ペット

2008年1月 1日 (火)

丁亥(ひのとい) から 戊子(つちのえね) へ

新しい年への期待を胸にしながら 2007年最後の朝刊を読んでいて次のことを知った。 株をやる人々は、来る子(ね)年を 「十二支の中でも最も上昇機運の強い」 年だと期待しているのだそうで、事実過去4回の子年の内3回で株価が上昇したという。 ただし、残る1回 (直近の1996年) は大手金融機関の破綻が相次いだ結果 97年の金融危機へと繋がったとて、格言と言えども妄信は禁物だとのこと。 モウシンと言えば、亥年のこの一年を思うに、清く正しき突進を成し遂げた事例を挙げるのは難しく、迷走や偽ソウばかりが目立った。

「子」 とはねずみのこと。 これがなぜ十二支のトップに来ているのか正しい謂れは知らないが、そのノミネートへの先を争う動物たちの中で、早起きの牛の背中にちゃっかりと乗っかって遂には一番乗りを果たしたお話 (松戸市在住のご一家のサイトより) は何か普遍な示唆を含んでいて実に愉快だ。 さてそして現在、そんな 「ねずみ」 の種類は非常に多いが、中には 「偽」 の仲間もいる (下記で×印のもの)。 だが勿論、彼らには何の罪も無い。 ・・・ともあれ私も、「子(ね)は繁栄」 と言う希望的格言を信じて新年を迎えることにしよう。どなたも良いお年を・・・

・・↓・・  「ねずみ」 のいろいろ  ・・↓・・

Photoミッキーマウス(白ハツカネズミ) : ディズニー社が半永久的な商標権を保有するキャラクター。1928年11月18日生まれ。英語では、ハツカネズミなどの小型のネズミをマウス、ドブネズミなどの大型のネズミをラットと呼び分けている。

Photo_10ハツカネズミ : 脊椎・哺乳・ネズミ目ネズミ科ハツカネズミ属。古くから人類に近接して棲み、実験動物として人間社会に多大な貢献をしている。

Photo_2リス : 脊椎・哺乳・ネズミ目リス科。ネズミ目を齧歯目と称してこれをヤマアラシ・ネズミ・リスの3亜目に分けることもある。

Photo × ハリネズミ(針鼠) : 脊椎・哺乳・モグラ目ハリネズミ科。体毛が変化して針になった。日本には大昔には居た(化石が出た)が、有史以来は居ない。が、最近は居る(外来種)。

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Photo_3カヤネズミ : 脊椎・哺乳・ネズミ目ネズミ科カヤネズミ属。日本で一番小さなネズミ。萱場が無くなったので絶滅に瀕している。

Photo_11モルモット(天竺鼠) : 脊椎・哺乳・ネズミ目ヤマアラシ亜目テンジクネズミ科。現在実験動物の主役はマウスやラットなどであるが、生理的に人間と似ている点があってアレルギーに関する実験などには今も役に立っている。よって「モルモット(にする/される)」と言う言葉が出来た。Photo_4

× 海鼠(ナマコ) : 棘皮動物門ナマコ綱に属する海生の動物。私の大好物。

Photo_5ヤマアラシ(山荒) : 脊椎・哺乳・ネズミ目ヤマアラシ科に属する草食性の齧歯類の総称

Photo_6カピバラ : 脊椎・哺乳・ネズミ目ヤマアラシ亜目カピバラ科、現生種最大の齧歯類

Photo_12 × オポッサム(袋鼠・子守鼠) : 脊椎・哺乳・有袋類オポッサム目オポッサム科。アメリカ大陸に居る。オーストラリアに居るのはポッサム

Photo_7ハムスター : 脊椎・哺乳・ネズミ目キヌゲネズミ科。←はゴールデンハムスター(シリアンハムスター)。1930年にシリアで捕獲され世界中に広まりペットとして飼われるようになった。他にジャンガリアンハムスター・キャンベルハムスターなどがいる。

Photo_8プレーリードッグ : 脊椎・哺乳・ネズミ目リス科プレーリードッグ属。北米の草原地帯プレーリーに穴を掘って巣穴をつくり、一夫多妻の群れで生活する。犬が吼えるような鳴き声には沢山の情報が含まれているという。牧場や耕地に巣穴を掘るので現地では害獣とされている。

Photo_9 × ナキウサギ : 脊椎・哺乳・ウサギ目ナキウサギ科 。日本で発見されたのは1928年(エゾナキウサギ)。しっぽの無いネズミに見える。

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Photo_2モモンガ : 齧歯目リス科モモンガ属。滑空によって飛翔する性質を持つ。札幌のある中学校の校庭に立つハルニレに棲むエゾモモンガ(←)が有名。モモンガの仲間で 日本の固有種にムササビが居る。

Photo_3 × トガリネズミ : 脊椎・哺乳・モグラ目(食虫目)トガリネズミ科。モグラ目全種のうち、70%の種数を占める。

Photo_4ビーバー: : 脊椎・哺乳・ネズミ目(齧歯目)ビーバー科。水辺の木をかじり倒し、そこに泥や枯枝などを加えることで大規模なダムを作る。ダムの中央部に巣があり、出入り口は水中にある。このような習性から、「自分の生活のために周囲の環境を作り替える、人間以外の唯一の動物」だとも言われる。

Photo_2 ×犬(我が家のボーダーコリー「小太郎」) : 人間大好き動物なれども鼠小僧的 (人や犬が近づいて来ると こそどろスタイル で匍匐前進する。でもその時、しっぽを振っているので番犬にはならぬ (^^♪ )

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Rikyuunezumi 参考 : 利休鼠の色見本 : RGB値=#888E7E 辺りと言われ、色の三要素の内 R=88(赤の要素136/256) G=8E(緑の要素142/256) B=7E(青の要素126/256)に相当する(←クリックするとその色が良く分かる)。

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関連記事 : 「丙戌(ひのえいぬ)から丁亥(ひのとい)へ」 (2006.12.28)

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2007年12月16日 (日)

愛犬家に贈るクリスマス物語

これは、我が故愛犬のホームページに載せてある愛犬家のためのクリスマスに相応しい物語である。2001年に或る秋田犬MLに紹介された作者不明のお話である。

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遠い昔のある寒い冬のこと、地上の全ての生きもの達に、嬉しい報せがやって来ました。
「お生まれになったぞー。男の子だよー」、白ふくろうが叫びながら飛び回りました。
「さあ、わしもお前も皆んな行こう。そして祝えや!」、長老のライオンが吼えました、
「そして、新しいご主人に贈り物をな・・・」と。

森は精気に輝き、喜びにざわめいていました。天空の星に向かって全てのものが走り
出さんばかりでした。そのどよめきは、あまりに大きくそして喜びに満ち満ちて、
遠く遠くどこまでも伝わって行きました。

とある小さな谷間のいばらの根元で、一匹の小さな犬が目をさまして、頭を挙げ、
遠くからのその物音に耳を立てました。小さい頭を更にあげて、何事かといぶかりました。
ゆっくりとけだるい体を持ち上げて、辺りの空気を嗅いで見ました。

何か変だぞ、でも何だろう?。遠くから聴こえてくるとても幸せそうな歌声・・・、
彼はそう感じました。内容ははっきり分からない、でも絶え間ない滝の音みたいに、
霧の中の朝のように、そしてそれはなによりとても幸せそう・・・。

遂にたまらなくなって音の来る方向に歩き出した彼は、すぐに、頭上の一つの星に気が
付きました。それは、涙が出るほどにとてもまぶしく輝いていました。こんなに幸運
そうな見事な輝きは一体何なの?。この素晴らしい眺め、何だか凄いことが起こったみたい?。

彼はか弱い脚で何日も何日も歩き続けました。疲れてもお腹がすいても歩き続けました。
一心に、そのどよめきの方角に向かって。
それは、以前の彼の幸せで楽しかった頃を思い出させるものでした。
一心に、その輝く星に向かって。
それは何か幸せなものに近づいて行くように思えるのでした。

ようように到着したところで彼が見たのは、その目を疑うような神秘的な光景でした。
辺りいっぱいに生きもの達が溢れていました。そして皆立派な贈り物を携えていました。
あるものは森で採った新鮮な草の実を、あるものは美しい木々の葉を、
あるものは珍しい植物の小枝を、そして更には可憐な野の花々を・・・。
彼らはそれぞれの贈り物をその厩(うまや)の入り口に並べて置いています。
その厩の真上には、あの星が更に輝きを増してまたたいています。

彼は隣にいた鹿に聞いてみました。「一体何事が起きたの?。ここは何処なの?」と。
「新しいご主人が生まれなさったのだよ。君はその方への贈り物は持って来なかったのかい?」、
鹿は非難がましく云い返しました。
「持っては来なかったの。知らなかったもの」、孤独な小さな犬はそう答えてうなだれました。

鹿はあざけるように笑って鼻息を吹きかけ、憤慨したように頭を振って行ってしまいました。
小さな犬の小さな体は震えが止まらなくなりました。
彼の小さな尻尾はその小さな後ろ脚の間に挟み込まれて、小さな頭はいっそう低くうなだれました。
彼は恥ずかしかったのです。

でも、彼はその新しいご主人を一目でも見たいと思ったのでした。
そこで彼は、そおーっと忍び足で厩の中に入って行きました。
体が小さいので他の動物達の陰に隠れて行けたのでした。
お陰で実に簡単にかいば桶のところまで行けて、中を覗くことが出来ました。

「誰だ!お前は?」、ライオンの大声が響きました。
「新しいご主人への贈り物も持たずに、何でお前はのこのことやって来たんだ?」。
小さい犬は身を縮めて震えが更にひどくなりました。
彼はかいば桶の前に伏せをして目をつむりました。彼はライオンに殺されるかもと覚悟をしたのです。

彼は、とても小さい声で、素直に、しかししっかりと言いました。
「私には何も贈り物がありません。草の実も、小枝も、野の花々も・・・。
あるのは私自身の命だけです。だからこれを喜んで差し上げたいと思います。
これは、この場の同朋の皆さんにとても恥ずかしく思わせてしまった私の償いです」と。

彼は待ちました。目をつむって。
今夜ここで生を終えようとも、せめてこのご主人の揺りかごの下で終えたいものだと思いながら・・・。

その時、温かくそして優しげな手が彼の体に添えられました。
でも彼は敢えて目を開けませんでした。続いて女性の声がしました。
「小さき生き物よ、畏れることはありません。
あなたが今、いばらの思いで言ってくれた気持ちが、それこそが彼への贈り物なのですよ」と。

孤独な小さな犬は、目を開けてその女性を見上げました。
そして、「でも、私には本当に何も差し上げるものが無いのです。
だから私自身をどうぞ。ほんに小さなものですが」と遠慮がちに言いました。

女性は微笑みながら彼の耳を撫でました。
「可愛い犬よ、お前はご主人を見るまでに長い長い旅をして来ましたね。
それだけで立派な贈り物ですよ。それがお前自身の心からの行いだったのだからね。
純心で謙遜な気持ちほど立派な贈り物はありませんよ。
小さきものよ、さあおいで」と、女性はその小さな犬を抱き上げました。そして、

「我らが主よ、偉大なる子よ。このものに祝福を」と。
この時、かいば桶の中の御子は微笑んでいました。

かくして、犬はもう孤独ではなくなりました。

以来、犬は人に従って生きて来ました。
犬、これこそ天からの贈り物。
逆境にも忠節を失わず、いつもへりくだることが出来る唯一の生きもの。
何の訓導も受けないで、長い長い独り旅が出来る唯一の生きもの。
罪も無いのに、あなたの前で伏せが出来る唯一の生きもの。
罪も無いのに、あなたのののしりを聞いてくれる唯一の生きもの。
必要ならあなたの足元で、喜んで死を受容する唯一の生きもの。

慈しまずにおられましょうか、この天与の友を。

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Author unknown .
Forwarded through AkitaLovers-ML from Schipperke-ML by Ms. Donna Morgan .
Translated in to Japanese by T.Inaba Dec.09,2001.

Xmastrbn_2 日本語訳=稲葉忠雄 H13.12.09
現在のところ転載は不可ですが、リンクはご一報の上ご自由にどうぞ。左のバナーはS&G@てんちょさんに作って頂きました。ご自由にお使いください。

リンク用URL = http://www.tcp-ip.or.jp/~inaba/xmas.html

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2007年11月10日 (土)

ペットとコンパニオン

Photo 我が家に新しい犬が来てから1ヶ月が経った。 そのボーダーコリー 「小太郎」 は、私共老夫婦にとって時にデレデレの愛玩動物(ペット)であり、時にしみじみとした伴侶動物 (コンパニオンアニマル)である。 ただこの呼称は二つとも、聞く立場によって意味が大きく違ってくる。 動物愛護家が聞く場合と、すごいワルおやじが聞く場合とである。 後者の場合についてはさておいて、今日は前者のことを考える。 家庭で飼う愛すべき動物たちを 「ペット」 などと呼ばずに 「コンパニオンアニマル」 と呼ぼうという動きについてである。

それは随分前から提唱されていたのだが、なにせ提案語の方が10文字もあるので中々市井に定着しない。 元が2.5文字なのだからそれに代わるには、3文字程度、即ちブログ(=ウェブログ) や メタボ(=メタボリックシンドローム) のような 「短語」 でないと中々ブレークしないのかも知れない。 今ネットで 「コンパニオンアニマル」 を検索すると、非常に沢山のページがヒットして来るのだが、それらのサイトから 「ペット」 という言葉がきれいに消えている訳ではない。

この呼称変更の提案は、日本では今でも盛んなよう (例1例2) だが、欧米のサイトを調べると、この二つの言葉にはそれぞれに意味があるものとして今もちゃんと使い分けられているようだ。 例えば米国農務省の動物保護条例 (Animal Welfare Act) では、対象となる動物群を 「Wild Animals(野生)」・「Exotic Animals(外来)」・「Farm Animals(牧畜)」・「Research Animals(実験)」・「Zoo,Circus and Marine Animals(園・演・海洋)」・「Companion Animals(伴侶)」 等に分けて定義していて、その最後の群の中に 「Pet Animal(愛玩)」 なる用語が状況に応じて使われていて分かりやすい。

同じ配偶者なのに、うちの 「主人」 やら 「ダーリン」 やら果ては 「やつ」 までと状況に応じて様々に呼称されるのと同じで、要するに使う人の気分次第で決まって行くのだろう。 なるほど、現在の我が家の 「ペット」 は双方の 「伴侶」 の座を占有しきっていて、これではいい躾など望み薄だ。

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2007年10月13日 (土)

和魂洋才 (秋田犬とボーダーコリー)

表題の4文字は、日本古来の精神世界を大切にしつつ西洋の才能を受け入れ、両者を調和させ発展させて行こうという意味である。 それは、西洋に習うことのみに熱心だった明治時代の風潮のアンチテーゼでもある。 ただ、IT時代の今、そのような切り口で事を論じるには、世界の精神構造も情報・知識も混然とし過ぎている。 地球が一つであるように人類も一つなのだ!。 ・・などと日頃想おうとしていたおじんに、ニュアンスはやや異なるが、ふとこの言葉を思い起こさせたものがある。 先週から我が家の一員になった仔犬のことである。

Taro950102 Hana070715 その犬種はボーダーコリーで、私共夫婦は、5年前に亡くしてしまった秋田犬(写真左)との性質の違いに驚いている訳だ。 その違いは、唯の固体差では決してなく、当時はまさに 「和犬」 に 「和魂」 を見ていたのだなと思う程に、今度は 「洋犬」 に 「洋才」 を見る思いがするのだ。 頑固で時に静寂を好む風な和犬に対して、洋犬は四六時中人間と共に居ることを喜ぶのだろうか、そして根っからの働き者だと言うことが仔犬なのに良く分かる。 実は一昨年、同種の、長男夫婦の愛犬(写真右上)が私共一家と山道を散歩していた時に、バラケて歩く人間達を固めようとして休まず走り回る様を見て驚き感心したものだ。 この犬種には生まれながらに牧羊犬の血が流れているらしい。

想うにそれは、西洋には 「賢くて働き者」 の犬を作出する歴史があって、一方日本では 「孤高・忠実・排他」 な犬への希求があったのであろうか・・。 ともあれ、このような違いを超えて、昔の 「タロ」 も今度の 「小太郎」 も私どもの愛犬である。 「犬」、それは人類のための天与の友。 義務でも無いのに、主人の前で伏せが出来る唯一の生きもの。 罪も無いのに、主人のののしりを聞いてくれる唯一の生きもの。 すべての犬はその飼い主を無条件に愛しそれに従う。 それは、まるで確信犯のようにいつも我が家の庭を汚していく隣の黒猫とは天と地ほどの違いがある。 小太郎よ、キャツを追いはらうべし!

ただ残念なことに、盆・正月での散歩の度に私共を感嘆させた 「はなちゃん」 はこの7月に早世してしまった。 まさしくわが仔を失ってしまったに等しい長男夫婦の悲嘆はさぞかしと思うと、かける言葉も無かった。 その後の寂しさに耐えかねたのであろう、彼らはやがて再び同種の犬を求めた。 その犬舎に同行した私共も、ボーダーコリーの虜になってしまった。 長男らが確保して 「優花」 と名付けた仔は未だ幼くて持ち帰りが出来なかったのだが、我が家にはその異母兄に当たる仔を連れて来たのだ。 連日携帯で名古屋から送られる 「小太郎」 の写真にヤキモキしながら、長男夫婦はいよいよ明日、千歳空港でわが仔に再開出来る。 思いはただ一つ、「いつまでも健やかに・・・」。

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2007年9月 4日 (火)

サイズは大きいけれど・・

「サイズが大きいので、このメールには添付しませんが・・」と、札幌の嫁から2枚の写真のファイルが別送されてきた。 彼女がそれを託したのは 「宅ふぁいる便」 というサービスである。 それは大阪ガスが開発したシステムで、初めは社内の研究所や技術系部署と取引先や大学等とのファイル交換をインターネット上で安全かつ簡単に行いたいというニーズに応じた (1999) ものだったが、取引先とのやり取りのなかでこのサービスが広く知られることになったという。 無償で、実にありがたい便宜である。

メールにファイルを添付して送る場合、それが大きいと送受信に時間が掛かり、特に受信側には迷惑な思いをさせるとして、ネチケット上の大きな留意事項になっている。 そもそも電子メールの草創期 (日本では1985頃) にはファイル添付の便宜などなく、ファイルをやり取りしたければ、インターネットに繋いでから (メールソフトを使わずに) FTP と言う手順に従ったコマンドを打ち込んで get したり put したりしたのである。 現在はこれらのコマンドは (ブラウザやファイル転送ソフトのお陰で) ユーザーの目には見えないが、かって私もアメリカの CompServe からダムの設計資料(サイズは僅か1KB以下)を取り寄せた時(1995)には、このコマンド一覧表と時計を見ながら汗を流したものだ。

Hanakohokkaido22 その後すぐに、メールにファイル添付が出来るようになり、通信のスピードも向上して来ているが、現今の環境下ではユーザーの大半が添付ファイルのサイズを 2MB 以下にすると答えている(脚注参照)。 夫の転勤に応じられるように、自分の仕事をネット経由でこなしている嫁は、そのことを心得ていたのであろう。 送られてきたのは、彼らの愛犬が アジリティー に出場したことを報じた機関紙の写しであった。 悲しいことにその翌日に犬は急死してしまっている。 走り回ることが大好きで、疲れを知らないようなボーダーコリーだったのに・・。

「名前の字の通り、咲き終わった花がポトリと落ちるように短い一生を終わらせてしまったハナ。 私達のことが一番好きで、私達と一緒にいることが一番嬉しいと、ハナはいつも全身で表現してくれました。 こんなに自分を好きでいてくれる子がいると思うことは、いつも私を暖かくて優しい気持ちにし、私に自信と勇気を与えてくれました。・・・」 嫁からのメールには、大きくて深い彼らの思いが綴られていた。 愛犬が彼らの心のサイズを育てたのだ。 ハナちゃんは今もそこで駆けている。

注);日経パソコン530号 ('07.05.28) 「メールの作法」 p49

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2007年7月12日 (木)

「天使」のつばめ

Norththailand 私は、年に2回、最寄の歯医者で定期的な診断をしてもらう。 例の 「8020」 が目標である。 そこへ行くのにある商店街を通るのだが、例にもれずここも閑散としている。 昔は賑わっていた雑貨・食品の市場はとうに無く、3軒もあったベーカリーも全て閉まり、それらの空き家の幾つかには同じ介護企業の名が揚がっているが、看板だけでひと気が無くてちょっと怪しい。 歯が抜けて行くような、そんな風景を寂しがる私自身も、普段の買い物は車で郊外型スーパーに出かけちゃうのだが・・。

ところで今朝、そのアーケードを歩きながら気がついたことがある。 昨年までは、見上げれば、あちこちで黄色い口が開いて、賑やかに餌を催促していたあの つばめ の巣が、今年はみな壊されてしまっているのだ。 きっと、つばめの フンガイ に フンガイ した商店街の人々の シワザ だ。そう、それはまさしく シワザ であって、決して環境美化の行いとは言えない。 路上の汚れはそのままで、やがて乾燥して風の実になるままに放置されていることが、いい証拠だ。

昔の老店主さん達は、路上に紙を敷いて 「頭上注意!」 と記し、バスを待つ人々と一緒に、親つばめの見事な滑空を優しく眺めていたものだ。 そう、つばめは「天使」なのだ。 人の賑わいの近くに営巣するけれど、決して掠めない。 そんな天使たちを受け入れないで、何が 「環境美化」 なのか。 しかも、巣だけ壊して地上の汚れは放置する。 そんな商店街に先の展望がある筈がない。

注) ; 右上の航空写真は北部タイの Google衛星画像 である (画像を左クリックすると拡大する)。 その上部にあの ゴールデントライアングル (タイ・ミヤンマー・ラオスの国境)、中ほど左寄りに チェンマイ がある。 これらの対極に ナン の町があるが、水資源開発調査中だった私は、1996年4月初めの夕方にこの町の全ての電線に夥しい数のつばめが止まっているのを見た。 翌朝にはそれが数羽のみになっていていた。 同行のチェンマイ大学の環境・鳥類の先生は 「彼らは昨夜、日本など東の国々へ飛び立ったのです。 今残っているのは怪我などで "渡り" を諦めたつばめで、ここで半年、仲間の帰りを待つのです」 と教えてくれた。 名古屋まで 3,950Km、ナンの町は一面つばめの糞で白っぽかったが、フンガイしている人は居なかった。

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2006年10月25日 (水)

タイのシンカンセン

今朝の東海道新幹線静岡駅での人身事故は、こともあろうにJR職員の飛び込み自殺らしい。 死者に鞭打つ気持ちは更々無いが、若しこれが大きな事故になってしまっていたらと思うと慄然とならざるを得ない。 「 開業以来、(車内の)乗客の死亡者ゼロ 」 という偉大な記録を更新しつつある日本の新幹線を、彼はどう思っていたのであろうか。 この安全運行への努力は、機械・電気・土木・運行管理・人事管理・IT 等々の諸要素を集大成しつつ現在も組織をあげて続けられていると言うのに。

新幹線を shinkansenn と書いて シンカンセン と読むと、これはもはや国際語である。これを十分知り、傾注する人は、鉄道関係者のみならず世界中に沢山居る (例1) (例2) (例3) (例4)。 東京オリンピック開会直前の 1964年10月1日 に開業して以来 今日まで延走行総距離は 数十億km に及ぶ筈で、地球と月を 数千往復 した距離に相当する筈だ。 日本が誇れるものは数々あろうが、これこそ非常に大きな誇りであると皆が思い、鉄道安全への国民的な協調を持ちたいものだ。

この事実と、欧州諸国でのいわゆる新幹線事故の多さとを比較すると感慨はなお更である。 一方、昨夜の報道によれば、台湾の新幹線の開通は既に1年遅らされて来たが、更に遅延するようだ。 遅延の不名誉などは気にしないで、安全のために十分な準備をしてほしいものだ。

Shinkannsen_1 ところで 一昔前に私は タイ国で、既に シンカンセン を見ている。 その名は、当時の日本の新幹線車両にとても良く似た食べ物に付けられたもので、私にはとても美味しいものであった。 その珍味は、チェンマイ近郊の水資源開発計画に従事していた時に王立灌漑庁の技師達が地元の焼き鳥レストランで、密かに教えてくれたものだ。 それは現地の竹藪に発生するものらしく、サイズは右上の写真のよりはるかに小さくて色は白かった。 椰子油で炒めて皿にいっぱい盛られて供されたが、私の大好きな シンハビール にとてもよく合った。

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2006年8月17日 (木)

お盆に思う

Heiwakouenn 私は次男であるからお盆の墓参りは(近くの)郷里に出掛ける。 父も次男だったから、その墓はいわゆる新家(しんや=分家)のもので、そこに眠っているのは父母と長兄だけである。 長兄は幼くして水難で亡くなった。 その数年後に生まれた今の兄が戸籍上の長兄となり、更にその8年後に生まれた3番目の私が次男と言う訳で、私の名前は1番目のと同じだ。 その分も長生きするようにという親の気持ちだったのだろうが、自分の名前を刻んだ苔むした小さな墓石を見ると、長雨の出水で近くの小川に流されてしまった幼き兄が脳裏に浮かんでキュンとなる。

そこが済むと市内に戻って、妻の両親の墓に出掛ける。 こちらも新家だったから二人だけが眠っている。 名古屋は戦後復興時の徹底した土地整理で墓地群が幾つかに統合されていて、どれも広大だが、中には今や持ち主不明で荒れてしまった墓石が目に付く。 郷里の墓地でもそうだったが、育った樹木が墓石に障るからか、以前はいい木陰を作っていたのがみな伐られてしまっている。 だからそのたたずまいはまさしく墓地であって、墓苑とは言い難く、こういう所で旧盆の酷暑にお参りをするのは辛い。 年に1度だから・・と言ってしまえば済むことだが、何だか潤いの無い風景なのだ。

幸か不幸か、私どもには定まった「青山」は無いのだから、ここらでそれについてゆっくり考えておこうと思う。 最近は葬儀もお墓も実に色々な型があるらしく、専門に研究している方もいればそれ専門のアートデザイナーもいる。 葬送からお墓までネット上で済ませてしまえそうなサービスもあるしなんと墓参の代行業さえある。 既にここも IT 新時代の只中なのだ。

注 ; この記事の書き込み後に妻が(年金手続きのために)戸籍謄本を取ったのだが、それを見たら、戸籍上は私はあくまで3男である、と言うのが正しいと分かった。 小学入学から今まで60年間、私の手続き書類にはすべて 「次男」 と書いてきたのだが、これは間違いだった訳だ。 いまさら直せないが、これからはどうしよう?・・「墓」に聞いてみようかしら!・・

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2006年5月30日 (火)

コアラの化石

Termitenest 親娘4人のケアンズ滞在2日目、私たちはキュランダ観光に出掛け、そこで「コアラの化石」を見た。 ただしこれは、左の写真のような樹上にあるシロアリの巣を指して言ったことで、ツアーガイド嬢のジョークである。 シロアリ(=termites) は世界中にいるのだが、オーストラリアやアフリカなどかなり広い熱帯・亜熱帯地域では塚を作る。 それがいわゆるアリ塚で、でも私たちが知っているアリ(=ants) はこのような土の塚を作らないと言う。

ともあれ、樹上のこれを遠くからみると、まるでコアラに見えてしまうのだ。 本物のコアラも樹上ではほとんど動かないからだ。 動くのは夕方から夜にかけてだと言う。 あれっ!、そうすると、あちらの動物園での 「抱っこサービス」 は昼間だけどいいのかな?。 そう、これは動物虐待だ、という論議が続いていて、既にこれを禁止した州もあるし、今回のクイーンスランド州も厳密な規制を設けた上で許しているようだ。 だから、ほんの数秒間とは言え、とても可愛いこの 「希少種」動物 を胸に抱くことが出来た娘たちは幸運だった訳だ。

Rainforestkoala ところで、ケアンズ近郊には、野生のコアラはいない。 その理由を、滞在3日目に乗った熱気球のパイロット氏は 「この地域は暑過ぎるからだ」 と説明していた。 が、ネットで調べて見ると、欧州からの入植が始まる前は東北豪州一帯にも生息していたようだ。 そしてなんと、リバースレー哺乳類化石地域(これも世界遺産) というところで本物のコアラの化石が出ていたことが分かった。 その大きさは 25-30cmで現在のコアラより小さく、右上の画像はその復元想像図である。

Koalamap それが現在では、生息の場所が限られて来ていて(左の画像は1998年の資料)、場所によっては逆に過密の問題さえ起きていると言う。 だから真剣な保護活動が進められている。 その推進の場においても、問題の場においても、様々な面で日本人が深く関わっていることを知った。 今回、嬉しい抱っこの感触を胸に刻んだ二人の娘も、虐待の気持ちは毛頭も無く、かの地のコアラたちの末永い幸せを祈っている筈だ。

注;) 記事中の緑色の文字部分をクリックすると、関連するサイトが現れる。 一部文字化けして現れるかも知れないが、ブラウザの「表示」→「エンコード」→「日本語(自動選択)」をクリックすれば直る。

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2006年5月 7日 (日)

ペットフード今昔

近くのホームセンターに出掛けてまた感じたことがある。 おじんの好きな DIY関係 の売り場が狭苦しくなっているのだ。 その分ペット関連商品の売り場が膨らんだ感じだ。 例えば、ペットフードの売り場は一昔前のように左右の棚を見て一列だけを歩けば目的の物が見付かったのに今はそうは行かない。 犬か猫かそれとも、歳は幾つか、如何なる犬種か、太りすぎか痩せすぎか・・・、そのバラエティーたるやスーパーの主食品棚よりも賑やかである。

それらの並びは多分、客が選ぶのに便利なようにではなくて、売る側のしたたかな戦略で決まっているのであろう。 そして商品の説明文も変わってきた。昔は、「栄養がいっぱい」 がウリだったのに、今は 「ダイエット」 が主流で人間世界の動きと一緒だ。 そして、やたらカタカナ用語が多い。 サプリメント・ナチュラル・ロハス・スローフード・・・、 もう 「ペットフード」 なんて言ってられない。 なにせ「コンパニオン」 様の食餌なのだ。

ところで、「スローフード」 とか 「ロハスな食餌」 とかの宣伝文句に簡単に引かれてしまう飼い主さんたちは、これらの言葉の意味を、特に「裏の意味」を正しく認識しているのだろうか?。 個人的な見解だが、これらの言葉が宣伝文句に使われた時、それらの商品はもはや決して 「スロー」 でもなく、「ロハス」でもなく、むしろその正反対の「商品」になっていることに気付くべきである。 これらのコンセプトは元は生活者の思想であったのに、今は「商」ビジネスの戦略用語になってしまっているようだ。

実はわが愛犬も、色々な商品のお世話になった。 彼らの晩年には 「シニア向け」 の商品をあちこちの店で漁ったものだ。 しかし結局、彼らが美味しそうに食べてくれて、それなりの 「余生」 を過ごせたのは、商品としてのペットフードではなく、我が家のレシピによる 「わんちゃんごはん」 のお陰だったと信じている。 それも実は、私たち人間の 「残飯」 の延長上で案出されたものだ。

現在は、人間の食餌さえ出来合い品ばかりになってるのだから、もはやそこから 「残飯」 など生まれる余地は無いのだろう。この用語自体が人間のおごりだと叱られるかもしれない。 が、これこそ我が愛する仔たちとの毎日の 絆 であったような気がしている。 歩くこともままならず、食欲も萎えてしまった愛犬を見ながら、彼の好きな肉の匂いだけを残して脂肪分を抜き、嫌いな野菜を混ぜ込む方法を考えた頃がとても懐かしい。 そう言えば人間の食餌だって、 家族みんなで「同じ釜の飯」 を喰った時代は遠くなった・・。

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2006年4月28日 (金)

狼の勝利

Currumpaw 動物学者の今泉吉晴氏の話を、庭仕事をしながら聴いた。 土で汚れた袖のままで落ちるものを拭きながら聴いた。 聞き役の山田敦子アナ(NHK わくわくラジオ) もいつもは発する独特の感嘆詞をこの時は失ってしまったようだった。 お恥ずかしながら私は、今まであの 「狼王ロボ」 の内容を詳しく知らず、それが実話であったことも、作者はあの 「動物記」 のシートンであって彼自身が登場する話であることも、今朝初めて知った。 でも、やはり・・と思った。 狼は決して 「畜生」 では無かったなあと言うことをである。

Wolfsvictory 狼について、私は今までに幾度かその「話」に遭遇した。 子供の頃は、親が 「オオカミが来るぞ!」 と言えば即良い子になった。 それを信じさせるような林や森がまだ生家の近くにあったのだ。 長じて、初任地(1962)として住んだダムの現場は吉野の山奥で、ニホンオオカミが未だ居るらしいなどと言う噂話が絶えなかった。 その後何度も海外に出かけたが、仕事が水資源開発だから現場は山奥ばかりで、いつも 「wolf に気をつけろ!」 などと脅かされた。 でも結局、実物を見たことは一度も無い。

引退後、愛犬のサイトを作ったのが縁で、今も 「狼犬」 を愛する人達が居ることを知り、また、現在の 「犬」 がどのようにして 「人間」 に飼われるようになったのかという研究成果の報道を読んで、その翻訳もした。 これも以前、狼と同じくらいに恐れられている ピットブル という種の犬の物語を読んだことがある。 そして、その主人公 ダミアン もあの 狼王ロボ も、こんなに人間が荒らしてしまった地球に住むには、もう とても崇高すぎる動物たちのように思ってしまうのだ。

もう 日本では野生の狼には会えない。 幸か不幸か?・・・。 残念ながら、今の日本では確実に 「幸」 なのである。 大自然の猛獣と付き合うことは結局人間には出来ないことだったのだ。 やがて、「野生」と言う意味は、「囲った中で生きる」ということになるのだろう。 それでもいいから、「出来る限り」いつまでも、彼らをそおーっと愛してやりたいと思う。

注;右上の写真は、物語の舞台となったニューメキシコ州北部のカランポー(溶岩台地)の現在の衛星写真である。また左上の画像は、今泉氏の著書 からコピーさせて頂いたもので、シートンが画家として、そして動物を愛する者として1892年に描いた会心の作 「オオカミの勝利」 である。それに込められた彼のメッセージ は当時のパリ画壇には理解されなかったという。

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2006年4月 9日 (日)

「どうしてなの・・?」

Howcould_1 これはアメリカの動物救護活動家 Jim Willis 氏が2001年に著した "How Could You?" という題名の Essay を、2002年に私が翻訳したものの邦題である。 著者のサイトではこれをエッセイとしているが世界の愛犬家には偉大なポエムとして知れ渡っている。 飼い主との幸せな生活だったのに、やがて味わう淋しさと、予期せぬ安楽死に至るまでの思いをその犬自身が語るもので、愛犬家ならずとも、大きな感動と悲涙を与えられるものだ。

私はこれを、欧米の秋田犬関係のMLで知った。 ある人物が引越しのために犬を引き取ってほしいという投稿をし、それへの返事として、救護活動家の Randall Long 氏によって引用投稿されたものだった。 私は直ぐに日本語に訳して、原著者への連絡を依頼したのだが、RL氏は 「気にせずに日本の皆さんに早く読んでもらえ」 と我がサイトへの掲載を勧めてくれた。 後で著者のサイトをよく読むと、かく不幸な動物達がこの世から少しでも減るために、原著作権を明示する限り、どしどし転載してほしいとあった。

初めから原著者が(英文の)転載を許しているのに、私は途中から自分の日本語訳を (他のサイトに) 転載することをお断りしている。 それは、愛犬家のホームページにはそれぞれに情緒的な特色があって、拙サイトの 「どうしてなの・・?」 を (テキストベースで) 転載すると、例えば改行や段落などを変えずに記載することにはかなり無理があって、結果的に私の訳文の雰囲気が正しく伝わってはいない事例が多くあったからである。

私の翻訳そのものもかなり情緒的であるが、それは当時私自身がペットロスに陥っていたからという事もあろうが、故愛犬のサイトを運営して多くの皆さんとやり取りしている内に、もっと広く深く 「生きとし生けるものたちへの思い」 が私の中に育っていたからだと思う。

現在、このポエムを独自に訳しておられるお方のサイトが増えてきたように見受けられる(例1例2例3)。 書物も出たようだ。 それらを読んでは、自分の訳文が恥ずかしくなるのだが、もう消すことは出来ない。 このページをリンクして下さっているお方は (連絡を頂いた分だけで) 250サイトを超えていて、お陰で毎日100人以上の訪問者がおられるからである。

注) ; うっかり転載をしてしまっておられるサイトも少しだがある(例4)。 当方に連絡をしてこられた場合には丁寧にお断りをしてリンクの方に替えていただいている。 が、無断転載や確信犯的転載には困惑するばかりだ。 でも、いつかそれも正されるであろうと期待して、(そこのオリジナル訳だとしているような目に余るもの以外は)あえて当方から連絡を入れることは滞り勝ちである。

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2006年4月 2日 (日)

「エンジェルの願い」

これは "Pet Shop Puppy" という英語の愛犬ポエム (1999) を私が訳した (2002) ものの邦題である。 原著者の Jackie D. Ellis 女史は米国のサウスカロライナ州でロットワイラー犬を中心とした動物救護とセラピー犬活動をしておられる。 初めにこの原著をネット上で読んだ時、私はとても衝撃を受け、そして深い感動をした。 そして、早く日本の愛犬家にも読んでほしくて、辞書を片手に、懸命に翻訳をして、ある愛犬家のMLに投稿をした。

初めはあまり反響が無かったのだが、そこはある特定の犬種のMLなので、話にやや違和感があったのだろうと思う。 その後、我が故愛犬のサイトに載せた直後から、これを読んだ方々からの反響が段々と増えて来た。 そして現在は、とても多くのサイトでこのポエムへのリンクをして頂いている。 拙サイトでは (2003年4月以降に) ページ毎での訪問客の計数をしているのだが、今日現在このポエムは 64,000 余りのカウントになっている。

Angelbnr_1 その内容は、無秩序な繁殖のゆえに遺伝的な疾患を背負ってしまった仔犬が、優しい家族に見守られながら、安楽死させられるまでの話で、それを当の仔犬が語るものだ。 現代のペット事情を、日ごろ憂えている人にはとてもよく分かるメッセージなのだと思う。 ただ最近は、ペット事情が改善して来たのであろう、このような悲劇を知らせるメールが無くなったので実に嬉しい。 右上のバナーはこれを読んだお方が心を込めて作って下さったものだ。

原著者は、私が彼女のアドレスを探すのに2年間も掛かったことを知って、私の和訳の事後承諾に快く応じてくれたと同時に、もう一つ、彼女の老愛犬のポエムと写真を贈って下さった。 こちらはそんなに悲劇的なものでは無く、実にほのぼのとした内容だ。

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2006年3月19日 (日)

老犬がんばれ

AGEDOGBN 弱りきっている相手に向かって 「頑張れ!」 などと言うのは良くないというが、以前私共は毎日々々これを言ってきた。 ヨロヨロになってしまった頃の我が家の老犬に向かってである。 その犬ももう数年前に逝ってしまった。 犬などの動物が大好きな二人だが、以来何も飼っていないし、もう飼えない。 今度は自分たちが十分に老いたからである。

実は、その愛犬が遺していってくれたものがある。 拙サイトの「老犬がんばれ台帳」である。 これは世界中の10歳を超えたワン君のデータベースである。 我が家の犬は2代とも秋田犬としてはとても長寿だったので、犬の寿命について調べたのだが、いい答えが見つからなくて、それでは公開調査をしようと2000年の夏に自分でコツコツと作ったものである。

そして今日現在で、23カ国から、105種類、1,118頭のワン君が台帳に来てくれている。 台帳への記載はあくまで飼い主さんの申告に基づくもので、お誘いはすれども、こちらからデータを収集することはない。 データと一緒に頂く飼い主さんのお便りには、老けていく愛犬への切々たる思いが綴られていて、いつも返事に窮してしまう程だ。

サイトでは、ワン君たちが生年月日順に並んで現れるが、元台帳では色々な切り口のグループ別に整列するようにプログラムが組んである。 使っている表計算ソフトの能力は凄いもので、千頭を超えた今でも並び直すのは瞬時だ。 だから、登録犬が存命中は、その誕生日にお祝いメールを送ることも出来るし、亡くなれば、その最初の命日に、当のワン君が「虹の橋」から留守宅にメールを出してくれる訳だ。

巧く組めばこれらを全自動でやれる筈だが、そうはせずに、その都度心からのメッセージを加えるのが私の楽しみなのだ。

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2006年3月 2日 (木)

花遍路

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3月になると、いつも思い出す風景がある。 土佐の遍路道である。それは平成13年(2001)、私ども夫婦のセンチメンタルジャーニー = 「タロの花遍路」 であった。 長年慈み、暮れに逝ってしまった愛犬の面影を尋ねて歩いた訳だ。 たかが犬一匹、されど我が仔・・、実の息子たちにもまして、心通わせた三男坊だったからだ。

14歳と10ヶ月、秋田犬としてはとても長寿だったのだが、でもあの夜、彼が逝ってしまったのは私どもの不注意からだと思っている。 あれからもう何年もたった。 が今も、我が老骨に「老犬がんばれ台帳」を運営するエネルギーが残っているのはその償いの思いからだ。

再びその日、私どもは彼が会いにきてくれたような気がする。 そこは、白ばなタンポポがいっぱい咲く29番国分寺の前のたんぼ道だった。 しかし、なんとも寂しくやるせない再会だった。

四国遍路の中で土佐路のことを「修行の道場」とも言う。 黙々と歩いていたら、寺々で読む般若心経の一節の意味が自分なりに分かったような気がしてきた。 ・・・色即是空、空即是色・・・

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2006年1月30日 (月)

リンクと転載

最近は、「当方へのリンクはトップページのみにして下さい」という趣旨のサイト(ホームページ)がかなり少なくなった(HPの黎明期は殆どがそれだった)。 このようにブログが隆盛した現在では当然のことであろう。 なにしろ、ブログサービスで 「ディープリンク(ダイレクトリンクとも言い、トップ以外のページやファイルにリンクすること) はやるな」 としている手引き書を見た記憶が無い。 私は、こんな時代になるのを予想していた訳ではないが、自分のサイトでは当初から「全面的にリンクフリー」として来た。

その理由の一つは、拙訳の愛犬物語やポエムを直接開いてもらって出来るだけ沢山の人に読んでもらいたかったからだ。 それらのページでは、「リンクはご自由に、ただし転載は不可」としてある。 お蔭様で、毎日数百の愛犬家のサイトを経由して、私が心を込めて翻訳したお話を読みにきてもらっている訳だ。

ところで、「転載不可」 の理由についてであるが、実は最初はこれを「可」としていた。 暫くしてその結果にとても驚いた。 心を込めて訳文を推敲したものが、時には親切にも漢字カナ変換してあったり、微妙な段落の位置が変えてあったり、バックグラウンドのMIDI音楽が消えていたりと、どれも散々なページになっていたのだ。 転載すれば結局そのサイトのモノになってしまうこと、考えれば当然のことだった。

翻訳者の心をも含めて物語やポエムをそのまま伝えること、それにはリンクをお願いするしかないとなった訳だ。 拙訳のお話は沢山あるので、その内どれがよく読まれているのだろうか興味がある。 その為の分析に、私のささやかなCGIプログラムが役に立っている。

現在最も多くの方々に読まれているのは「どうしてなの・・?」である。

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2006年1月29日 (日)

虹の橋から

これは既に亡くなった愛犬から、その誕日に、飼い主さん宛に届けられるメールのタイトルである。拙「老犬がんばれ台帳」の登録犬は彼らの一周忌にみなこれを書く。「虹の橋」とは全ての動物たちが渡って逝くところ、天国の入り口のことだ。「三途の川」と言うよりははるかに感じがいい。

この言葉は、古くは北欧神話に登場しているようだが、動物を愛する人々の間に広まったのは作者不詳の英文詩によるもので、アメリカインディアンの伝承に基づいていると言われる。命名の趣旨は違うだろうが、ナイアガラ滝の下流にはこの名前が付いた橋もある。

「天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。この地上にいる誰かと愛しあっていた動物は、死ぬとそこへ行くのです。」で始まるそれは、愛する動物を亡くした人にとってとても救いになる詩であり、今や世界中の言語で紹介されているし、これから派生した詩も多い。日本語訳も多いが私が時々読みに行くのはいっけさんのところだ。

hwirainbow 2001年に同伴でのクラス会でホノルル沖のディナークルーズを楽しんでいた時、突然舞台の演奏が「虹の彼方に」に変わった。妻と甲板に出ると、虹が出ていた。亡きタロが旅の無事を祈ってくれている・・二人は無言のまま・・思いは同じだった。

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2006年1月 8日 (日)

ロータス1-2-3

Lotus123v22 表計算ソフトと言えば今や Microsoft Excel の独壇場である。が、私は Lotus 1-2-3 を手放せない中高年層の一人である。かつて 1-2-3 は、パソコンの基本ソフトが MS-DOS から Windows へ移行した時の波に乗り遅れたと言われた。実は私もそれに不安を感じて、 Excel に乗り換えた時期があり、そのマクロ言語(VBA)の使いづらさに泣いたものだ。

私が Lotus 1-2-3 を愛するのは、そのマクロ言語の使い心地の良さにある。データを書き込むのと同じシート上の好きな場所に好きなだけマクロプログラムが記述出来て、しかも極めて単純なキー操作でそれらを走らせることが出来るので、入出力データの相互間の見通しの良さは抜群である。だから私は、ポケット科学計算機や初期のパソコンで、未だベーシック言語しか使えなかった時期にプログラミングした資産を、全てこの 1-2-3 に移行したものだ。

引退した現在、亡き愛犬のウェブサイト「老犬がんばれ台帳」なるミニデータベースを公開しているが、この為のデータ処理も、サーバーへのアップロード以外は全て、1-2-3 の一つのシート上でやっている。HTML文のデータ部分もここで作らせているので、ワン君が1,100頭を超えた今でも日常の管理はいたって楽で実に快適である。

私の使っている 1-2-3 は SOURCENEXT社がたったの \1,980 で販売しているもの(IBM純正と同等だとか)で、、「台帳」に新規の登録犬が来てくれるとそれが1頭だけでも、全てのデーターをリセットして時系列で並び直させ、最新の統計処理を行わせる。パソコンは CPU=Celeron2.0G RAM=256M OS=XPsp2 だが、その所要時間は135秒前後である。

初期の 1-2-3 の値段が10万円近くで、製品1箱の重さが数kgだったことを考えると、とても感慨が深い。 左上の写真がそれ(V2.2J、1991購入)で、付属のマニュアル書の厚さが4cm、711ページもあった。 おじんのように目がくたびれた者には、マニュアルはやはりこういう印刷物がいい。

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2006年1月 3日 (火)

メールアドレスを秘匿することは?

私は、今は亡き愛犬を主人公にしたHP(ホームページ)を公開している。それに付帯して「老犬がんばれ台帳」というミニデータベースを運営している。その趣旨は、10歳を超えた犬を登録してもらって更なる長寿を祈ろうというもので、今日現在で23ヶ国から105種、1,109頭が来てくれている。

AGEDOGBN

当然のことながら、私のメールアドレスはHPの随所に記載してある。そのせいで、今や日に百通以上の迷惑メールが来る。ちなみに今日(01/03)はあと30分を残して121通であった。その中のかなりのものがセキュリティソフトに検知されるので、ウィルスを持っていることが分かる。それらの中から拾い出した有意なメールは今日はたったの1通であった。

迷惑メールやウィルスメールを防ぐには、「自分のメールアドレスをむやみに他人に知らせるな」とよく言われる。が、私の場合はこの指導を守る訳には行かない。だから、折角送って下さった愛犬の情に満ちたメールを見落とさないように、毎日溢れるような迷惑メールを識別して排除している。識別専門のソフトもあるが未だ使い辛いし、自分の勘の方がはるかに正確で早い。

さて、上記の「忠告」についてである。これをしっかりと守っておられる飼い主さんが居ることについてである。我が愛犬のことは「台帳」に載せたいのだが、ご自分のアドレスは非公開にしたいという。この場合私は丁寧に説得のメールを返すことにしている。「私はアドレス公開してがんばってます。貴方のが非公開だとワン君のお誕生日のお祝いメールが出せません」と。ほとんどの飼い主さんはこれで了解してくれる。

他にも、例えば「掲示板」などに、ご自分の姓名やアドレス無しで、真面目な動物愛護論を書き込む方が多い。これでは、どれだけ真剣な内容であっても何か空しい感じがしてしまう。「ネチケット」以前の何か根本的な理念が落っこちているような感じがしてならない。

ビジネスの世界で行われている「名刺交換」というポライトで緊張感のある雰囲気が好きだが、その中にも悪人は居るし行方不明者も出る。インターネットではそういうポライトな緊張感は望めないが、その中の皆