携帯・デジカメ

2007年9月17日 (月)

電話今昔

Phonenumb 久し振りに近隣の市まで出掛けたのだが、JRの駅まで来て、財布を忘れたのに気がついた。 そこまでは市バスと地下鉄を利用したので 敬老パス でOKだったのだから気付くのが遅かった訳だ。 これでは切符も買えないし約束の時刻に間に合わない。 おまけに手帳も携帯電話も忘れて来たので訪問先の電話番号も分からない。 ただ敬老パスにはテレフォンカードが挟んであったから、家から連絡をしてもらおうとて、公衆電話 を探したのだがそれが見つからない。 一昔前には、見渡せば必ず見つかったのに。

慌てて家に帰って出掛け直しをしたのだが、妻に笑われるやら、先方にお詫びするやら、時間に厳格なおじんとしては、まことに情けない一日であった。 日ごろ携帯に使われているような人々を冷笑している身としては、今回だけは自分で自分をけなしたい気持ちであった。 それにしても、公衆電話 が見当たらなくなったものだ。 確かにここ数年で、我が家の近くにあった筈の数箇所のものが全て消えてしまっている。

電話機、それは1876から77年にかけてベル、グレイ、エジソンらが先を争うように発明したものが原点である。 翌78年には、日本政府によりベルの電話機が模造され、90年には東京・横浜間に日本初の電話が開通したというから、日本の電話史は世界のそれとほぼ同期だったと言えよう。 草創期は国策によったものだから、それらは 局舎内(宅内)電話 でありそして同時に 公衆電話 だったのであろう。 120年後の現在、電話と言えば、その数では携帯電話が圧倒的に多い。 それでは、これら 宅内電話・公衆電話・携帯電話 の台数の推移はどうだったのだろうか?。

右上のグラフ(クリックすると拡大する)は、この疑問に答えるために、自分であちこちのサイトからデータを寄せ集めた結果である (例1例2例3例4)。 なるほど、携帯電話の爆発的な増加に踏み潰されるように公衆電話が減っている。 実はこれは民間会社(NTT)のものであって運営上は公共施設では無いのだから簡単に「減らすな!」とも言えないし、普段皆が使わないから、赤字なのだから、減るのは当然だ。

しかし、災害の地域や生活弱者の日常を考えると、公衆電話も大切な ライフライン であり、まさしく ユニバーサルたるべきサービス なのだ。実はそれらの維持のために、宅内電話や携帯電話の利用者はみな応分の負担をしているのだが、それに気付いている人は少ない。 私も今初めて確かめたのだが、毎月の電話料明細の中に示されている、ユニバーサルサービス料 7円/1番号 がそれである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

アナログディバイド(情操格差)

よく 「デジタルディバイド(情報格差)」 とは言うが、「アナログディバイド」 という言葉は(今のところ)存在しない。 それは、アナログはデジタルより低位にあると考えられてしまっているからだ。 でも現に、両者はまさに対極にあって、ともに人類の幸せを考える時の大事な局面であるような気がする。 そして、それらの優劣の関係についても従来のそれは実は「僭越なる幻想」であったことに気付くべき時が来ているのだと思う。

例えば今、日本のテレビ放送はアナログ方式からからデジタル方式に移行しつつあって、前者は2011年に全面的に廃止されるという。 確かにテレビ受信の状態は格段に素晴らしいものになったのだが、「おいてきぼり」 の問題は残ったままだ。 そして今考えるべきは、当人等が 「おいてきぼりはいや」 じゃなくて 「そのままでいい」 と言っていることについてだ。

ここで、デジタルディバイド の意味を 「デジタル社会について行けない人々の格差」 だとすれば、私が言う アナログディバイド とは、「情報機械化ばかりの世相を追っていて、自然物としての生命力や、人間本来の情操を喪失した状態」 を指す造語である。 あえて 「情操格差」 とでも言おうか。 それとも、「デジタルメタボ」とでも言おうか。 もちろんここでの 「ディバイド(格差)」 の程度は人によって様々である。 格差以前の段階で、日々の命をつなぐ事さえ難しい人々もこの地上に沢山居る。

しかし実は、このような 「残った人々」 の中にこそ、自然と共に人生を過ごすという、人類が失うべきではない 「時と場」 が与えられているのだと思う。 自ら意識しているか否かに拘わらず、好むか否かにも拘わらず、それこそ原アナログ的な貴重な世界なのだ。 旅に例えれば、駆け足ツアーやエゴツアーに参加して自然を愛でるよりは、もっと身近に愛でるものがいっぱいあるのだ。

人類は、言葉や文字や通信手段をものにして、それらを 「文化」 として急速に 「進化」 して来たのだが、そこには必ず 「自然」 との落ち着いた対話が(今までは)あった。 確かに人間も自然の中の一員であったのだ。 でも、これからの デジタル情報社会 を想うに、人間は人間の作ったものの中でのみ過ごして行くのであろうか?。 街で、アナ・デジどちらとも分からない状態の 「携帯」 を愛撫しっぱなしの若者を見ると、あきれるを通り越して実に気の毒に思う。 巷に溢れる 「デジタルの落とし穴」 を避けるには、堅固な情操が必須である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月 9日 (水)

52年ぶりの吾が娘に・・(2)

「モバイルインタープリター Mobile Interpreter (携帯通訳)」

Shenyangap0752 5月初めは中国でも連休 (5/1~5/7 = 国際労働節) である。 その二日目の午後、瀋陽桃仙国際空港の入国通路のコーナーから、81歳の老婆とその弟夫婦が、カートに荷物を満載してゆっくりとした歩みで現れた。 若ければきっと、そちらで花束を持って待っていた二人の娘に向かってダッシュしたことであろうに、ただ片手を挙げてそれをゆっくりと揺らしながらの老婆の歩みを、付き添う私達も、迎える人々も、誰も急かすことは出来なかった。 52年間の別離から見れば、それはほんの一瞬の、贅沢な甘酸っぱい焦燥に過ぎなかったのだ。

老婆が29歳の時、満蒙開拓団の残留婦女引上げの誘いに抗し切れず、止む無く現地に残してきてしまった二人の娘は、当時 5歳 と 2歳、それが今、総計 15人 もの家族群になって、「グランマ!・・(お婆ちゃん!・・)」 と呼びながら感涙の抱擁を繰り返す。 送って行った私どもは 4日半 の滞在だけで帰国したのだが、その間も母娘3人の抱擁は何度も繰り返された。 それはまるで、双方の言葉がちゃんと通じているような情景であった。 そんな筈は無い。 何故なら、娘たちの語りかけは中国語であり、老婆の返事はほとんど日本語だったのだから。 でも、全て分かり合えている風であった。

実は、先方はちゃんと 通訳 を準備して待っていてくれたのだ。 が、その人は当の女性達の中に入る余地など無く、頼りにしたのは私である。 これから姉が瀋陽に長期に滞在するために、それに必要な手続きや打ち合わせがあったからである。 通訳をしてくれたのは、姉の長女の息子の友人の奥さんで、日本留学の経験があり、現在は日本企業の瀋陽支店に勤める美しい女性で、しかし妊娠3ヶ月とのことであった。 だから、こちらの慌しい日程に付き合わせることは危険であった。 実は私の妻は妊娠初期に2度も失敗していてその事は良く分かっていた。 ところが、今回の通訳の手法はまったく素晴らしいもので、それは言わば 「モバイルインタープリター」 とでも名付けたいような方法だった。

先ずは(通訳無しで)、中英辞書をめくりながら打ち合わせを進めるのだが、行き詰ると先方はやおら携帯で、自宅で休養中の彼女に助けを乞うのである。 日本人の精神構造を十分に理解しているらしい彼女の interpreter機能 はそれで見事に働き、私どもは1台の携帯をやり取りしながら十分に意思を疎通出来たのである。 日ごろ、携帯に 「使われているような」 人々を軽蔑の眼で見ていたのだが、これには心底から脱帽した私であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月19日 (月)

まあるい新月

Moonvenus デイ会員である私共は午後6時きっかりにスポーツジムを退出する。 家まで車で十分足らずの道だが、そしていつも同じ道なのに、夕刻の車窓から、ふと季節の移ろいを見付けて楽しむ。 今日の発見は、新月と金星とのランデブー、低い西の空、快晴の夕焼けの中に、このカップルが見えた。

今日の月齢は1、これを 「二日月」 とか 「既朔(きさく)」 と呼ぶようだが、「新月」=「始めに細く出る月」 と言う意味もあるようだ。 普通は満月の反対を言い、正しくは全然見えない筈なのだが、今日はまさしく 「新月を見た」 訳だ。 そして、上の写真をよくよく見ると、新月もちゃんと丸いことが分かる。

この写真は、私の3台目のデジカメ (600万画素) で撮ったものである。一台目は 30万画素、2台目は 131万画素、今や 1000万画素以上 も出ているデジカメの機能の多様さや凄さには、おじんはもう付いて行けない。 なにしろ、新月さえ丸く写るほどだからだ。 そして、おじんと言えば、自分ので動画が撮れることを知ったのは買ってからしばらく後だったし、手元の携帯にカメラが付いていたことにも同じ有様だったのだ。

ところで、暗いところではフラッシュを!・・、これって昔のフィルムカメラでは当たり前だったが、デジカメでは間違いだ (フラッシュ無しの方が臨場感のある写真になるコトモアル) と言うこと、未だ気付いていない人が多いのでは?。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月20日 (土)

ビスタ遠望

今月末にパソコン用OS(基本ソフト)の Windows Vista が発売されるらしい。 新しいものが大好きな人には、約5年ぶりのワクワクするイベントになるのだろう。 家電店の広告を読むと、まるでもう Windows XP はオシマイだと言っているようにも見える。 でもそれは、これからパソコンを新調しようとする人にとっては正解と言えるかも知れないが、おじんのように Windows 以前の BASIC(正確にはOSではないが) の時代からのユーザー(1980~)としては今 トキメクものは何も無い。 むしろ、過去にあったように、新OS のために 旧OS へのサポートがないがしろにされるのではという心配の方が先にたつ。

既に現役を引退していても、私の場合、パソコンは生活の必需品である。 世界中の愛犬家とメール(例1例2)をやり取りしたり、庭の花のデジカメ写真を楽しんだり(例1例2)、手紙や賀状を作ったり、ささやかにホームページを運営したり(例1例2例3例4)・・・と、様々な生き甲斐を与えてくれている。 さらに、日常の諸料金税金の支払いも、好きな旅行のための事前調査も手配もこれでやれる(例1例2)。 昔懐かしいプロジェクト現場の今の姿(衛星画像)もこれで見ることが出来る(例1例2例3例4例5例6)。 確かに、これらの便宜の多くは、Windows 98 から XP に替わってから更に快適に使えるようになったものだ。 それでは、今回の XP から Vista への変更で新しく登場する便宜とはどんなものなのか?。

華やかな ユーザーインターフェース だとか、強化された検索機能だとか、喧伝されているそれらの新機能の中に おじんが ビビッと感じるものは何も無い。 それは、私がまさしく「おじん」だからと言えばそうかも知れない。 それでいいのだ。 私の場合の新OS とは、旧OS を棄ててまで買うものではなく、愛用のパソコンがスリ切れて動かなくなった時にやむなく購入する新機に付いてくるところの、その日までに先人諸氏が汗と涙で使いコナしておいてくれた OS のことなのだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年11月 8日 (水)

携帯への迷惑メール

Pckeitai 二つ前の記事で、「最近我が携帯にも頻繁に入って来るあのヘンなメールはなんとかならないものかなー」 と書いた。 私の携帯暦は8年になるが今はそんなに使ってはいない。 当初は、出先での業務連絡に重宝したし、宿などでノートパソコンにインターネット接続をするために データ通信用アダプタ を介して携帯を使った(写真上)のだが、引退してからはそれも必要無い。 それに現今は、至る所で 無線LAN が使えるので、長旅でも携帯の出番が無い。 だからだろうか、街で ケータイ に縛られっぱなしの若者を見ると、なんとお忙しいことよ・・まっこと カワイソウ にと思う。

かく使わない我が携帯に迷惑メールが押し寄せて来るようになったのは最近のことである。 何らかの理由でアドレスが漏れてそれが 「業界」 に行き渡ってしまったのであろう。初めは、それらに対して 「アドレス指定受信拒否」 の設定をしていたのだが、数が多くて直ぐにパンクしてしまった。 日ごろメールをやり取りする相手は限られているのだから、「拒否」 ではなくてその逆の、「アドレス指定受信」 を設定すべきだった。 と、後で気が付いた。 が、その前に、こちらの 「アドレス変更」 をした。 実は、一般の e-mail アドレスを変更することが (解約と再契約とが必要になるので) そう簡単ではないように、携帯メールのアドレス変更も同じく難しいと思い込んでいたのだ。 が、それは間違いだった。(例外もあるようだ。注1)

遅ればせながら色々と調べてみたら(注2)、「携帯メールは受信でもパケット通信料として課金される。たとえ迷惑メールでも・・」 らしい。 そうと分かったら途端に腹が立ってきた。 でも、そのことは5年ほど前に既に問題になっていて、官民をあげて色々な検討や対策がなされていたらしく、私はそれを知らなかっただけのようだった。 事実、あの押し寄せて来ていた迷惑メールも、「無料パケット」 の範囲内に収まっていたようで実際の課金は無かったようだ。 そこまで知って腹立ちは収まったが、日頃 IT を語るおじんとしては、今までの低認識ぶりの自分を 自分で恥じたわけだ。 変更後はあれほど煩さかった迷惑メールがピタリと止んで、かえって寂しいくらいだ。

注1) ; au は一度決めたメールアドレスを途中で変更出来ないようだ。 最初から気を付けてアドレスを決めることが肝心だ。

注2) ; 我が家では色々なサービスの毎月の請求書が郵送されて来るのを全て断って、必要に応じてインターネットで見る方式にしている。 これを徹底するとかなりの家計節減になるのだ。 がその後、それらの明細をあまり調べに行かないので、付帯して表示されるナウい情報を取り逃がす結果になっているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月30日 (月)

踊るポータビリティー

Keitaihikaku 「タダほど高いものは無い!」 と昔から言われてきた筈だ。 なのに今更に、その文言を正面に掲げてビジネスを展開し始めた企業がある。 ただその内容には色々な仕掛けが (見えないように書いて) あったようで、競合他社からも非難されている。 なのに、週末には消費者が殺到したと言う。「消費者は賢い」 とも、昔から言われてきた筈だが、そうでないお方だって居る。 それが全人口のたったの 0.1% だけだとしても 13万人 にもなるのだから窓口が混む訳だ。

石油ショック時のトイレットペーパーでもあるまいし、そんなに急いで駆けつけて並んでまで買うべき商品ではない筈のに ・・ 。 それとも皆さん、未だに 「行列症候群」 に罹ったままなのだろうか?。  ところで、この事態を予想したのかどうか、10/28 (土) の中日新聞朝刊に載った 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会 の全面広告(上の画像)はとても印象的であった。 当初は一瞥しただけであったが、ここ数日の騒ぎに刺激されて、改めて読んでみた。 それは、色々な切り口から携帯電話 3 社のサービスや料金を細やかに比較していて、分かり易い内容であった。

その結論には、「料金面で各社に大差はなし。 大切なのは、家族向け割引 ・ 継続割引をいかに無駄なく使いこなすかということ。」 とあった。 自分の使い方に良くあった携帯サービスを見極めることも先ずは大事なことだが、「長く使うこと」 こそ肝要だと おじん も思う。 それにしてもこの頃、我が携帯にも頻繁に入って来るあのヘンなメールはなんとかならないものかなー。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2006年10月14日 (土)

旅先のインターネット(2)

「ローテンブルグの定点カメラ」

ロマンチック街道の数ある見所の中で 寄らない人はおそらく無いであろう所、それは ローテンブルグ の マルクト広場 である。 ここには、広場を北と南から見下ろすように、二つの定点 ウェブカメラ が常置されている。ウェブカメラ については以前、拙山小屋のササユリ保護のための監視をしたり、共稼ぎだった長男夫婦のために彼らの愛犬を監視する仕掛けを作ってやったり、所属する山荘管理組合の進入路監視カメラの設置に携わったりした経験がある。

2006o3 そこで、私ども二人が時間を決めてここに立つことにして、日本にいる嫁たちが インターネット上でこれを見るように約束した。 彼我の時間差は(夏場は)7時間だから、現地の13時の二人を日本の20時に見られる訳である。 嫁たちは目を皿のようにして見てくれたようだが、判別は容易ではなかったようだ。 それをキャプチャーしたのが左の画像で、白丸の中に我々が立っている。

実は、4年も前にこの実験をやった人がいる。 ある ツアーコンダクター女史である。 彼女の場合は南向きのカメラに写ったもので朝日に映えてよく見えるが、私どもの場合は午後の日差しを浴びようと北向きのカメラに向かったのだが、あいにく強い雨の最中だったので残念ながらよく見えない。

どうやらあそこのカメラは 10万画素程度の初期のもののようだ。 ちなみに前記の山荘組合の カメラ(LANカメラ) は 30万画素のもので、日本では一般的な性能である。 一方今、家電店頭に並ぶ デジカメにはついに 1000万画素のものが現れた。 無線LAN機能を内蔵するのもあるという。 これだと、今の定点ウェブカメラのみならず、ユーザーと共に移動する私的な ウェブ中継カメラが出現するのも近いかも・・。

注);上文中の我が山荘管理組合の 進入路監視カメラ からの映像は1分おきに発信されるセミライブである。 夜は街灯の光が一点見えるだけだ。 組合員は ID と PW によって同じカメラからの動画を自宅で見ることが出来るようにしてある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月24日 (木)

タカサゴユリ

数年前から我が家の庭にタカサゴユリが咲く。 植えたものではないのでどこからか種子が飛んできたのであろう。 この白い花は、私の小さいころの野山の思い出の中には無い。 調べると1923~4年頃に先ず台湾から観賞用に「移入」され、それが南西諸島にあった近縁種のテッポウユリと交雑されて1939年頃に新テッポウユリが出来たのだという。 私が生まれた年だ。 以来、これらが周辺の野山に野生化し、自然に交雑を繰り返してきて、現在は非常に色々な 「タカサゴユリ」 が見られるのだという。

ペーパードライバーの妻はいつも、助手席からの車窓に流れる道端の草花を見るのが好きで、年毎にタカサゴユリの咲く場所が移ろうのを覚えている。 東海北陸自動車道を飛騨方面に向かって登って行くと (国道管理用語では「下って行く!と」)、白鳥ICを過ぎるところで、今まで右左に見えていたタカサゴユリがピタっと無くなるという。 このルートでの(現在の)北限なのであろう。 原産地台湾ではかなりの高地にもあるそうだから、来年はどこまで登って行きなさるのか楽しみだ。

Takasagoyuri 左の写真は今年の我が家での二株である。 一方はいぶきの木の下から人間の背丈よりも高く伸び、一方は炎天下の芝生の中で太く低い。 とかく生き物に命名するのが好きな我が家では、後者は "ヒクサゴユリ" と呼ばれている。

タカサゴを漢字で書けば高砂、台湾のことだ。 そう言えば、並みの日本人よりも日本を良く知り深く愛してくれている台湾の人、李登輝前総統の訪日が中止になったらしい。 政治的な理由ではなく、体調不良だからという。 どうぞ、早く快復していつかまたお出でになって頂きたい。 日本として、いつまでも生きて頂きたい外国人の一人なのだ。 草草の中からやや背を高く伸ばして咲く、あの清楚で凛とした白い花を見てそう思った。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006年7月 8日 (土)

カチャブランカ

Casablanca 早くも鉢植えのカサブランカが咲いた。 花のサイズがとても小さいので、妻は「カチャブランカ」と呼んでいる。 小さい理由は明白だ。 その球根が、本来の球根の脇に付いたとても小さなものだったからだ。 「球根が小さければ咲く花も小さい」・・おそらくこれは、他の植物にも(それ以外にも!?)言える真理なのだろう。 この球根は奥美濃の高地にあるユリの栽培農家に無理に頼んで頂いて来たものだが、他のはとても立派に蕾が膨らんできている。 毎年夏になるとその農家に寄っては見事な切り花を後部座席いっぱいに買って帰るのが楽しみなのだ。

Casablanca1 そこのユリは色々あって、私には名前を覚えられない。 が、カサブランカだけは分かる。 白いからだ。 「カサブランカ」 とはスペイン語で 「白い家」 を意味するのだが、モロッコ最大の都市の名でもある(首都はラバト)。 そこ(写真右)が白いのは、建物の素材が地場産の白い石灰石だからだろう。 1986年の秋、私はダム適地調査のために、モロッコ南部の町アガディールに滞在した。 Marrakech そこへの行き帰りにカサブランカを経由したのだが、仕事のことが頭を占めていて、白い家々を確認するほどの余裕がなかった。 今 衛星画像の検索サイトの グーグルアース(GoogleEarth) で見ると、なるほど白い大都会である。 ちなみにモロッコ第2の都市マラケシュはピンク系の石材で出来た町のようだ(写真左)。

今ネットで 「カサブランカ」 検索すると夥しいヒットがあるが、そのカテゴリーはたったの三つだけ。 地名のそれと、ユリの花のそれと、有名な映画のそれだけだ。 どれも魅力的だが、私にはあの映画のハンフリボガートのかっこ良さが忘れられない。 今回分かったことだが、最近これが米国の国宝級の映画として選定されたのだと言う。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年6月 2日 (金)

記念写真ビズ

Oceanspirit 親娘4人のケアンズ滞在二日目の夕べはディナークルーズとしゃれた。 規模も料理も音楽も、期待していたよりはやや・・ という感じであったが、日本人客が予想外に少なく、かの国の新婚さんや老夫婦も混じっていて、だからかえって穏やかな旅情を味わうことが出来た。

そして私には、客の中の日本人の割合よりも、スタッフの中の日本語対応の豊かさの方が印象に残った。 これは今回の飛行機の中でも既に感じていたことである。 それには普段の日本人客の多さが背景にあるのは勿論だろうが、この国および国民の観光産業への真剣さがうかがえるような気がした。

もう一つの印象は、「記念写真ビジネス」 のことである。 船内では現地女性が一人でそれを担当していた。 その振る舞いは、客たちの食事の邪魔にならない様にタイミングを良く配慮した実にスマートなものに思えた。 フォトのプロというより、オファーのプロに見えたのだ。 そして更に感心してしまう。 約3時間のクルーズ中に、約15組50人ほどの客の色々なショットを先ずサンプルに焼いて注文を取り、それを全て仕上げて配布したからである。

食後にデッキに上って、偶然に彼女の仕事場が見えた。 見えるのも当然でそれはデッキの片隅の一つのテーブルの上で、そこにノートパソコンと日本製のインクジェットプリンターと写真用印刷用紙の袋が積んであるだけだ。 暗室も水槽も垂れ下がるネガフィルムも、そんな風景はもう無い。

Shuugakuryokou 私の小学校の時の修学旅行には、田舎のたった一軒の写真屋さんが三脚を担いで同行したものだ。 その写真が配られたのは旅行から帰ってから数ヶ月後だった。 それが今は、そのイベントの時間内に全て済んでしまう。 ITの時代はここにも押し寄せていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年2月25日 (土)

内蔵時計

私の年代は戦後初の小学1年生、その頃の我が家には時計が1台だけあった。 ド田舎だったからあるだけで自慢だった。 それは振り子式のゼンマイ時計で、巻くのは父親の日課であった。 あのギリリギリリとゼンマイを巻く音も、ボーンボーンと時を告げる音も遠い思い出の中だ。 ところで現在、我が家には時計は幾つあるのだろう。

あちこちの部屋の壁に、全てのオーディオ機器の中に、携帯の中に、車の計器盤に、お風呂の湯沸かし器に、お土産の置物の中に、家電店の大売出し景品の置物にも、そして引き出しの中の腕時計の数々・・、もう数えられないほどだ。 PC(パソコン)の内蔵時計も忘れてはならない。 これが一番正確だ!。 と、以前は思っていたが実は一番不正確であった。

特別な業務に使う以外は、PCの時計の精度を気にするユーザーはいない。 実は私もそうで、Windows95以前の頃は、精度どころか内蔵時計の存在さえ気に留めていなかった。 お陰で、日頃のメール記録で受信日時よりも発信日時の方が後という現象の理由が分からずに悩んだことがある。 あとでそれは「発信側か受信側、またはその両方のPCの内蔵時計が大きく狂っている」からだと知ったのだが。

幸いWindowsXPになってからはその精度の心配は要らなくなった。 インターネットに繋がってさえいれば国内外の標準的な時計との整合を自動的に取ってくれるからである(週1回、脚注参照)。 その前のWindows98の頃は、標準時のサイトにユーザーが専用ソフトで繋いで合わせる必要があった。 本当に便利になったものだ。

ところで、最近の腕時計のことだが、 今や「ソーラー・電波」がちゃんと出来上がっているのに、なんでブランド腕時計の広告が賑やかなのだろうか? それも物凄い値段の品ばかり?。 「時計の価値は正確さ」だと思っているおじんにはとんと分からんことだ。 ありゃ、腕時計じゃなくて、ウデクサリーかいな。

(注、コントロールパネル→日付と時計→インターネット時刻、とたどればその設定が出来る)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年2月13日 (月)

ウェブカメラ

ウェブとはインターネット上で情報を共有する手段のこと、今はほとんどインターネットと同義語である。 その情報が定点上のカメラから写したものである場合は、これをライブ映像(= WebCam or LiveCam)と言う。 その為に使われるのがウェブカメラと呼ばれるものである。 と、ここまでは大体どなたも知っていることだ。

私は一昨年、可愛いボーダーコリーに留守番をさせて共稼ぎをしている長男夫婦の家に、格安のウェブカメラを取り付けてやった。 二人はそれぞれの職場や出先から、携帯の画面で、いつも愛犬の無事を確かめている訳だ。 平和な世の中よなあ・・これじゃ日本の少子化は止まらない。 でも、今日は別の話だ。

以来、自分は「ウェブカメラは分かっている」つもりだった。 現に、最寄のパソコンショップの棚を見ても明解な説明がされていない。 その説明とは、いわゆるPCカメラ(=USBカメラ)とネットワークカメラ(=LANカメラ)との違いのことである。 前者はパソコンが起動していなければ働かないが、後者はそうでなくても(高速なインターネット環境があれば)働くのである。

後者のようなものがあることを知ったのは、我が山荘のライブ映像を自宅で見ようとして、それには現地のパソコンを常時オンにしておかねばならないのか?・・ という疑問が起きて、色々と調べたからだ。 本当に便利な世の中よなあ・・今では居ながらにして世界中の無数の地点のライブ映像が見られるのだから。

おかげで、今冬からは、我が山荘域内の季節の移ろいを、現地の管理組合職員の勤務時間に関係なく、組合員の皆がそれぞれ自宅で見ることが出来るようになった。本当に便利な世の中になったなあ・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)