自己負担が要るがそれでも助かるし、毎年お盆の頃になると最寄の郵便局で更新してもらえるから便利だ。 女性の年齢を言うのは・・だが、この夏から妻ももらっている。 そこで先日、一緒にこれを使おうと我が家とは反対側の郊外にある緑地公園に出掛けた。 その一帯は、洪水時には遊水池になるのだそうだが、普段はきれいに整備された総合公園で、あちこち歩いてとてもゆったりした時間をもらった。 左上の写真は、帰り際にその正門付近で見た、巨大なダリアの植え込みである。

この 「木立ダリア or 皇帝ダリア」 を、私は今日初めて見たのだが、以前その苗を園芸店で見たことがあるという妻も、これほどに巨大になるとは知らなかったらしい。 説明板には、こちらの方が古くて一般のダリアの原種なのだとあってなお驚いた。 原産地はメキシコらしいが、いつ、どこを経由して、誰たちの手によって、現在のような色とりどりでかわいいダリアの花々になってきたのであろうか?。 その名は、手元のぶ厚い園芸書にも載ってないので、例によってネットで調べてみたのだが、興味はいつの間にか日本のお花の歴史に向かっていた。

当たり前だが、花は有史以前から野に咲いていた。 それを糧や薬として食べた動物は他にも居ようが、唯一人間はそれらを愛でることが出来、そして自分達の生活の中に取り込んできた。 その文化史を辿れば、多分、言葉や文字の歴史にも劣らない多様さなのであろう。ちなみに 「万葉集」 の中に詠まれた植物は 150種 以上だというが、それらは多分栽培されたものでは無く、みな自然の中にあった筈だ。 そして、仏教伝来と同時にもたらされた 華瓶(けびょう)は、燭台 ・ 香炉 と合わせて(仏前の)三具足 と言われるが、これが日本での最初の花器であり、聖徳太子がこれに花を生けたという飛鳥時代の記録があるらしい。

室町時代の 「阿弥」 とはそもそも花を生けるのを職業とした人だということ、江戸時代に日本の園芸が文字通り大きく花開いたこと、幕末にドイツ人シーボルトが 「日本植物誌」 を著して日本の花々を西欧に紹介したこと、その頃から花卉・球根の輸出入が盛んになったこと、戦中には日本中のガラス温室が (敵機からよく見えるので) みな壊されたこと(脚注参照)・・・。 そして今、手元の園芸書の目次を数えるとその花卉植物名は 約2千5百項目 もある。 ちなみに、チューリップやカーネーションはもちろんのこと、アザレア・アマリリス・ガーベラ・グラジオラス・ゼラニウム・ストック・スターチス・ダリア・ヒヤシンスなども、名前はみなカタカナだが、戦前から日本にあった花々なのだと言う。

注);名古屋東山動物園には戦時中に象の命を救った話がありその余話も多いが、同植物園の方は軍の圧力に抗してあの大きなガラス温室を壊さずに守った。来春の築70年に先立ち、この度これが国の重要文化財に指定されることになったようだ。

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2006年11月17日 (金)

猿神退治

日本の昔話の中に 「猿神退治」 という類型がある。 村の未婚の娘を、生贄(いけにえ)として毎年要求してきた 「猿神」 を、旅の男(例外もある)がみごと退治する話で、全国に色々な内容で伝わっているらしい。 最近私は、それが素朴に伝承されている場面に出会った。 11月はじめに、高山市荘川町(旧荘川村)で催された 「荘川再発見ウォーク」 に参加したからだ。 昨年から地元の体育指導委員の皆さんが 「荘川新そば祭り」 に時を合わせてやっておられる行事である。 快晴のもと 秋の彩りが始まった荘川沿いの 7km の遊歩も嬉しいものであったが、コースの途中で聞いた民話の方に密かな興味があった。

Sarukami それは、荘川インターチェンジのある 「猿丸」 という土地に残されている 「猿神」さん という 祠(ほこら) を前にして聞いたお話のことである。 実は、私がこの地名を知ったのは、今から二昔も前、この地域で山小屋を作るのに相応しい土地を探していた時だ。 そのころから愛読していた、司馬遼太郎著 「街道をゆく」 の第4巻の中の 「郡上・白川街道」 にこの地名があって、以来、そこを通る度に、著者が著わしたあの奥深い人里の、何故かそこここに懐かしさ漂う風景を味わったものだ。

面白いことに、今回の民話の内容は、彼が紹介していた 「今昔物語」 の中の説話の内容とは主人公が異なっていた。 すなわち原著の中で、猿を退治した若い僧侶は、その民話ではなんと 宮本武蔵 になっていたのだ。 民話は口伝えで継承されるものだから、内容が変化するのは当然のことだろうが、実在の人物をして その人が来ていない土地に登場させることは、遺すべき文化としては好ましいことではないなと思ったのだが・・。

帰宅して、「街道をゆく」 を再び読んだり、ネットで検索して見ると、この種の説話についての研究や資料が実に豊富にヒットしてきて、驚いてしまった( 例1例2例3 )。 これによく似た話は類型的に 「猿神退治」 とか 「猿の経立」 と呼ばれていて、あちこちに流布しているのだという。 ちなみにこの場合の 「経立」 の読みは 「ふったち」 又は 「ふったつ」 であり、「年を経て立ちはだかるほどになった妖怪」 という意味らしい。 しかしそのことは、昨日行った県立図書館のどの辞書・辞典にも載っておらず、帰宅してググってみて始めて分かったのだ。 かくして今や、世界を覆う IT の巨大な館(やかた)は、古い日本語の検索さえも一般の図書"館"より強力な環境下にあることを実感したのである。

注) ; 今昔物語集巻第二十六 「飛騨の国の猿神、生贄を止めたる語」 の現代語訳は多数の国文学者によって出版されているが、これらをそのままサイトに転載することは許されないので、自分の言葉で意訳して、荘川が大好きだった愛犬のHPに載せることにした。 少しずつなので未だ途中である。  なお、上記の説話例1、2、3は、離れた場所で一つのお話が別の主人公名で伝承されているもので、そのお陰で両地が姉妹都市になったと言う珍しい例である。 更になお、これら 「猿神退治」型説話 の起源は中国の 猴娃児娘(ほうわるにゃん)型故事 だとも言われている。  

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2006年10月25日 (水)

タイのシンカンセン

今朝の東海道新幹線静岡駅での人身事故は、こともあろうにJR職員の飛び込み自殺らしい。 死者に鞭打つ気持ちは更々無いが、若しこれが大きな事故になってしまっていたらと思うと慄然とならざるを得ない。 「 開業以来、(車内の)乗客の死亡者ゼロ 」 という偉大な記録を更新しつつある日本の新幹線を、彼はどう思っていたのであろうか。 この安全運行への努力は、機械・電気・土木・運行管理・人事管理・IT 等々の諸要素を集大成しつつ現在も組織をあげて続けられていると言うのに。

新幹線を shinkansenn と書いて シンカンセン と読むと、これはもはや国際語である。これを十分知り、傾注する人は、鉄道関係者のみならず世界中に沢山居る (例1) (例2) (例3) (例4)。 東京オリンピック開会直前の 1964年10月1日 に開業して以来 今日まで延走行総距離は 数十億km に及ぶ筈で、地球と月を 数千往復 した距離に相当する筈だ。 日本が誇れるものは数々あろうが、これこそ非常に大きな誇りであると皆が思い、鉄道安全への国民的な協調を持ちたいものだ。

この事実と、欧州諸国でのいわゆる新幹線事故の多さとを比較すると感慨はなお更である。 一方、昨夜の報道によれば、台湾の新幹線の開通は既に1年遅らされて来たが、更に遅延するようだ。 遅延の不名誉などは気にしないで、安全のために十分な準備をしてほしいものだ。

Shinkannsen_1 ところで 一昔前に私は タイ国で、既に シンカンセン を見ている。 その名は、当時の日本の新幹線車両にとても良く似た食べ物に付けられたもので、私にはとても美味しいものであった。 その珍味は、チェンマイ近郊の水資源開発計画に従事していた時に王立灌漑庁の技師達が地元の焼き鳥レストランで、密かに教えてくれたものだ。 それは現地の竹藪に発生するものらしく、サイズは右上の写真のよりはるかに小さくて色は白かった。 椰子油で炒めて皿にいっぱい盛られて供されたが、私の大好きな シンハビール にとてもよく合った。

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2006年10月23日 (月)

レンタカーでアウトバーンを

Autobahna3a7 39年ぶりにドイツの高速道路を走った。 最初の時は滞在期間の関係で中古のフォルクスワーゲンを買ったのだが、今回はレンタカーで走った。 ドイツの高速道路と言えば、アウトバーン、それはあの独裁者ヒットラーが当時のドイツ国内の失業対策として発案して造らせたインフラストラクチャーなのだという。 正式な初開通は フランクフルト・ダルムスタット間 25kmの 1935年 だから私より年長だ。そして現在は総延長 1万2千km を超えていると言う。 高速道延長では アメリカ (>9万km) や 中国 (>4万km) よりは短いが、国勢 (面積は日本の94%、人口は日本の64%、日本の高速道 >7千km ) から見ればダントツな充実度である。

超高速仕様とも言えるその路線設計の滑らかさは羨ましい限りだし、標識もわかり易く、 サービスエリア の入り口には次の ガソリンスタンド迄 の Km が見易く表示されている。 何よりも素晴らしいのはこの世界一の道路が無料で利用出来ることだ。 また、制限速度も法制上では無いに等しいようだが、一般に乗用車等は 130 km/h を、トラック等は 80km/h が推奨されていて、最近は環境論議から前者を 100km/h 以下にという提唱もあるようだ。 それよりも現在は、修復工事や渋滞や天候等によりもっと厳しい速度制限を設定した区間が度々現れるので、そんなに快適に走ってはおられなかった。

今回 フランクフルト国際空港 で借りたのは、予約した オートマチック車 が無くて、 Hertz のフロントから勧められた ニッサン X-TRAIL(2.2D 4x4 前進6速) であった。 帰国後ネットで国内の カタログ を見ると、エクストレイル の ディーゼル は載っていないから、どうやら欧米向仕様らしい。 日頃 オートマ に慣れてしまった老人には始めやや使い辛かったが、7日も乗っていると前進6速の良さを実感することになった。 総走行は 1437km で 平均燃費が 15.8km/L だったから、今の我が愛車プリウスとは比較にならないが、トラブルも無くよく走ってくれた。 無事故で終わったことを感謝したい。

日頃 妻は (免許はあるが) 頼んでも運